(もう俺はとっくに酸素不足に陥っていたのであろうと思います)



敷かれたレールの上を歩くことに何の疑問も抱かなかった。それはとても楽であり容易であり、そして虚しいことである。自分は、僧正血統の家に産まれたところで末っ子の五男であるし家はどうせ兄たちが継ぐだろうし、勝呂が聖十字学園に行くと言わなければきっと地元の高校でなんとなく生活していただろうとも思える。自分の考えや意思を表に出すのはとっくの昔に止めていた。面倒臭い、という明らかな嫌悪感。決められた道。楽ならばなんでもいいという甘美な誘惑。(今思えば髪を染めたのはそれらに対するちょっとした反感であったのかもしれない)笑顔と嘘と建前。俺の世界を構築していく三大元素たち。俺の世界はもう既にモノクロであった。


彼女の第一印象は不器用な子なんだな、だった。直ぐに気持ちが表情に出て思ったことをすぐ口にして言動が自分に正直すぎて周りの空気なんか読まない、彼女は俺とは正反対の人間であった。最初は興味本意だったのがいつからか本気になったのは、もしかしたら自分とは違い己に忠実な彼女に憧れていたからなのかもしれない。

毎日彼女を追いかけてはいたが彼女から好かれているなどと自惚れたことはない。俺は彼女について規則的に並べられたデータしか知らないのだから。俺たちの関係はただのクラスメイトなだけで、もっと言えばメアドすら教えてもらえない赤の他人であり、その他諸々ややこしい感情などは排除されてしまう。(だってそれは彼女の視線が蒼い目をした彼に向けられているからであって、)


きりきりきり、とそういうすべての要素が俺の首を絞めて毎日を苦しくしてゆくのだ。ああ、今すぐ此所から逃げなくては!首に食い込んでくる得体の知れないそれらを全身で感じながら叫ぶことすら儘ならない。此所に酸素はない、呼吸が、できない。ぱくぱくと口を動かす自分を客観的に見られたら、きっと餌を求めねだり、水面で呼吸をする鯉みたいなのだろうと思った。そしていつの間にか俺は三大元素たちを失ってしまうのである。


報われない恋なら消えてしまえ、呼吸ができないのなら窒息死してしまえ。好きだと訴えられる勇気が欲しかったし、好きだと訴えたくなる鼓動を止めて欲しかった。なんだかんだで世話を焼くくらいならばもう自分を追わないで欲しかったし放っておいて欲しかった、叱って罵って嫌悪でまみれた感情をぶつけて欲しかった。そうすれば嫌いになれた。嫌いになれると思っていた。

ぱくぱく、ぱくぱくと開いては閉じてを繰り返す口からは声にならない形になれない欲求や不満が漏れだしていく。酸素が欲しかった、ただ、羨ましかった。彼女の視線が彼に向けられているのを見る度、彼と話す彼女が嬉しそうな顔をする度に酸素を求めた。出雲を求めた。


「帰るわよ、志摩」


真面目で素直で頭のいい人間である。だけど鈍感な人だ。敷かれたレールのうえを歩いて笑顔を張り付け嘘と建前しか吐き出さない自分とは正反対な人だ。任務を終えてぼうっと地面に座ったままの俺に、彼女はいとも簡単に手をさしだす。そういう少しの愛情や優しさの片鱗をうまく隠してほしい。面倒臭がりで嘘しか吐けない自分には君を好きになる資格などないのだと現実らしい現実へ突き落としてほしい。あわよくば、掃除をしないせいで少し埃っぽい男子寮のあの自分しかいない部屋に帰らせてほしい。


「どうしたのよ、行くわよ」

「あ、うん、」


そうやってどうしようもない気持ちを口の中で持て余しながら、俺は彼女の後ろを歩く。いつもそうだ。俺は、彼女の隣に立てたことは、一度も、ない。だから彼女のその後ろ姿をみて途端に胸が苦しくなった。

息ができない。酸素が欲しい。愛が欲しい。愛して欲しい。





(モノクロの世界で、貴女だけがとても鮮やかにみえるのです)