例えばの話しをしようか



「私が死にたいって言ったら、貴方どうする?」




それはあまりにも突然だった。
彼女の口からそんな言葉が予測できないくらいに。


「は?なに、いきなり」


思わず口をついて出た声はひどくカラカラに乾いていた。
頭がついていかない。
彼女がなぜこんなことを尋ねるのかもわからなかった。


「答えられない?」


彼女はそう言って自分の淹れたコーヒーを飲んだ。
砂糖とミルク入りの甘いやつ。
何事にも冷静な彼女は案外甘いものや可愛いものが好きだというのは彼女と付き合ってみて最近知った。


俺も同じように彼女の隣で彼女の淹れたコーヒーを飲む。
ちなみにブラックである。甘すぎるのは苦手だ。


「波江さんは死にたいの?」
「生きるのが面倒臭いのよ」
「暗に死にたいんじゃない」


そう言えば彼女はそうね、と小さくくすりと笑った。
あ、笑顔をみるのは3日と5時間27分ぶり。


左手にあるマグカップを右手に移す。
中のコーヒーは半分もなくなり、ぬるくなってきてしまった。


「なんで死にたいの?」
「さっきも言ったじゃない」


面倒臭いのよ、ともう一度彼女は言った。


「死ぬの?」
「そのうち、近々、必ずね」
「へえ」
「貴方は?」
「俺は死ぬのが怖いから、なるべく生きたいよ」
「さっきの質問、どうしてそんなこと聞くの?」


首をかしげる彼女を可愛いと思った。
綺麗で美しい彼女の新しい一面が見れた気がした。






「好きだから。これじゃおかしい?」






言えた。やっと言えた。
8ヶ月と2週間5日分の気持ち。


君に届いただろうか。いや、きっと届いてない。
それでもよかった、だってほら、俺の自己満足だから。



「私も、貴方の顔は好みよ」
「ありがと」
「こちらこそ有難う」
「じゃあ、これから死ぬ波江さんの願い事、いっこだけ叶えてあげる」
「・・・なんでも?」
「うん」



せめてもの餞のつもりだった。


彼女が「死ぬ」ということをとめるつもりもない。
彼女が考えて考えて導き出した答えなのなら。






「じゃあ、私と一緒に飛び降りて」






がしゃん。


は?意味がわからない。
多分いま、俺、すごい間抜けな顔をしている。


思わず持っていたマグカップを落としてしまった。


俺がこの前買ってきた、彼女とお揃いのマグカップ。
気に入ってたのに。彼女にはいやな顔されたけど。



そんな俺のことなんか気にしないで彼女は話し始めた。





「疲れたの。面倒くさい。生きるという行為の意味がわからない。貴方の言うとおり私もできるかぎり生きたいわ。でももう駄目、私にはなにもできない。好きな人は私を好きにはなってくれない。なにもない。でも私は一人で寂しく死ぬつもりもない。ネットの自殺サイトで知り合った人間とも死ぬつもりはない。死ぬんだったら顔は好みの人間とがいい。だけどこんなこと、普通の人に言ったら軽蔑されるでしょ?貴方は私の中では普通の人ではないから。別に軽蔑されてもいいのだけど。だからわたしの願い叶えてくれるんだったらわたしと一緒に飛び降りて、死んで。普通に飛び降りるのはつまらないから、ロマンティックに、飛び降りる瞬間は綺麗に、美しく」


彼女の表情は、悲しそうで、哀れみに満ちていて、憂いを帯びて、
そして美しかった。目を見張るほどに。



まあつまりは、
今さっき「死ぬのが怖い」と言った俺に「顔が好みだから」「私と一緒に」「死んで欲しい」と告白と依頼をしてるわけであって、それが願いだというのなら俺は叶えてあげなくてはいけなくて。













「・・・っ、く、ははっ、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」







気づけば笑ってた。
落ちて割れたマグカップからコーヒーが零れてくる。
カーペットに染みができていった。

ああ、このカーペット新品だったな。双子がこの前買ってきてくれたやつ。やべえ、舞流に怒られる。九瑠璃には呆れられるかも。
ごめん。




コーヒーの、黒い、どす黒い染みが広がっていく。

まるで俺と彼女の心の中みたいに。





「うん、いいよ。一緒に飛ぼうか」



俺の出した答えに、彼女は信じられない、という顔をしていた。




「ねえ、波江さん。ロマンチックにって、どんなふうに飛ぶのがいいの?愛してるって囁けばいいの?それとも抱き合って?裸で?とどのつまりはキスしながら飛ぶ?」


「ええ、そうね、それでいいわ」



でも彼女が驚いたのはほんの一瞬で、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ってしまった。ああ残念。
死ぬんだからもっと新しい一面見たいのに。





バタン。


扉を開ける。向かうは屋上。
飛び降りるなら、なるべく高いところから。
俺は高いところ好きだしね。


二人で階段を上る。
薄暗い蛍光灯、表情の読み取れない顔、重なる足音。



「驚いたわ」


彼女が口を開いた。


「なにに?」
「普通は軽蔑する筈なのに貴方が私と飛ぶらしいから」


屋上の扉を開ける。
ギィ、と重たい音がして、冷たい風が頬を撫でた。


「別に、波江とならいいかなって」


さりげなく呼び捨てに成功。なんかもうやり残したことないかも。

静ちゃん殺せなかったのはあれだけど。



「そう」




フェンスを越えて縁に立つ。少し前屈みになれば直ぐに飛べる所。


脚が竦んだ。俺って結構怖がりかもしれない。


愛してるって囁いて、キスをして、抱き合いながら
彼女は俺の言ったように、俺の服の襟を引っ張って口付けた。


それはそれはやさしいくちづけだった。


一瞬驚いて目を開いてしまったけど、そのあと彼女の腰に手を添えた。彼女も俺の背中に手をまわす。冷たい風の中であるから体の温度の高さがわかった。


数秒の口付けは直ぐ終わり、俺は彼女に良いのかと聞く。
良いわよ。と返事がきて、彼女の睫が伏せられる。


軽いリップ音。口付けをした。


俺は足場を蹴る。


彼女の体は俺に抱かれているから、それに吊られて落ちて行った。






 ああ


 これで


 すべてが


 おわるんだ







落ちている間、俺は彼女を力の限り抱き締めていた。
「痛い」と彼女からの文句は無視して。
でもそのあと彼女も抱き返してくれた。ああ、幸せ。


そろそろ地面に着くころなのかな。


遣り残したこと。
静ちゃんを殺せなかったのは非常に残念。
双子の将来も心配。まあきっと大丈夫。
あとは会社との取引とかね、儲かるはずだったんだけど。



「夜の新宿ってほんと綺麗」
「余裕なのね」
「だって建物の光がきらきらしてるから」



最期に会話した人が波江さんでよかったな。


きっと彼女の頭の中は最期まで弟のことでいっぱいなんだろうけど、抱き締めているのも、キスをしたのも、ただ自分の中の虚しさを、弟ではできないから折原臨也という名の別の男で満たそうとしているだけなのだろう。それでもいい。気にはならない。

全ての人間(平和島静雄だけはまじで別)を平等に愛してたはずの俺は、いつのまにか病的に彼女を愛しすぎた。



「波江」

「なに?」

「波江」

「なによ」

「なみえ」



彼女の名前と風を切る音のループ。
きらきらと光る夜の新宿のネオン。
闇の中の彼女と自分。愛するものだけの空間。


なんて居心地のいい空間。




「なみえ」

「さっきからなに?」

「いちどでいいからおれのことなまえでよんでよ」

「どうして」

「いいじゃない」



もう一度、彼女の口唇を奪ってみた。
抵抗はなし。いやはやありがたい。


地面が見えた。そろそろだ。





「いざや」




彼女のその声はとても心地よくて幸せだった。
愛しい人の声。いま、人生で一番しあわせかも。
もうすぐ死ぬんだけどさ、あと多分6メートルくらい。




「ねえ、なみえ」


「なによ」

















「      」




















彼女とお揃いのマグカップと、汚い俺らの心を具現化したようなコーヒーの染みがついた双子からもらったカーペット、片付けるの忘れたな、なんて思ったときには、コンクリートの地面に身体は叩きつけられてて、世界は色を失って、痛みも苦しみもなくて、誰かの叫び声が聞こえて、そばに彼女がいて、俺は微笑んで、意識が飛んだ。









俺の人生最期の「愛してる」は彼女に届いただろうか


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