詐欺師は空に溺れる。


今日はとてもいい天気だ。
気温も高すぎず低すぎず、過ごし易い。

しかし私の心は、この空とは正反対で曇りすぎなのもいいとこである。むしろ雷雨が襲ってくる。大津波警報。

理由はもうわかりきっているであろうが、目の前で楽しそうに鼻唄を唄い仕事なのかチャットなのかパソコンをカタカタと鳴らし携帯を時々弄る、このどうしようもない上司のせいだ。

本当なら今日は二ヶ月振りの休日で、家でひとりゆったりと過ごすつもりだったのだが、今朝携帯のディスプレイが表示した名前をみて厭な予感しかしなかった。案の定、電話にでれば今日急な仕事が入ったから出勤してほしいとの内容だった。


そんなわけで今私は上司の自宅兼仕事場にいるわけだが、どうにもいらいらする。どうしてこの男は無理矢理人を仕事場に呼んでおいて、自分の仕事を人に押し付け、その人のまえで笑ってチャットなどできるのだろう。


ふと彼の向こう側の窓硝子を見る。空は透き通るほどに青く、綺麗だった。こんなに綺麗な空はあまり見たことが無い。


「今日はいい天気だねえ」


声のしたほうを振り向けば、そこには自分の上司であり雇い主である男が立っていた。いつのまにいたのだろう。
はい、と差し出されたのは私が日頃愛用しているマグカップ。中には紅茶が入っている。彼が好きなメーカーの紅茶であり、もちろん私も気に入っている。


「珍しいわね、貴方が淹れてくれるなんて」
「別に?たまには大切な部下にサービスしないとと思ってさ」
「なにが大切な部下よ」
「えー、大切だよ?これほんと」
「じゃあ何故その大切な部下の休日を潰すようなことしてくれるのかしら」


彼の淹れた紅茶を啜る。あ、やっぱり美味しい。


「手厳しいね」


なんてヘラヘラ笑いながら、彼は私の背中に寄りかかるように座った。ちょっとした重みが背中に圧し掛かる。


「重いんだけど」
「俺、そこまで体重ないよ?」
「そうじゃなくて、退いてって言ってるの」
「少しくらいいいじゃない」


背中がじんわりと暖かくなる。彼の体温は普段に比べて少し高かった。と言っても布越しなのだけれど。


「いい天気だね」
「それさっきも言ってたわよ」
「だって、いい天気なんだもの」


私も、操っていたノートパソコンを閉じた。なんだかこのまま仕事をするには気が引けたし、区切りもいいし、少しだけ休息を取ることにする。


「こんなに綺麗な空だとさ、翔んでみたくなるよね」
「貴方そんなにメルヘンな性格だった?」
「あくまで現実主義者だよ」
「ああ、そう」
「波江ってば素っ気なーい」


少しだけ彼に寄りかかってみる。慎重差はあまりないものの座高は彼のほうが少し高いらしく私の頭は彼の首元にあたった。一瞬びくりとなった彼だが現状を把握したのか小さな笑みを零しただけだった。

「波江はさ、なんで空が青いか知ってる?」


前々から思っていたが、この男は何故こうも唐突に質問を投げかけてくるのだろう。
溜息をしただけで返事などしなかったのだが、彼は話し続ける。


「世界は、昔、白と黒しかなかったんだ。でも、空はこれじゃダメだって思った。こんなのおかしい、変だと。色がないのが当たり前なその世界で、空だけが違和感を感じていた。」


今更だけど、彼はわざわざちゃんと私の紅茶に砂糖を入れてくれたらしい。 ほんのり甘い紅茶が私は好きだから毎回角砂糖をひとつ入れていた。知っていたのか。


「知ってた?最初に色がついたのは、空なんだよ。」


時刻はただいま午後1時53分。
こんなに気持ちのいい午後は久しぶりかもしれない。


「空はめちゃくちゃ悩んだ。どんな色にしようかって」


彼の話を片耳に入れつつも、私の頭は今日の夕飯の献立を考えるために動いている。


「考えてもみなよ波江。空が赤かったら怖いだろ?黄色かったら落ち着かないだろ?挙句には目チカチカするだろ?ピンクだったら、男は居心地悪いだろ?俺はピンク嫌いじゃないけど」
「まあ確かに、それも一理あるわね」
「空は、白黒の世界の人間にどんな色がいいか聞いたんだ。もちろん皆が皆答えてくれたわけじゃなかった。それでも空は、自分の色の手掛かりを得た」


マグカップの中の紅茶は、なくなってしまった。


「落ち着く色、優しい色がいいと。悲しいとき、辛いとき、思わず見上げたくなるような、色。空は悩んだ。だって色のない世界で色を生み出すなんて無理に等しかったからだ。色という概念がないのに、今まで考えたことも無かったのに、生み出そうとしたんだ、空は」


ほんと、馬鹿だよね、と彼は嘲笑った。ちょうど空が雲に覆われてしまい、灯りをつけてない室内が暗くなる。


「雲や、鳥や、木や、いろんなものに、空は馬鹿にされた。いま俺が嘲笑ったように。無謀なことはするなって。でも皆、本当は望んでた。この世界に、自分達の知らないものが、概念を覆されるような、そんな革命的なことが起こるのを」


ふわりと、なにかに抱き締められる。まあ、なにに抱き締められたのかはすぐにわかった。普段ならすぐにでも離してほしいところだが、今は別にこのままでもいいと思う。こんなに、気持ちがよいのなら。


「そして、ついに空はやってのけたのさ」


彼がつぶやいた瞬間、雲に覆われていた空は光を取り戻し、室内を明るく照らしてくれた。きらきらと光が舞う。魔法みたいに。綺麗な青が、水色が、グラデーションのように空に広がっている。

ああ、なんて綺麗なのだろう。
この空になら、

「この空になら、吸い込まれてもいい気がするよねえ」
「・・・・・・そうね」


不覚にも、この男と同じことを考えた自分がいた。



南方、午後二時頃。

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