01




燦々と降り注ぐ太陽の光が、きらきらと水面を反射している。
空を映し出したかのような潔いブルーが輝いて、綺麗だなぁ、と率直に思った。
プールサイドに腰をかけたまま、静かに足を水の中へと投じる。
まとわりつくように湿った暑い真夏の日に、ちょうどよい冷たさだった。

「滴、大丈夫?」

横から案じて顔を覗き込んでくるのは、幼馴染であり親友であり、クラスメイトでもある松岡江。
彼女とは恐らく生まれた時から一緒で、家族同然でもある。
滴は微かな震えを押し殺し、不安を取っ払うためにも、自分自身に言い聞かせるように強く頷いた。

「うん。大丈夫」

江が先に水の中へに入っていくのを視界の端で見た後、自らも後に続いた。
一瞬、身体が一気に沈んでいく感覚に恐怖し、力が入る。
肩まで水が押し寄せると同時に無事に足が底に着くと、緊張から解放され、強張っていた身体から力が抜けていった。
安堵の溜息が深く漏れる。
そんな滴の周りでは、何事もなく水を楽しむ姿がほとんどである。

「まだ怖い?」
「いや、大丈夫! ……って言いたいとこだけど、入る瞬間はまだちょっと怖い、かも」

プールサイドに手を置いたまま肩を竦め、小さな溜息を吐く口をへの字に曲げる。
滴はまだ赤ん坊同然だった頃、誤って水の中に落ちて溺れたことがある。
その時のことはほとんど記憶にないのだが、水に対する底知れぬ恐怖だけは、強く根付いてしまったのである。
少なくとも小学校に入ったばかりの頃までは、今のように水に入ることなんて不可能だった。
そんな滴の事情を知る江は、うーんと渋い顔で自分のために唸る。

「やっぱり完全に克服するのは無理なのかなぁ」
「ここまで平気になっただけでも、かなりの進歩だよ……」

かつての自分を思い起こせば、よく頑張ったと自らを褒め称えてやりたくなる。
そりゃあ、何事もなかったかのように泳げるようになるのが理想ではあったけれども。
しかし、もういいのだ。
こうして水に入れるようになったのも、恐らくもう二度と会うことはないだろう彼のおかげだから。
江と同じ赤が目を引く彼のことを思い出して、なんとなく心に影が落ちた。



生まれた時から一緒だったのは、江だけではなかった。
彼女のひとつ年上の兄、凛。
そもそも松岡家とは、家族ぐるみで親しく付き合っていたのである。
今は亡き母がまだ元気に生きていた頃、可愛い我が子自慢を松岡の母としていたくらいには仲が良かった。
出版会社に勤めている父は、その頃から県外への出張に駆り出されたりと忙しく、母ひとりでは大変だと松岡家にはよく世話になったらしい。
赤ん坊の頃の記憶なんて全く残ってはいないけれど、自我が形成された頃には既に、兄妹は滴にとっても家族のような存在になっていた。
三人で遊ぶのは当たり前で、たまに親も交えてどこかへ出かけたりもして、毎日が楽しかった。
凛も江も賑やかで、優しくて、温かくて、大好きだった。
彼らの父親が亡くなった時も、滴の母親が亡くなった時も、三人はずっと一緒に支え合ってきたのだ。


「凛おにいちゃん、すごーい!」

ただの好奇心で、時折、彼の通うスイミングクラブについて行くこともあった。
彼の泳ぎを見ては、毎回のように感動した。
まるで海を泳ぐ魚のような自由さに、そして力強さに憧れて。
そんな彼がいたから、水への恐怖心を少しでもなくしていきたいと思えたのかもしれない。

「凛おにいちゃんすごいよ! かっこいい!」
「へへっ、ありがとな」

興奮を抑え切れないままに素直な気持ちを伝えると、少し照れたように、屈託なく笑う彼。
なんだかとても眩しく見えて、ますます胸が熱くなって、顔が綻んだ。

「あたしも、おにいちゃんみたいにおよげるようになりたい!」

そう続けた瞬間、凛の表情が弾けるように明るくなった。

「ほんとか!?」
「うん!」
「だったら、おれが滴をおよげるようにしてやる! みずなんかこわくないって、おもわせてやるからな!」

少し荒々しく頭を撫でてくれるその手が、大好きだった。
とても嬉しくて、胸がくすぐったくて笑みが零れる。
その時の滴の中で憧れ以外の感情も生まれていたが、それがどういったものなのか、まだ幼い滴には理解できてはいなかった。


しかし、彼への憧れだけで、そう簡単に根深く植え付けられたトラウマを克服できるはずもなく。

「ううう、やっぱりこわい! むりぃ!」
「だーいじょうぶだって! おれがちゃんとついてるから」

プールサイドで尻込みする滴に、プールの中で宥めの言葉をかけながら手を広げる凛。
かれこれ数十分、この状況が続いている。
静かに揺らぎながらどこまでも深い青を見ていると、吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう。
落ちたらそのまま呑まれて、もう戻って来れないかもしれない。
妄想だけが進み、恐怖心が滴の身体を蝕む。
それでも、凛は諦めずに優しい声をかけ続けてくれている。
彼を信じたいという思いと、縛り付ける恐怖心との間で、心と目が揺らぐ。

「ほんとに? ほんとにだいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ! おれのこと、しんじて」

真っ直ぐに向けられる彼の眼差しに、僅かな揺るぎない信頼を手繰り寄せて。
ようやく強く決心して、思い切ってその胸に飛び込んだ。
大きく跳ねる水飛沫。
身体が水に呑まれた瞬間、奥底から溢れ出す恐怖心で頭が真っ白になった。

「ひっ……!」

悲鳴をあげそうになった瞬間、強く腕を引かれ、身体をしっかりと受け止められた。
冷たい水の中でもその温もりは確かに感じられて、ひどく安心した。

「あ……」
「な、だいじょうぶだろ?」

にっ、と尖った歯を見せて笑う彼のおかげか、不思議と恐怖心が薄れていた。
彼が一緒なら、水の中だって平気。
そんな風に考えられることが嬉しくて、水に触れているのが楽しくなった。
こんなことは初めてである。

こうしてまだ少しの抵抗はあるものの、彼の特訓のおかげで、プールで軽く泳げるくらいには克服できたのであった。
全ては、大好きだった彼のおかげ。
その彼とはきっと、もう二度と会えない――長年に募る後ろめたさが、今も滴の心の底に重く積もっていた。


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