15




視界が遮られ、真っ暗闇の中で。

「チッ。友達って、男かよ」
「最初からそう言えよな」

決まりが悪そうな男たちの声は、それきり聞き取れなくなった。
大人しく立ち去ってくれたのだろうか。
聞こえるのは、祭りを楽しむ人々の声や、多くの足音。
ひとまず助かったと安心したいのだが、それより今は滴の目を覆っている彼の手が気になるばかりで。

「……あ、あのー」
「お前、何いっちょまえにナンパなんかされてんだよ。つか、お前ひとりか?」
「江たちと一緒だったんだけど、はぐれた上に携帯忘れてきちゃった」

耳元で不満げに語りかけてくる彼に、内心でひどく緊張しながら苦笑いで答えると、ようやく視界が開けた。
ひどく不機嫌な凛の顔が大きく映し出されて、思わず怯んでしまった。

「……まあいい。ちょっと付き合え」
「えっ。あっ、ちょっと!」

彼は少しの間だけ思案した後、突然、滴の手を掴んで歩き出した。
慌てて足を動かすも、彼は早足で進み、更には脚の長さに差がある分、半ば駆け足になり、縺れそうになる。
慣れない下駄で歩きづらく、付いて行くのにも必死で、気を抜けば転んでしまいそうだ。

「あ、あのっ、ちょっと待って!」

しかし、彼は振り向きもせず、ひたすら人混みの中を突き進むばかり。
昔は歩幅を合わせて歩いてくれたのに、なんて一瞬でも回想をしては気分が沈む。
繋がれている手も、どこか冷たく感じるのは気のせいか。
昔とは違う大きく骨張った手に、空白の年月の長さを感じてしまう。
ぼんやりと、物思いに耽り出した途端。

「うわっ!」

人の肩に思いきりぶつかり、とうとう足が縺れてバランスを崩してしまう。
そのままよろけて、前へ倒れそうになる。

「あっ!」

思わず繋がれた手を強く握ってしまう。
すると、背を向けていた凛が手を繋いだまま身を翻し、滴の体を受け止めた。
厚い胸板に顔を埋める態勢になり、ほんのり顔に熱が帯びる。
腰に回された腕が強く巻き付けられ、たじろぎつつ慌てて離れようとしても、逃れられない。

「りっ……!」
「何だよ……やっぱりお前、俺がいなきゃダメなんじゃねーか」

顔を上げて、息を呑んだ。
凛の瞳に、切なさと淡い優しさが滲む。
凛の名を呼ぼうとしたが、先日の彼の言葉を思いだし、唇を噛み締める。
頭に浮かんだのは、とてつもなく距離を感じる呼び方で。

「……松岡、くん」

恐れながらもそれを口にした瞬間、何かが崩れていくのを感じた。
凛の顔が悲哀に染み、怒りと苦しみに歪められた。
こちらの胸が締め付けられるくらいに、彼の感情がひしひしと伝ってくる。

「お前っ……俺がいないとダメなくせに、俺を拒絶してんじゃねぇよ!」
「いっ……!」

肩を彼の指が食い込むくらい激しく掴まれて、みしみしと骨が軋む。
だけどそれ以上に、彼の激情に呑まれて、苦しかった。
嗚呼、自分が彼をこんな風にしてしまったのか。
きっと彼の方が泣きたいはずなのに、視界が霞んでいく。
熱い涙が、溢れだしていく。
思えば彼がオーストラリアから帰国して再会してから、彼に涙を見せるのは初めてだった。
凛は驚き目を見開いて、滴の肩から手を離した。
その手は小さく震えていた。
そしてばつが悪そうな顔をして、目を逸らす。

「もういい。江には俺から連絡しとくから、ここ離れんじゃねぇぞ」
「あっ」

踵を返し、祭りの会場を離れて行ってしまう凛。
慌てて手を伸ばすも、その背に届くことなく、虚しく下りていった。
茫然と、夜闇の中に消えていく背中を見つめる。
上手く息ができないくらい泣いて立ち尽くしていると、足音がすぐ傍まで近付いてきた。

「瀬良さん!」
「竜ヶ崎!」

振り返り、ぎょっとした。
慌てて手の甲で涙を拭いて、無理矢理泣き止むと、まじまじと彼を見る。
どうやら一人のようだ。

「な、なんでここに?」
「凛さんを遙先輩に会わせないように、尾行していたんですよ」
「そっか……」

今、遙と凛を会わせるのは、遙の精神状態から良くないと判断したのか。
先日のフリーの大会を思い出す。
つまり、怜は凛の後をずっと追っていたわけで。

「ひょっとして、全部見てた感じ?」
「……すみません」
「別に、謝らなくてもいいんだけどさ」

気まずそうに目を逸らす怜に、軽く苦笑してみせた。
しかし、情けないところを見られた。
何だか気恥ずかしくて、心地悪くて仕方ない。

「……あの、瀬良さんも一緒に行きませんか?」
「えっ?」
「凛さんの尾行です」

彼はあえて何も聞かず、誘ってくれた。
このまま江のところに戻っても、祭りを心から楽しむ余裕はないだろう。
少し思案した後、滴は頷き、誘いに乗ることにした。


ふたりが後をつけていくうちに辿り着いたのは、凛が一年間、遙たちと過ごした小学校。
そして、小学校のプールを見つめる凛の姿は、まるで何かに苦しみもがいているように見えた。
そんな彼に手を差し伸べられない自分が、歯がゆくて憎かった。


 

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