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HAYATOとしてではなく、一ノ瀬トキヤとして――

そんな思いで、社長であり学園長であったシャイニング早乙女に誘われるがままに、早乙女学園で一年間やってきた。
そこで友ともライバルとも呼べる存在達と出会い、歌の技術を必死になって研いてきた。
卒業オーデションで優勝すれば、シャイニング事務所に正式に所属し、一ノ瀬トキヤとしてデビューすることができる。
HAYATOという己を縛り付ける存在から、解放される時が来る。
そう信じてきたのに、現実はそう甘くはなかった。
優勝したのは自分ではなく、一十木音也と七海春歌のペアだった。
音也とは学園時代の寮の同室であり、決して口には出さないが最大のライバルだった。
入学当初はリズムも音程もまるででたらめ、技術に関してはトキヤのものには到底及ばないレベルだった。
しかし、彼は自分にはないものを持っている。
それを武器として一年の間にパートナーと共に成長し、デビューを果たしたのだ。
ありのままの自分を貫き通せる彼が、酷く悔しくも、羨ましかった。
比べて自分は、結局のところ、アイドルとして何も変わりはしていない。
事務所の定めるがままに偽りの自分を演じ、ファンを、世間を騙し続けるアイドル。
仕事中だけでなく、ほんの僅かな休憩の間も、移動中も。
下手をすれば一日中、HAYATOを演じなければならない時だって多々ある。
過密なスケジュールの中、満足に歌も歌わせてもらえない。
そうして心身共に力を削られていき、とうに己の限界など超えていた。
歌っていても楽しさを感じられない。
自分の歌に心がないと言われても、もはやそれが理解できなくなっていた。

『一ノ瀬、後一年だけ待ってやる。もしお前が真の歌を歌えるようになったら、シャイニング事務所でデビューさせてやろう』

卒業オーデションの後、シャイニング早乙女から告げられた。
もし後一年で変わらなければ、一生このまま。
しかし今更、どうすればいいと言うのか。
仕事との両立で時間を削られはすれど、歌の実力はあの一年で散々鍛え上げてきた。
完璧を目指して、やってきたはずなのに。

今日も何も見出だせないまま、シャイニング事務所の寮へ帰ってきた。
デビューはできずとも、一応は準所属として事務所に在籍していることになっている。
後一年で、これからもここにいられるかが決まる。
トキヤは着替えることもせず、重い体をベッドに沈ませた。
もう何もする気も起きない。
今はHAYATOのライブツアーを控えており、他の仕事もこなしながら本格的な練習に励む日々を送っている。
ライブとなると普段以上に体力を使うことになる。
練習で既にこの疲労感、ツアーが始まったらどうなるのだろうと、想像するだけで鬱々しい気分になる。
少しでもこの気分を紛らせるべく、怠い体を起こして鞄を漁る。
HAYATOに、偽りの自分に宛てられたファンレターの数々。
これを見る度、少しの罪悪感がちくりと胸を刺す。
その中で一際目を引いたのが、パステル調で可愛らしいデザインの大きな封筒。
何が入っているのかと開けてみると、のど飴が入った袋と一通の手紙が入っていた。
差出人は、春日優衣。
ひとまず手紙を読んでみると、体中に衝撃が走った。

そういえば数ヶ月前、テレビ局への移動中に名前も知らない少女を助けたのを思い出した。
男達に囲まれて怯える彼女、周りには誰もいない。
時間がなく急いでいたが、あのまま放っておくわけにもいかなかった。
しかし助けたはいいが、彼女はよほど怖かったのか、その場で泣き出してしまった。
仕方なく一言二言と声をかけて、ハンカチを差し出したその時、周りにバレないようにと深く被っていた帽子の下からトキヤの顔を見た彼女は、驚いて。

『HAYATO……さん?』

時間がなく焦っていたのもあって、不覚にも動揺してしまった。
ハンカチを無理矢理渡して早急にその場を去ったが、ひょっとしたらバレてしまったかもしれない。
しかしどうせ赤の他人、それにあの様子だと不用意に周りの人間に話したりはしないと思い、あまり気にしないことにしたのだが。
それが、こんな風に返ってくるとは。

『あの日から、私はHAYATOさんを意識してテレビで見るようになりました。やっぱりあの時の人がHAYATOさんなんじゃないかと思って。それにどうしてもお礼が言いたくて、ひょっとしたら人違いかもしれないけど、お手紙を送らせていただきました。あの時は本当にありがとうございました! ハンカチまで貸していただいたのに、ろくにお礼も言えなくてごめんなさい』

あの時は気弱な印象を受けたが、人違いかもしれないというのにわざわざこんな手紙を送ってくるくらいには、度胸はあったらしい。
そして非常に律儀さと、丁寧さを感じられた。

『HAYATOさんをテレビで意識して見るようになってから、ずっとずっと考えてました。もしもあの助けてくれた人がHAYATOさんだったとしたら、この人はどんな気持ちでテレビに出ているんだろうって』

ぴくり、とトキヤの眉が動いた。

『だって、あの時の人とHAYATOさんじゃ雰囲気が全然違います。もしあの時のあなたが本当のあなただったなら、テレビに出ているあなたはアイドルとしてのキャラクター、なんでしょうか。プロの方にこんなこと言うのも変かもしれないけど、それってすごく大変なことなんじゃないかなって思うんです。HAYATOさんは沢山のお仕事をされているから、休む暇もないんじゃないかって心配で……テレビであなたを見る度にそんなことばっかり考えてしまって、何だかちょっと苦しくなります』

息を呑んだ。
まるで、全てを見透かされたような気分で。
たった一瞬だけ出会った赤の他人なのに、どうして彼女はここまで気に掛けてくれるのか。
先程までとは別の意味で、胸が苦しくなった。

『そういえばもうじきライブですよね。友達がチケットを手に入れてくれたので、私も行けることになりました。きっとHAYATOさんは私のことなんて覚えてないと思います。だけど、一方的にだけど、またお会いできるのがとっても嬉しいです。本当に、楽しみで仕方がありません!』

彼女が、ライブに来る。
言葉を交わせるわけでもないのに、不思議とそれだけで心が救われた。

『きっと練習があったり大変だと思いますが、どうか無理はなさらないでください。陰ながら応援させていただきますね。細やかですが差し入れにのど飴も同封させていただきました。よかったら活用してくださいね』

封筒の中からのど飴の入った袋を出した。
春日優衣――あの少女にまた会いたいなんて、浅はかな願いだろうか。
きっかけは自分のほんの一瞬の隙だが、それでも彼女はHAYATOではなく、一ノ瀬トキヤを見つけだしてくれた。
人違いかもしれないのに、勇気を出して、こうして手紙を送ってきてくれた。
彼女なら自分を理解してくれるかもしれない。
彼女と会えば、今まで見つけられなかったものが見つかるかもしれない。
まずはライブを成功させなければ――彼女の笑顔が見てみたい、そんな思いが膨らんでいく。
トキヤは手紙とのど飴を枕元に置き、再びベッドに倒れ込む。
先程までの重度の疲労感が、気付けば薄れていた。
次第に心地好い眠気に襲われ、せめて夢の中で早く彼女に会いたいと願いながら、そっと瞼を下ろした。


 

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