07



シャワーで汗と体に溜まった疲れを洗い流し、着替えて力なくベッドに身を投げる。
こうして仕事から解放された時、必ず脳裏に浮かぶのは優衣のことだった。
彼女の声、仕草、温もり。
どんなに離れていても、どんなに会えなくても、鮮明に思い出すのは容易なことだった。
ただ思い出せば必ず、今まで経験したことないくらいに気持ちが昂り、熱いものがじわじわと胸に広がる。
そして、言い様のない苦しみを味わうのだ。
この気持ちの正体を知ったのは、一ヶ月前、優衣と最後に会った時。
それは知ってはいけない、持ってはいけない感情であり、彼女と距離を置くようになった原因だった。

『恋愛禁止令』

ファンに夢を売るのが仕事であるアイドルとしては、当然のこと。
恋なんて錯覚で、愛なんて幻想の産物。
今までくだらない感情だと軽蔑し、またその軽蔑してきたものによって自身の夢を壊すほど愚かではないと、自負していた。
それが、呆気なく狂わされてしまった――彼女という存在に。
最初は理解者であり、友人だった。
それなのに、彼女の優しさを、温かさを知る度、知らず知らずのうちに心を寄せていた。
彼女への愛しさに気付いた時、トキヤは戸惑いと畏怖を抱いた。
これ以上、彼女への愛を知れば、もう元の自分には戻れないと思ったからだ。
だから距離を置いた。
これは一時の気の迷いで、しばらくすれば落ち着くだろうと。
しかし、逆に、もう手遅れなのだと思い知ることとなった。
彼女の存在は自分が思っていたより大きくなり、掛け替えのないものとなっていたのだ。

「優衣……」

呟いた彼女の名が、切なく暗闇に消える。
彼女に会えないことが、こんなにも苦しく虚しいことなのか。
しかし、こうして初めて出逢う感情たちが、自分の歌を彩るようになったことに気付いたのは、最近のことだった。
優衣と出逢ってから、レッスンで褒められることが増えた。
歌に感情が吹き込まれるようになった、歌詞を本当の意味で理解できるようになってきたと。
それは全て彼女への想いが源となっており、彼女に向けているこの愛こそが、今までの自分に足りなかったものだったのだと気付いた。
彼女という存在が、道を切り開いたのだ。
一ノ瀬トキヤというアイドルには、もはや春日優衣という存在は必要不可欠。
それならば、夢のために彼女を諦めるのではなく、夢のために彼女を求めなければならないのではないのか。
灯りのない部屋で、ベッドに身を預けて闇を見つめながら、体中に駆け巡る熱情と決意を抱いた。




『今すぐ、会いたい』

今まで散々放ったらかしていたというのに、こんな唐突で身勝手なメールにさえ、彼女は応えてくれた。
学校帰りに駆け付けてくれた彼女を、細心の注意を払って事務所の寮へ招き入れた。
こんな風に部外者を寮に連れ込んだのは、もちろん初めてである。
今までの自分なら絶対になかっただろうが、それも全て、トキヤの覚悟からの行動だった。

「本当に、いいんでしょうか」
「問題ありません。さあ」

自室の扉を開けて促せば、やはり躊躇う様子を見せながらも優衣は中に入った。
トキヤもその後に続き、扉に鍵をかける。

「こ、ここが、一ノ瀬さんの部屋……」

部屋の中に入ると、落ち着きなく辺りを見回す優衣。
その表情にさえ懐かしさを覚え、久々に彼女を見た時からずっと抑え込んでいた衝動が、トキヤを突き動かす。

「えっ、い、一ノ瀬さんっ?」

ふわりと、優しく背後から包み込むと、彼女の肩が竦んだ。
驚き、ひどく慌てているのが顔を見ずとも伝わった。
久々に触れた温もりと、そんな相変わらずの反応に安心して、そのまま肩に顔を埋めると、ぴくんっ、と肩が跳ねた。
擽ったいのだろうか、小さく身を捩っていたが、次第に落ち着きを取り戻していた。

「あの……えっと、お仕事、お疲れ様です」

久々に聴いた声は、枯れ果てそうになっていた心を満たしてくれる。
彼女の優しさは、傷だらけの心を癒してくれる。

「全然連絡なくて心配してたんですけど……でも、大丈夫そう? で、安心しました」
「……全く、大丈夫などではありませんでしたよ」
「えっ?」

そっと抱きしめていた腕を解き、目の前に立つ。
彼女の頬を手のひらで包み、その揺れる瞳を見つめると、胸の鼓動が高鳴った。

「この一ヶ月、君に会えないことがこんなにも苦しいものなのかと、思い知りました」
「一ノ瀬さん……?」
「やはり私には、君が必要だったんです。他でもない、君という存在が」
「あのっ……それって……」
「私は、君を心から愛しています」

胸の内に閉じ込めていた想いを、ずっと伝えたかった言葉にして舌に乗せた。
優衣の表情が驚きに染まり、大きく目が見開かれた。

「すみません。この一ヶ月、一切連絡を取らなかったのは、君への感情を整理するためだったんです」
「え……?」
「君とは、心を許せる友人でいたかった。それなのに、君の隣はとても居心地が良くて、君を知る度、君が愛おしいと思うようになってしまったんです。アイドルとして、人を好きになることがあってはいけない。いつか、君を不幸にしてしまうかもしれない。だからこれ以上、君を好きにならないよう、距離を置いていたんです」

次第に潤む瞳はあまりにも澄んでいて綺麗で、吸い込まれそうになる。
もう片方の手のひらも、その頬を包んで。

「でも、離れて余計に思い知りました。君は私にとって、掛け替えのない存在なのだと。そして君への愛が、私の歌を育んでいっていたのだと。だから、もう我慢しないことに決めたんです。君を、こうしていつまでも独占していたい。君の全てを私のものにしてしまいたい。こんな私の愛を、受け入れていただけますか?」
「……なん、で……」

優衣は眉を寄せて苦しげに顔を歪ませ、不安定な声で呟いた。
溢れる涙は頬へ落ち、トキヤの手を濡らしていく。

「あなたとあたしは、住む世界が違います。あなたは、あたしなんかには勿体ないくらいの人で……だから、好きになっちゃいけないって、あたしなんかが好きになったら駄目なんだって、ずっと思ってたのに……なんでそんなこと、言うんですかっ……!」

彼女もまた、自分と同じく思い悩んでいたのだと、彼女の瞳を見て知った。
彼女を苦しめていたことへの罪悪感と同時に、歓びも感じていた。
今まで傷付けていた分、この手で彼女を癒してやりたくて、彼女の頭を胸に抱き寄せ、そっと撫でる。

「言ったでしょう、君でなければいけないんです。君は、私の心を虜にするくらい、魅力的な人ですから」
「一ノ瀬さん……すき、です。あたし、一ノ瀬さんのこと、好きになっちゃいました。いけないって……思ってたのにっ……!」
「私を好きになってくれて、ありがとうございます」

精一杯伝えてくれる彼女に、胸が温かくなって、自然と頬が緩んだ。
そして、大事にしたいという思いが強く心を揺さぶった。

「そうだ、優衣……名前を、呼んでくれませんか」
「え?」
「トキヤと、呼んでいただけませんか」

きょとんと見上げるその目に強く懇願すれば、しばし優衣は目をぱちくりと瞬かせ、涙で濡れた頬を赤く染める。

「そ、そんなっ……む、無理、です……」
「私たちはこれから恋人同士になるのですよ?」
「こっ、恋人……!」

改めて口にして、ますます顔が赤くなる。
そんな初々しい反応が愛らしくて、少し意地悪をしてやりたくなった。

「どうしたんです。こうなることを望んでいたのでしょう?」
「それは……そう、ですけど……」
「それとも、私の名前は呼びたくないと?」
「ちっ、違います!」
「だったら、呼べるでしょう?」

ついつい少々調子に乗って、追い詰めてしまう。
優衣は困ったように目を泳がせ、しばらく躊躇いを見せた後。

「うう……ト、トキヤ……さん……」
「よくできました」

照れながら控えめに呟いた彼女に、満足してまた頭を撫でてやった。
それだけでは足りず、彼女の唇に触れようと顔を近付けた――のだが、優衣が慌てて抵抗しだした。

「だ、だめ、ですっ、トキヤさんっ」
「何故ですか」
「恥ずかしいから、だめ、です!」

必死に首を横に振る姿が可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまう。
さすがにこれ以上、苛めるのは可哀相だと思って、こちらから折れてやることにした。

「仕方ありませんね。まあ、時間はたっぷりありますから、ゆっくりと慣らしていきましょう」
「……はい、お願い、します」

優衣はこの先のことを思ってか、肩を竦めた。



 

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