01




流れる軽快な音楽と、陽気な声を耳にしながら、優衣はテレビの画面を一直線に見つめる。
ソファーで制服のネクタイをきゅっと締め上げながら、人懐っこい笑顔で映る青年を食い入るように凝視する娘に、母は不思議そうな顔をする。

「あんた、そんな番組、真剣に見てたっけ」
「あ、いや……そういうわけじゃないんだけど……」

我に返った優衣はようやくテレビから視線を逸らして、傍らに立つ母を見上げる。
別に、この今流れている番組が特別好きだというわけでもなく、歯切れ悪く曖昧な返答をすると、ますます怪訝な顔をする母。
そんな母の視線から逃げるようにして、優衣は再びテレビの方に視線を戻した。
いつもならこの時間、春日家では違う局の番組が流れている。
それが一変したのは、数日前のことだった。
こうして今、優衣が注目しているのは、大人気の若手アイドル――HAYATO。
かといってそれほど熱烈なファンであるというわけでもなく、テレビで見かけて、普通に格好良いだとか明るい人だとか、そういった印象を抱くだけ。
それだけだったはずなのに、ここ数日、ずっと目を離せないでいる。

(顔や声は似てるんだけどな……でも、キャラが全然違う)

うーん、と心の中で唸り、ひたすら思案する。

きっかけはこの間の日曜日、クラスメイトで親友の瑞歩と一緒に買い物へ出掛けた時のことだった。
たまたま入った服屋でお気に入りの服を見つけ、試着した末に購入することに決めた瑞歩。
レジが混んでいたので、優衣は先に店を出て外で彼女を待っていたのだが、不運にも髪を明るく染めてアクセサリーをじゃらじゃらと着けた派手な男達数人に囲まれ、声をかけられてしまった。
所謂ナンパというやつで、やんわりと断っても男達はしつこく言い寄ってくるばかり。
ついには無理矢理にでも連れて行かれそうになり、恐怖のあまり泣いてしまいそうになった、そんな時だった。
見知らぬ青年が割って入ってきたのだ。
帽子を目深に被っていたため、その時は顔はよく見えなかった。
突然、彼氏を演じる青年にびっくりして戸惑ってしまったが、男達が諦めて去ったところで、助けてくれたのだとようやく理解した。
恐怖から解放された反動で、腰が抜けると同時に泣いてしまい、恩人である彼を困惑させてしまった。
彼は急いでいるようだったが、放っておけなかったのか、少し屈んで言葉をかけてくれた上に、青いハンカチを差し出してくれた。
驚いて顔を見上げた優衣は、息を呑んだ。
下から覗いて初めて彼の顔をまともに見たわけだが、その顔は紛れもなく――

『HAYATO……さん?』

その名を口にした瞬間、彼の表情が凍り付いた気がした。
僅かな動揺を見せた彼は時間がないと言って、強引にハンカチを優衣の手に握らせ、足早に去って行ってしまった。
その後、戻ってきた瑞歩に事情を話すと、物凄い勢いで食い付いてきた。
そういえば彼女は意外とミーハーだったなと思い出しつつ、脳裏に浮かぶのはあのHAYATOと思われる青年のことばかり。

その日から、HAYATOの出る番組を片っ端からチェックするようになってしまったのだ。
しかしあの時の落ち着いた印象と、今、テレビで見ている愛想の良い印象とでは全然違う。

(他人の空似だったのかなぁ……でもあの時、HAYATOの名前を出したら動揺したように見えたし)

真相がわからないので、こうして日々、観察しているのである。
友人が持っていた雑誌のインタビューに彼が載っていた時は、どうしてもと頼み込んで読ませてもらっている。
そんなことばかりしていたら、「あんたってそんなにHAYATO好きだったっけ?」と勘違いされるようになってしまった。
あの時は混乱して、助けてくれた彼に礼を言い損ねていた。
だから、どうしてもきちんと礼を伝えて、ハンカチも返したい。
もしもあの時の彼がHAYATOだったなら、忙しくて読んでもらえないかもしれないけれど、手紙でこの感謝の気持ちを伝えたい。

「……ところで、時間過ぎてるけどいいの?」
「えっ? うわっ、やばい!」

再び母の声で我に返り、画面の端に表示されている時刻を見る。
いつも家を出る時間を十分ほど、過ぎている。
ひや、と腹の底が冷たくなるような感覚を覚え、優衣は慌てて鞄を持って家を飛び出した。

「行ってきます!」

自宅から最寄り駅まで、そして駅から学校までの道のりを全力疾走することで、ぎりぎりながら遅刻は免れた。
ただし、その日の体力の半分くらいを犠牲にして。


一限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、集中から解放される。
次の授業は特別教室で行われるため、必要なものを持って瑞歩と一緒に廊下を歩いていた。
どっと疲れた様子の優衣を見て、大親友はからかうように笑った。

「珍しいね、優衣が滑り込みで来るなんて。ひょっとして、まーた考えてたの?」
「その通りでございます……」

瑞歩には何もかもお見通しのようで、優衣は肩を竦めた。

「もうそんだけ気になるんなら、思い切って手紙出しちゃえばいいじゃない」
「でも、違ったら……」
「別人だと思えなくて、こうやって悩んでるわけでしょ?」
「う、うん」

的確な指摘に、こくりと頷く。
確かに、別人だと割り切っていればこんな風にHAYATOを観察したりしない。

「たとえ人違いだったとしても、どうせ向こうは優衣のことなんて知らないわけだし、会えたら奇跡みたいな人なんだから、恥ずかしいとか気にすることないと思うけど」
「うん……」
「それにもし優衣が言うように、助けてくれたのがHAYATOだったら、また会えるチャンスがあるかもしれないし」
「え?」

にやりとどこか不敵に微笑む瑞歩の言葉に、優衣はきょとんと首を傾げた。



もしもあの人がHAYATOだったなら――あの人は何を思って、HAYATOを演じているのだろうか。
助けてくれた彼はどちらかといえばクールな印象で、HAYATOとは正反対。
同一人物だったなら、彼はあのHAYATOというキャラクターを演じていることになる。
助けてくれた時の彼の方が、演じられていたのかもしれないが。
テレビでは見ない日はないような人気アイドル、きっとスケジュールも仕事でいっぱいなのだろう。
音楽活動にバラエティー番組などの収録。
もしあの時の彼が素だったなら、彼はどうして本当の自分を出さないのだろう。
素の自分に戻れないまま、一日が過ぎる日だって、きっとあるはず。
アイドルだから、そうさせられているのかもしれない。
もしそうだったとしたら、それは悲しいことではないだろうか。
彼はそんなことを望んでいるのだろうか。

……そんなことを考えだしたら、キリがなくて。
結局、頭の中で言いたいことが整理できず、机に向かったものの手紙には何も書けずに一日が終わってしまった。

(……ライブ、か)

ベッドに寝転んで暗闇に潜む天井を見つめながら、朝のことを思い出す。
HAYATOのライブのチケットを手に入れたという瑞歩が、二枚あるから一緒にと誘ってくれたのだ。
彼女の言う『また会えるチャンス』というのはこのことだったらしい。
会えることには変わりないが、だからといって直接、会話を交わせるわけもなく。
一方的に、会いに行くだけ。
それでもまた直に彼を見ることができるのだから、行く価値はあるかもしれない。

(そっか、ライブ……喉、大切にしてもらわなくちゃ)

明日、差し入れにのど飴でも買いに行こう。
そして、明日こそは手紙を書き切ろう。
強い決意、そして淡い期待と共に、瞼をそっと閉じた。


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