13




昼食を終えた滴は、二人分の食器を流し台まで運ぶ。
蛇口の取っ手を上げて水を流し、スポンジに含ませた洗剤を泡立てながらも、思考を巡らせる。
今頃、江たちは無人島で合宿中だ。
事の発端は、江が発見した、昔の水泳部が残した合宿の記録だった。
中には、恐ろしい内容が書かれていた。

「海でひたすら泳ぐなんて、無茶だよ」

泡立ったスポンジで皿を撫で洗いながら、思わず独り言を溢す。
無人島から無人島までの距離を泳ぐ、遠泳特訓。
確かに持久力は鍛えられるだろうが、あまりにも危険かつ壮絶である。
想像しただけで、気が遠くなる。

「滴は行かなくてよかったのか?」

居間のソファーから、新聞を読みながら寛ぐ父が話しかけてくる。
休暇中とあって、気楽なものだ。

「あたし、部員じゃないし。それに、お父さんをひとり家に残す勇気もないし」
「信頼ないなぁ」
「信頼してほしかったら、ちゃんと家事できるようにしてよ」
「はは、返す言葉もない」

反省して苦笑う父の声が飛んでくる。
そうは言いながら動こうとしない辺り、口だけなのだ。
とはいえ、いつも仕事に追われている父のことを思えば、休暇中くらいは休ませてあげたい。
そもそも母が亡くなってから、人の手を借りながらもひとりでここまで育ててくれた父に、文句などあまり言いたくない。
果たして、自分は父を残して結婚できるのだろうか。
まだ高校一年生だというのに、そしてまだ相手もいないのに、将来は不安だらけである。
洗い終わった皿を拭き、棚へと片付けていると、父が声をあげた。

「あぁ、そういえば」
「何?」
「この間の花束の正体、わかったぞ」
「えっ?」

動揺して思わず手を滑らせ、危うく皿を落としそうになった。
更に父の口から語られたのは、驚くべき事実で。

「凛くんが朝から墓参りに来てたそうだ」
「えっ……なんでお父さんがそんなこと知ってんの?」
「凛くんと会ったんだよ。いやぁ、随分と大きくなったなぁ。すっかり大人の男だ」
「ふ、ふーん」

気まずさから、父の顔を見れずにいた。
まさか、本当に凛が母の墓参りに来てくれていたなんて。
嬉しい反面、父と話をしていたことに驚いた。
自分とはまともに会話してくれないのに。
やはり自分は嫌われているのかもしれないと、気分を沈ませる。

「ひょっとして、まだ喧嘩中なのか?」
「うっ」

図星を突かれ、声が詰まった。
鈍いように見えて、なかなか勘の鋭い父である。

「……別に、喧嘩じゃないし」
「凛くん、滴のこと気にかけてたみたいだぞ?」
「えっ」
「いい加減、仲直りしたらどうだ」

父にまでこんなことを言われてしまうなんて。
こっちだって、できるものならとっくにしている。
父の言うことが本当なら、どうして凛はあんなに冷たい態度を取るのだろうか。
考えたところでわかるはずもなく、胸がもやもやして気分が悪かった。



水泳部は合宿から帰った後も、厳しい練習をこなしていた。
大会に向けて、少しの悔いも残らないように。
滴には度々、差し入れを持って応援に行くことしかできないが、それでも喜んでくれる彼らにむしろ元気付けられる。
そんな彼らがベストを尽くせるように、願うばかりだった。

そして迎えた、県大会。
滴は家での用事を済ませてから、遅れて会場に駆け付けた。
まずは、遙が出場するフリー。
応援席に着く頃には既に始まっていて、遙と凛が隣同士で泳いでることに気付くのに、少し遅れてしまった。
耳を覆い尽くすほどの声援の中、彼らは力強く、激しく、水の中を突き進む。
滴は声をあげることなく、ただただ食い入るように見入っていた。

「あ……」

遙と凛の手が壁に届いたのは、ほぼ同時のことだった。
結果が映し出されるまでの緊張感に、無意識に手を握り締めていると、判定が出た。
勝者は――凛。
あれだけ遙に拘っていた凛が、勝ったのだ。
兄のような存在である彼が勝利を手にしたことは、素直に喜びたい。
だけど、水の中で力が抜けたように呆然と立ち尽くす遙の姿を見て、どこかで応援している仲間たちの心境を想像して、喜べるはずがなかった。



遂に、遙に勝った。
念願だった。
その事実だけが、凛の胸を晴らしている。
じわりじわりと広がっていく喜びに体を震わせ、観客席を見渡した。
数多くの人の中に滴を見つけて、鼓動が速まった。
今なら、素直に抱えていた思いをぶつけられる気がして、早く会いたいと思った。
しかし目が合ったと思った瞬間、彼女は顔を逸らした。
まるであの時――小学生時代、最後の大会で優勝した瞬間のように。
途端に、苛立ちが込み上げてきた。
滴はいつだって、見ていてほしい時に見てくれない。
応援していると謳っておきながら、欲して手を伸ばせば拒絶する。
そして、今、彼女が見ているのは遙。
スイミングクラブで再会した時のように、裏切られたような気がして、腹の底から熱いものが煮えたぎった。


 

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