:: 3周年 | ナノ


積もっていた雪がすっかり溶け消え、星月学園に少しずつだが春の兆しが見え始めていた。

それでも、まだ寒さがなくなったわけではない。特に、早朝の学園は冷え込む。だから俺は、着ている白衣のポケットに手を突っ込んで廊下を歩いていた。

なぜ、俺がこんな朝早くから学園にいるのか。答えは簡単だ。昨日の夜からついさっきまで保健室のベッドで寝ていたからだ。
昨日は理事長の仕事がなかなか終わらず、学園に泊り込む覚悟で仕事をしていた。その途中で少し休憩しようかと思い、保健室にあるベッドに横たわったのが間違いだった。

目を覚ませば、時計の短い針は数字の5を指していたのだから。

そのまま起き上がって仕事を再開してもよかったんだが、どうにも頭が覚めずにだるい感覚が体に残っていた。だからそれを覚まそうと、俺は早朝の校舎を歩き回っていたってわけだ。

こんなに朝早くであれば、生徒はもちろん教師だって一人もいやしない。そう思いながら、歩いていたからだろう。

購買部で人影を見たときには、ビクッと肩が震えた。

「名前か…?」
「あら、琥太郎じゃない」
「ああ…」
「また眠たそうな顔をして…どうせ保健室で寝ていたんでしょ?」

購買部にいたのは、名前だった。というか、俺はまずお前がどうしてこんな時間に購買にいるかの方が気になるんだが…。

「こんな朝早くに、どうしたんだ?」
「目が覚めちゃって」
「お前は年寄りか…」

しばらく購買で二人で話していれば、何かを思い出したかのように名前が、「あ」と呟いた。

「どうした?」
「ちょっとお願いがあるの」

そう言われ、俺は首をかしげる。そんな俺を見て、名前は微笑みを浮かべながらどこかに向かって歩き始める。

仕方なく、俺は黙って彼女の後をついて行く。そして俺は、そのことをすぐに後悔することとなる。だってまさか、こんなことになるとは誰も思わないだろう…。

俺は今、寒空の下防寒具を何も付けずに立っている。
どうして、こんなことになったのか。

お願いがある、と名前に言われて向かったのは、教職員専用の駐車場だった。そこで名前が俺の車を指差したかと思うと、「連れて行ってほしい場所があるの」と有無を言わせない笑顔で言った。

俺は、こいつのこの笑顔が苦手だ。どことなく、姉さんに似ているから。

だからこうして言われるがままに、ここに連れて来たわけだが…。ここは、星月学園から車で30分ほどの場所。そして俺たちは、道路沿いにある見晴らしの良い場所に車を停めて外に出ていた。

「寒い…」
「そうやって縮こまってないの。ほら、見て」

そう言って、彼女ははるか彼方を指差した。その方向を見れば、その先には街が一望できる景色が広がっていた。

だがまだ朝日が昇っていないせいか、薄暗くてよく見えない。それでも、そこに街があることだけは分かった。つまりこいつは、この寒いなか朝日を見るためだけにここに連れて来させたということか?

「なんでこんな場所に…」
「なんか、ちょっとだけ感傷的な気分に浸りたくて」
「お前も車の免許持っているんだから、一人で行けば良かっただろ」
「琥太郎と見たかったの」

そうは言いつつも、彼女は俺の方など見向きもせずに街の方だけを見ていた。

そして徐々に、その横顔が朝日に染められてゆく。夕陽のときとはまた違う、白く儚い光によって包まれる彼女。その姿は、とても美しかった。

彼女のその容姿も、充分美しいものだと思う。
だけど、今目の前にいる彼女の美しさは言葉で表せない。

儚げで、それでも輝きを失うことはなくて。まるで、目の前に女神でも降り立ったかのような錯覚に襲われる。なんて、心の中ではそう思っても、本人には絶対に言えないんだけどな。

「綺麗…」
「そうだな」

朝日に照らされた街並みは、まるで映画のワンシーンのよう感動的で、なんだか目の前で見ている光景が本物ではないような気さえした。

それでも、自然が作り出す美しさは人工が作り出す美しさとは天と地ほどの差がある。

「それで?どうして感傷的になりたいなんて思ったんだ?」
「普通、そこは聞かないものよ」
「普通はそうかもしれないが、お前の場合は聞かないとずっと一人で抱え込むからな」

俺がそう言うと、名前はゆっくりと顔をこちらに向けた。その頬に、一筋の涙を流しながら。

きっと彼女は今、亡き弟を思い出しているのだろう。
彼女が愛してやまない、弟のことを。

彼が亡くなったのは、確か名前が駆け出しの研修医として日々を過ごしているときだった気がする。

俺と名前はもともと高校が一緒だったこともあり、また、目指す分野も同じだったことから、他の人たちよりか深い繋がりがあった。毎日のように二人で勉強をし、自分の夢を叶えるために切磋琢磨していたのだから。

俺たちが目指していた夢。

俺は、妹のように可愛がっていた有李のために。
そして彼女は、身体の弱い弟のために。

だが、俺たちの夢は叶う前に儚く消え去ってしまった。それぞれ、大切な人を病によって亡くしてしまったのだから。

彼女の弟が亡くなったとき、俺は星月学園の保健医に就任することが決まっていた。
そしてそのときの彼女は、今思い出しても痛々しい…。俺と同じように、無気力になりただ虚空を見つめる日々を送っていたのだ。

だからこそ、俺は彼女を助けたいと思った。
自分と同じ境遇にいる、彼女のことを。

そして俺は彼女に、「星月学園に来ないか?」と誘った。

彼女の弟が、愛してやまなかった学園。もしかしたら、この学園に来ることは彼女にとって辛いものだったかもしれない。それでも、彼女は首を縦に降った。

そして彼女は今、星月学園での日々を送っている。

「…少し、肩を貸してくれない?」
「少しだけだぞ…」

俺のその言葉を聴くと、名前は自分の額を俺の肩によっと摺り寄せた。そして、小さく肩を震わせてすすり泣く。

「…なんで、かな。急に寂しくなったの。そしたら夜も眠れなくなって…。だから朝になって、あの子を探すために学園中を歩き回った」
「………。」
「どうして、あの子がいないだけでこんなに寂しいのかしら…」
「…きっと、それだけじゃない。この学園で過ごしていく中で沢山の生徒たちの背中を見送ったからだろう。だから、寂しさが増してしまったのかもな」

名前は、弟が愛していたこの学園を弟以上に愛していると思う。そして、学園だけでなく生徒達のことも。

彼女はいつも、生徒達たち一人ひとりに弟のことを重ねて見つめていた。だからこそ、彼らの背中を見送る寂しさは、俺の想像以上に辛いものなのかもしれない。

それでも彼女は、微笑みを絶やすことなく笑顔で生徒たちを見送る。自分が寂しい顔をしてしまっては、彼らはこの学園から巣立つことができないと思って。

「この学園に来てから、私はずっと寂しいままだわ…」
「だが、その寂しさを癒してくれる奴らもいるだろう?」
「…そうね。私の寂しさの原因はいつだってあの子で、それを癒してくれるのは毎日笑って過ごしている生徒たちだわ」

名前の寂しさを癒してくれるもの。それは、この学園の生徒たちだ。

彼女が弟のことを生徒たちに重ねている限り、その寂しさを全て癒すことはできない。それでも、生徒たちは彼女の寂しさの原因であると共に、彼女の寂しさを癒してくれる存在でもあるんだ。

だから俺は、彼女をこの学園に呼んでよかったと思う。
彼女の笑顔の理由が、ここにあるのだから。


2015/07/16

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