扉を開けた彼は、まあなんともびっくりしたように目をまんまるに大きく見開いてわたしを見つめていた。あれ?え?なんで?と慌てる彼をお構い無しにわたしは遠慮なくその扉をするりと抜けて家のなかに入った。



最初は慌てて頭上にクエスチョンマークを浮かべていた彼も黙ったままのわたしを数分見つめると部屋に通しぎこちない手つきながらもコーヒーを入れてくれた。それでも落ち着きはなかったが、今では二人、リビングで静かにコーヒーを飲むというなんとも奇妙な絵面である。

臨也のお迎えはまだ、ない。当然だ。

まさかこのわたしが平和島静雄の家にいるなんていうのは本来閉ざされたルートであるし、先程、振動し続けていた携帯の電源を切ってやったのでいくら彼でも暫くは辿り着けないだろう。


ざまあみろ。
わたしは内心ほくそえむ。そうやって走り回ればいいのだ。
面倒な秘書なんて此方から願い下げだ、と辞めさせてしまえばいいのである。


コーヒーを啜った。
あ、意外と美味しい。平和島静雄を見ると、ぱち、と視線がぶつかって何故だかとても嫌になり気まずくなって目を逸らした。


「波江さんは、まだ帰らないんすか」


平和島静雄が聞いてくる。静かな部屋にはたったその一言がいやに重く響いた。遠回しに帰れと言われてるのか(それも仕方のないことである)と思ったがニュアンスからしてそうではないらしい。


「…まだ、帰らないわ」

「じゃあ、いつまでいてくれるんですか?」


彼は飲み干してしまった自分のカップにコーヒーを注ぎながら、まるでそれが自然だとでも言うように、何でもないかのように言った。
いつまで、いつまで、いつまで?頭のなかで何度反芻しても答えは出なかった。臨也が迎えにくるまで、コーヒーを飲み終わるまで。しかしわたしの求める答えは見つからない。具体的な時間なんて最初から決まっていなかった。ゆらり。手に持つカップのなか、コーヒーに映っているのわたしが揺れた。


「俺は、」


彼が話し出す。顔をあげるとブロンドのまぶしい髪が目にはいった。あの人とは違う明るい色だ。


「俺は波江さんが好きですからずっといてくれて構わないですけど、」

「波江さんの居場所は、此処じゃないっすよ」


変わっていた。ファンキーだった。彼の脳内を巡る思考にわたしは到底ついてはいけなかった。理解ができない。頭のなかがぐるぐるぐるぐると廻る。きもちわるい。


「波江さんは此処にいても俺なんか見てないです」


ライトブラウンの瞳が、真っ直ぐに正面から自分を見つめていた。自分を捉えていた。中に自分がいた。なんて情けない顔してるのよ矢霧波江。




「あいつは馬鹿だし腹が立つけど、そんな無意味に意地悪しないでやってください。好きで好きで、他の奴といるときにも考えてるのに、どうして逃げるんすか?」

「ちゃんと口にだして、ちゃんと言ったほうがいいです」

「それが無理なら、できないなら、あいつなんか忘れて、そんで俺を見て欲しいです」




彼より長く生きている。だけど返答の仕方も正しい返答も知らなかった。喉が乾いてどこかにへばりついているようだった。発声法も呼吸の仕方もわからない、忘れてしまう。


自分たちを包む空気が重い。彼の自分に向けられる気持ちが重い。ずっしりと先程から左胸の辺りになにかを感じていた。それが何かはわからない。わかろうとはしない。何か言わなければならなかった。しかし口からは何も出てこない。何か、何か、なにか、言わなければ、言わなければ!だがなにかが変わってしまいそうで、たった一言が怖かった。そのなにかさえわからなかった。


呼び鈴の音が部屋に響いた。
嫌がらせのように連続で響くそれに臨也だ、と確信する。


なんて素晴らしいタイミング。逃げるように平和島の部屋から出ていく。勝手に押し掛けコーヒーも淹れてもらっておきながら、さよならも言えない自分はどうかしていると思った。


「また来てくださいね、波江さん」


背中で彼の声を聞いた。少し震えていた。多分悲しそうに笑っているのだと思った。どうしようもなくいたたまれなくなって、立ち止まり、ゆっくり頷いた。それから玄関の扉を開き全身真っ黒のぶすくれている臨也に帰りましょうと言った。早く帰りたかった。平和島から早く離れたくて仕方がなかった。向けられる好意をこんな風に思ってしまう臆病な自分に腹が立ち、吐き気がした。



世界は
息継ぎをしながら
廻っている


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