マナーモード設定中の携帯がさっきからぶるぶる震えているのをいつも着ている(だからって洗濯してないわけじゃない)コートの上から気づいていた、だが生憎いまは取引先の相手の部屋にいるため電話なんかには出られない。愛想笑いを浮かべながら勝手に廻る口に感謝しつつ部屋の時計に目をやるともう日付が変わりそうだった。ああ、またやってしまった、たいそうご立腹に違いない。自分でも無意識にぺらぺらと動かしていた口が閉じると相手は満足そうな笑みを浮かべたので、じゃあよろしくと挨拶をしファイルを渡し、俺は早足に部屋を出た。


案の定、着信履歴は全部ピザ屋、じゃない、波江からだった。それもそのはずであり、今日は仕事が少ないから19時くらいまでには帰るよ!だから夕飯宜しくね、勿論鍋で!と意気揚々に告げ、夏なのに鍋とか馬鹿じゃないとの声を背中に受けて家を出たのが11時、取引先から急遽時間変更されたのが13時、暇で立ち寄った池袋で静ちゃんと喧嘩したのが17時、そこから取引先を3つ回ってこの時間。そもそもこの時間になったのは静ちゃんとの喧嘩が思った以上に長引いたのが要因だから、ほんと死ねばいいのに。着信履歴のピザ屋にリダイアルで掛けてみるもコール音が虚しく続くだけなので切った。あーあ、波江怒ってんだろうな、夕飯(しかも鍋)まで頼んじゃったし。律儀な彼女のことだからほんとに鍋を作ってるだろう。もう一度電話を掛けてみるも、やっぱり繋がらなかった。




「…あれ」

とっくに彼女は帰ったんだろうな、なんて少し寂しいような気持ちで帰路につくと玄関の鍵が開いていた。彼女は自分が帰るとき必ず鍵を掛けるので、もしかしたらまだ…!などと淡い期待を持ち遠慮がちに電気の消えた暗いリビングに向けただいまを言う。返事はなかった。やっぱり帰ったかとため息をつきながら部屋の電気をつけるとソファの上に横になっている見慣れた小さな身体があった。

「、波江…?」

顔を覗き込むと、あ、寝てる。携帯を持ちそのままうずくまったような体勢で彼女はソファの上にいた。薄い毛布を持ってきて掛けてやるとするりと彼女の手から落ちた携帯を慌てて受け止める。携帯のディスプレイに表示されていたメールボックスにある未送信のままのメールは俺宛てだった。早く帰ってきて、と絵文字も何もないただそれだけ書かれたそのメールを見て俺は何故か少しだけ泣きそうになってとても彼女を愛しいと思った。キッチンに目をやると少し小さめの鍋が置いてあるのがわかった。彼女がどうせ二人でしか食べないんだから、と買ったいつも二人で使う鍋である。起こさないように静かにソファに横になった彼女に向き合うように座る。彼女の髪を撫でながら、きっと俺の言った通り19時頃にはちゃんと食べられるよう間に合うようにこの暑いなか作ってくれたのであろう彼女を思うとやはり胸がじんとした。

「ごめんね波江」

静かな寝息を立てて眠る彼女に届くはずもないのだけど言わずにはいられなかった。優しく綴じられた瞼に唇を落とす。小さなリップ音がして、耳許でありがとうと呟くと彼女は擽ったそうに身体を動かした。起こしたかも、と思ったが肩が規則的に上下してるあたり大丈夫だったらしい。多分明日になったら波江はそれこそ不機嫌極まりないような顔で一日ずっと俺を睨み付けてはぶちぶちと嫌味を言ったりするんだろうな、まあそんな波江も可愛いんだけど。なんて考えながら一気に襲ってきた眠気に目を綴じる。とりあえず決まっていることは明日の朝食が鍋ということだ。


(瞼にキス)
素敵企画kissさまに提出!



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