(できるだけ高く高く。酸素を求める魚のように。上へ、上へ。)


非常階段をどんどん彼女は登っていく。その細い脚のどこにそんな筋力があるのだろうと思いながら、僕は足が疲労で震えるのを感じながらも彼女の後をついていく。しえみさんはまだ登り続ける。無関心に、無意識に、ただ欲するままに。

ばたん、ぎい。
光がみえた。

やっとのことで辿り着いた屋上は、高いせいか風が強かった。汗ばんだ体に沁みる風が心地よい。しかし、これではきっと、すぐに体は冷えてしまうだろう。もうすぐ定期試験も任務もある。それなのに風邪などひいていられない。

「しえみさん」

喉に張りついたような乾いた声が響いた。唾を呑み込む。

「戻りましょう」

僕は彼女を促す。彼女は僕の方をちらっとみて、それから聞こえなかったかのように

「綺麗だねえ」

と言った。
屋上から見える景色は素晴らしかった。より背の低いビルや家が敷き詰められた町をみると、僕の息するこの場所はやはり「東京」なんだなと思った。


「雪ちゃんには、なにが見える?」
「小さくなったビルとか、人とかが見えます…それに車も、」
「わたしには雪ちゃんが見えるよ」


言葉は魔法だ。僕は、急に息ができなくなった。


「わたしには雪ちゃんが見える。空が見える。凄く綺麗だと思うよ。後は、海が見えたら最高だな、って」

「そしたらあなた、死ぬでしょう」


口からこぼれた言葉に僕は眉をしかめた。いったい、なぜこんなことを?意識とか別の、本能とかで考えたことがそのまま飛び出てしまったようだ。なにも言えない。息もできない。ただ彼女の口が開くのを待つ。

「あはっ、そうだね。わたし、海に行ったことないから」
「早く帰りましょう、しえみさん」


一刻も早く帰らなければ。彼女をここに置いておくのは危なすぎる。何故か笑うしえみに伸ばした手は、空をつかんだ。

「波の音がするよ」

しえみは走った。そちらに海がないだなんて僕も彼女も知っていた。何処にも海なんかなかった。僕らとコンクリートしかなかった。走る。彼女に手を伸ばす。彼女の口が開く。


「 ば い ば い 」


右手はまた空気しか掴めなかった。小さかった彼女がどんどん小さくなっていくのを僕は見れなかった。一人きりの屋上で波の音を聞いた気がした。だけどそんなことはきっとどうでもよかったんだ。僕は、どうしてあと一秒早く彼女に愛していると言えなかったのか、後悔した。


誤魔化せない心に、気づいたから

6/3 某曲を雪しえでリメイク

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