今日もあいつは塾についた途端、あたしの席まで来て挨拶と他愛のない話をぺらぺら喋っていた。勝呂たちはもはや日常茶飯事になってしまったそれを軽やかに無視している。あたしも、へえ、とか、うん、とか相槌を打つだけ。でもほんとはちゃんと聞いてたりするのだ。今日志摩の言っていたケーキバイキングのお店の話には若干そそられた(あとで詳細を聞き出そう)。

また明日なぁ、出雲ちゃん!ぶんぶん手を振りながら去る志摩が見えなくなってから、あたしも寮に向かって歩き出した。結局、明日は志摩と例のケーキバイキングに行くことになった。詳細を聞いていたら、ほんなら一緒に二人で行こうや!と無理やり約束させられてしまったのである。少なからずあたしは明日が楽しみらしく、とてもわくわくしていた。(ちなみにそのわくわくのなかに、志摩と二人で、ということがあるのは秘密だ)


帰り道。ふらりと寄ったアーケードの店先のショーウィンドウにあたしの姿が映った。幼い頃から伸ばしている長い長い黒髪、平均より軽い身体。歩きながら髪の毛先をいじる。以前予約し、そのまま行けなかった美容院のまえを通りすぎた。


特に故意で伸ばしていたわけもなくいつ切ってもよかった髪は、志摩のあの優しい指先で触れられたときに、出雲ちゃんの髪って俺好きやねん、という言葉を与えられてからなかなか切れなくなってしまった。
志摩のあの暖かい腕で抱き締められたときに、細いから壊しそうや、とベタなことを言われてから少しだけ食べる量を増やした。まだ体重や身体に変化はないけれど、それはゆるやかに、だけど確実に、あたしの生活の中心軸は志摩になっていく。


行きつけのブティックのあるデパートに寄ることにした。明日出かけるときに着る服を買いに、密かに、志摩に可愛いと言われたいがために。デパートまであと30メートル。頭上を飛行機が騒音をたてながら一直線に空を裂いていった。暗くて重くて優しい空が広がっている。わざとらしいほど慈愛に満ちた空と、彼に毎日愛してると言われたがる自分がなんだかとても愛らしくて、笑みがこぼれた。デパートまで、あと16メートル。


混在モラトリアム