T



書棚には考古学に関する文献や資料がずらりと並び、床には大量の新聞が積み上がっている。
遂には重みが傾いて崩れてしまっている束もあり、足場は少々悪い。
人によってはガラクタにしか見えないであろう代物があちこちに飾られ、半ば散乱しているこの研究室は、お世辞にもきれいとはいえない。
そんな部屋にあるデスクの椅子に腰をかけ、一息つく教授――その名も、エルシャール・レイトン。
上品に甘く香る紅茶の淹れられたティーカップを片手に、新聞を机の上に大きく開いていた。
もちろん、彼が読んでいるのはロンドンタイムズ。
自身もよく世話になっている新聞社である。

「ん?」

様々な記事が紙面を彩る中で、レイトンは一つの小さな記事に目を留めた。
決して目立つことのない、片隅の記事に。

『ノエル家の令嬢、失踪』

そんな見出しの下に、小さな文字がびっしりと並んでいる。
ノエル家とは、確かロンドン郊外の小さな町に住む大富豪だったはずである。
スコットランドヤードは、これを誘拐事件として捜査しているらしい。
物騒な世の中になったものだ、なんて思いながら、紅茶を一口。
ふと、時計に目を向ける。
そろそろ弟子を名乗る少年がこの部屋を訪れる頃だ。

――コンコン。

非常にいいタイミングで、小気味のいい軽やかな音が、扉の向こうから鳴って聞こえた。
それを合図に腰を上げ、少年を快く出迎える。

「やあ、ルーク。よく来たね」

まだまだ幼さの残る少年は、年相応のあどけない笑顔で、しかし歳のわりにしっかりとした口調で挨拶した。

「こんにちは、先生」

レイトンは少し視線を上げると、ルークの傍に立つ人物の存在に気づく。
セピア色の長い髪と蒼色の瞳の見知らぬ女性。
知らないはずなのに、その顔をどこかで見たような気がした。
そう、先程、新聞の小さな記事に載っていた――

「ルーク、そちらの女性は……」

レイトンは少々困惑しつつ、冷静を装って少年に尋ねた。







「あー、つまらないわ!」

ルイスはごろりと柔らかいベッドに寝転がり、うんと体を思いっきり伸ばした。
日々、同じことの繰り返し。
これっぽっちの刺激も何もない日常には、すっかり飽き飽きしていた。
財産なんていくらあっても、退屈はしのげない。
何か、この旺盛な好奇心をくすぶるような出来事は起きないのだろうか。
積み重なる不満を胸に溜め込み、うんざりとしながら傍に置いていた今日の朝刊を手にした。
外では、こんなにもたくさんの出来事が起こっているというのに。
内心でぼやき、ため息をこぼしながら新聞を広げてみた。

「あら?」

ルイスの視線は一面に引きつけられた。
山高帽を被ったとある考古学者の写真が大きく載っている。
何か凄い発見でもしたのだろうか、好奇心が小さく疼きだし、期待に胸をおどらせながら先を読んでみる。
しかし、そんな期待は良い意味で裏切られた。

「エルシャール・レイトン……面白そう」

興奮を抑えきれずにぽつりと呟く。
その表情は実に、好奇心に満ち溢れていた。
ナゾを愛し、難事件をいくつも解決してきたというこの考古学者。
ぜひとも会って話を聞いてみたいと、不思議なくらいに欲求が膨れ上がっていった。
今現在、父も母も出かけている。
このつまらない日常を抜け出すのなら、チャンスは今しかない。
そうと決まれば、ルイスは即座に行動に移した。
使用人たちに気づかれないように、急いで旅支度をし、そしてこっそりと家を抜け出して、ひとりでロンドンへと旅立ったのであった。



思い立ったらすぐ行動してしまうルイスは、さっそく、レイトン教授が勤めているグレッセンヘラーカレッジに遥々やって来た。
大きな校舎、あちらこちらに行き来したりたたずんでいる学生や教授たち。
勉強は親が呼んだ家庭教師に見てもらっており、学校なんて通ったことがないルイスにとって、どれも新鮮な風景ばかりであった。
だから、どうすれば教授に面会できるのかなんていうのも、全くわからない。
建物の入り口辺りで困り果てていると、青を身にまとった小さな少年に声をかけられた。

「あれ、あなたは!」

少年は驚いて目を真ん丸にし、ルイスを食い入るように見上げた。
ルイスは少年のことなどこれっぽっちも知らないので、当然、怪訝に首を傾げる。
すると、この小さな少年はとんでもないことを口にした。

「ルイス・ノエルさんですよね? 今朝の新聞に載っていた、行方不明になったって――むぐっ」

慌てて少年の口を思いきり塞いだ。
勢いのあまり力が入り過ぎたせいか、少年は息ができずに苦しそうにもがいていた。
さすがにこれはまずいと手を離してやると、少年は大きく息を吸って肺に酸素を送り込む。
顔を真っ赤にし、涙を浮かべた目で訴えてきた。

「い、いきなり何するんですか!」
「ごめんなさいね、私の正体が周りに知られたらちょっと不都合なの」

手を合わせ、苦々しく素直に謝罪する。
すると、少年は意外にもその理由というものに興味を示してきた。

「不都合ですか? まさか、誘拐犯から逃げてきたんじゃ!?」
「違う違うっ」

再び騒ぎ出す少年に、シーッと人差し指を立てて咎めると、少年はすぐに口をつぐんだ。
また口を塞がれると思ったのだろうか。

「私、エルシャール・レイトンっていう教授に会いに来たのよ」
「先生にですか」

なんだ、と肩の力を抜く少年。

「あら、知り合いなの?」
「ボクは先生の助手ですからね」

胸を張って誇らしげに自称する少年の言葉が本当なら、好都合である。
ルイスはかがんで自分より低い視線に合わせる。

「じゃあ、レイトン教授の所へ案内してくれないかしら。訳は後で話すわ」
「勿論です。任せて下さい」

頼んでみると、可愛らしい小さな助手は快く頷いてくれた。
少年に出会えたことを幸運に思いながら、機嫌良く先を行く小さな背中を追った。

「ところで、あなた、名前は?」
「ルークです!」

その背中に問い掛けてみれば、少年は顔だけ振り返って元気良く返した。
こんな弟がいたらきっと毎日も楽しくなるだろうに、とついつい空想してしまう。
ぼんやりと思考を巡らせていると、前を歩いていたルークが急に立ち止まり、我に返ったルイスも慌てて足を止めた。

「この部屋です」

ルークは言いながら、ドアをノックした。
遂に会える時が来るのだ、山高帽がトレードマークの不思議な考古学者に。
期待に胸を膨らませていると、扉がゆっくりと開いた。
中から現れたのは、つぶらな瞳の、まさに写真通りの英国紳士だった。

「やあ、ルーク。よく来たね」
「こんにちは、先生」

彼はルークと挨拶を交わした後、少ししてからルイスに気付いた。
何故だかルイスを見つめたまま固まってしまった。
それは、何か思案している様子で。
しばし沈黙が流れた後、彼はようやく躊躇いがちに言葉を発した。

「ルーク、そちらの女性は……」
「先生も今朝の新聞見ました? あのルイスさんなんですよ!」

彼の言いたいことを察したルークは興奮をそのままに、目をキラキラ輝かせてレイトンに伝えた。
知らない間によほど有名になっていたようである。
ルイスは令嬢らしいどこか気品のある、しかし飾らない笑みを浮かべ、軽い挨拶と自己紹介をした。

「初めまして、レイトンさん。ルイス・ノエルです。私のことはルイスと呼んでください。あなたのことは新聞で存じてますよ」
「それは光栄なことだが……何故、君が?」
「それは……ちょっとここだとまずいので、中でお話します」

動揺を隠せないレイトンに苦笑いを浮かべて答えると、部屋の中に招き入れられた。
中に入り、扉が閉まって、ようやくほっとひと息ついた。

「君、ハーブティーは好きかい?」
「あ、おかまいなく」
「いや、茶もなしに客人を招き入れるわけにはいかないよ。英国紳士としてはね」

優雅に振る舞う彼は、ルイスが想像していた以上の人間だった。
内心、感激していると、促されて座ったソファーの隣でルークが自分のことのように得意げに話す。

「先生の入れるハーブティーは格別なんですよ」
「では、お言葉に甘えて」

そんな風に言われてしまうと気になるので、厚意に甘え、期待して待つことにした。
レイトンが紅茶を淹れに行っている間、ふと部屋を見回してみる。
さすがは考古学者というべきか、よくわからない石像やオブジェなどが置かれていた。
大量の本が本棚、机の上、そして床にまで散らばっている。
ドアの近くには予備のシルクハットまで。

「……すごい部屋ね」
「やっぱり、ルイスさんも思います?」

ルイスが目を瞬かせ、呆然と呟くと、ルークがこっそりと話しかけてきた。
助手である彼でさえ、この部屋には圧倒されてしまうらしい。
やがて、レイトンがティーセットを運んで来た。
目の前に置かれる紅茶を見て、ルークは目をきらりと輝かせる。

「今日は『レイトンスペシャル』ですね!」
「せっかく私を訪ねて遥々やって来てくれたみたいだからね」

笑みを浮かべるレイトンと、ルイスの目が合った。

「それで、君がこうしてやって来た訳は話してくれるのかね?」
「あぁ、そうでした」

促されたルイスは思いだしたように頷き、本題に入った。
その後に見たものは、あんぐりと口を開けるレイトンとルークの姿だった。




- 1 -


[*前] | [次#]
ページ:






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -