:: 3周年 | ナノ


まだ茹だるような暑さの残る八月の終わり。その暑さから抜け出すようにして、僕は弓道部から引退した。

この学園に入学してから、ずっと続けていた弓道部。僕が入部した頃、弓道部は周りから弱小部だなんて言われていたけれど、僕が引退するころにはインターハイで優勝するほどの実力を持っていた。

それはやっぱり、木ノ瀬くんが入部してくれたことが大きいのかな。ううん、きっとそれだけじゃない。彼に刺激をされて、みんながみんな頑張ったから。

みんなの力で、勝ち取った優勝なんだ。

そんな中で、僕はみんなを少しでも正しい方向に導けたかな…。部長として、できることはちゃんと果たせたのだろうか…。

そしてみんなが僕を送り出してくれた帰り、僕はある場所へ向かった。夏休みの最終日だというのに、こんな日も仕事をしている彼女の元へ。

「こんにちは」
「あら、こんにちは」

大量のダンボールに詰められた荷物を、一つひとつ商品棚へと並べる名字さん。学生たちは夏休みだというのに、どうやら彼女はそういうわけにはいかないみたいだ。

「明日から、購買部も再開なんですね」
「二学期が始まるもの。その前に、準備しておかないと」
「手伝います」

そう言って、僕は持っていた鞄を下ろしてダンボールの中から商品を取り出した。

「疲れているのに、ごめんなさいね」
「一人より二人、ですよ」
「でも、今日だったんでしょ?引退の日」

名字さんにそう言われ、僕は商品を並べていた手を止めた。そして、彼女に向けてぎこちない笑顔を向ける。

そうすれば彼女は、「少し待ってて」と言ってどこかへ行ってしまった。

そんな彼女の背中を見送り、僕はまた商品を棚に並べ始める。それでも、考えているのは目の前の商品のことではなく弓道部のことだ。さっきから、ずっと考えている。僕がいなくなってからの、弓道部のことを。

僕がいなくなって、これからの弓道部はどうなるんだろう?

宮地くんが部長の任を引き継いでくれたし、副部長は犬飼くんがしてくれる。それに、木ノ瀬くんも部には協力的になってくれた…。そして何より、弓道部には夜久さんがいてくれる。

彼女がいてくれれば、きっと弓道部は安心だ。
そういう力が、彼女にはあるから。

だけど、安心すると同時に寂しさも感じる。僕がいなくなっても、弓道部は大丈夫だということが嫌というほど分かってしまうから…。

ヒヤリ。

「わっ!?」
「ふふっ。びっくりした?」
「名字さん…」

振り向けば、そこには缶ジュースを手にもった名字さんがいた。さっき頬に触れた冷たいものは、この缶ジュースだったんだ。

「これ、私からのご褒美」
「ご褒美?」
「うん。三年間お疲れさまご褒美」

はい、と名字さんは僕に缶ジュースを差し出した。それを受け取ってお礼を言えば、彼女は微笑み返してくれる。

その笑顔を見るだけで、心の真ん中がほわっと温かくなった。ああ、やっぱり彼女の傍にいると安心する。さっきまで自分の中にあった寂しさが、嘘のように消えていく。

だけど、それは全部が消えてくれるわけでもなかった。
まるで溶けない氷のように、僕の心に残ったそれ。

この氷を、彼女なら溶かしてくれるだろうか?

「少し、休憩しましょうか」
「…はい」

彼女にそう誘われ、僕と彼女は昇降口を出てそこにある階段に腰を下ろした。

外はすでに夕焼け空で染められていて、校舎も暖かいオレンジ色になっている。そこに残る暑さは心地の良いもので、木々を揺らして吹く風は少し冷たかった。

「もう、夏も終わりね」
「そうですね…」
「昔ね、よく弟と一緒に缶ジュースを飲みながら両親のことを待っていたの」
「弟がいるんですか?」
「ええ。共働きの両親が帰ってくるのを、二人でずっと待っていたのよ」
「仲が、良かったんですね」

僕がそう言うと、彼女は柔らかい笑みを浮かべて遠くを見つめた。

「僕も、姉が一人と妹が二人いるんです」
「そうだったの」
「両親は家のことで忙しいから、妹の面倒は姉と二人で見ていて…」
「金久保くんなら、きっと良いお兄さんね」

それから僕は、ぽつりぽつりと僕の家族のことについて名字さんに話した。彼女は時々、質問をしたりして僕の話を聞いてくれる。だから、気づけば夕陽が沈みかけるそのときまで、彼女と話をしていた。

家族の話をしていたからだろうか。なんだか、さっきまで感じていた寂しさを余計に感じるようになった気がする。

だからだろう。僕はいつの間にか、顔に影を作って俯いてしまっていた。

「…家族のことを思い出して、寂しくなった?」
「それもありますけど…でも…」
「そっか…。弓道部のこともあったわね」

僕が何も言わなくても、彼女はそう察してくれる。そして、そっと僕の手の平を握り締めてくれた。

「弓道部のこれからを心配しているわけじゃないんです。ただ…」
「ただ?」
「あの日々に戻れないのは、少し寂しいなって」

そうか…。僕は、弓道部で過ごしていた日々に戻れないのが寂しいんだ。

学園にいれば、弓道部のみんなにはまた会える。だけどもう、僕はあの場所には戻れない。僕の思い出がたくさん詰まった、あの場所には。

弓道場に顔を出していけないわけではない。それに、弓を引けないわけでもない。それでもやっぱり、引退する前とは違う。僕はもう、弓道部部長の金久保誉ではないから。だから僕は…。

「金久保くんは、キラキラと輝いた青春を過ごしたんだね」
「…そう、ですね」
「そして今も、過ごしている最中よ」
「え…?」

そう言って彼女は、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「弓道部を引退したのに、ですか?」
「弓道部は引退してしまったけど、それは新しい始まりでもある。これから先、金久保くんはたくさんの人たちと出会いと別れを繰り返して、そしてその人たちと青春を過ごしていくの」
「…なんだか、陽日先生が言いそうなことですね」
「ふふっ。確かに」

今はまだ、この寂しさのせいで前には進めないかもしれない。だけど、この寂しさはこれから出会う人たちが癒してくれる。

そうやって、人は前に進んでいくんだろう。そして、その人たちと一緒にまた思い出を積み上げていく。それらは全て、キラキラと輝く青春のようにはいかないかもしれない。嫌なことだって、苦しいことだってある。

だけど最後に振り返ってみれば、心の中に残るのはこの寂しさに似たものなんだ。

「…寂しくなったら、また戻ってきたらいいわ」
「この場所に、ですか?」
「ええ。それを繰り返して、人は強くなるから」
「そう、だね。それにここに戻ってくれば、貴女がいる」

どれだけの寂しさを体験しようと、ここに戻ってくればそれを癒してくれる彼女がいる。

そして僕が彼女を見つめれば、彼女は子どもみたいな笑みを浮かべて立ち上がった。そして夕陽を背にして、僕の方へ向き直る。そうすれば、彼女の姿は眩しく輝いた。

「私はいつでも、ここにいるから」
「…はい」

気づけば、氷のようだった寂しさは水となり、僕の中でまるで小川のように流れ始めた。それはそれは、優しい小川に。

僕はきっと、またこの場所に戻ってくるだろう。彼女が待っていてくれる、この場所に。それを何度も繰り返して、僕はまた強くなっていけるから。

そしていつか、強くなった僕は彼女に伝えたい。
ありがとう、そしてー…。


2015/07/11

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