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優衣は凍りつき、息を呑んだ。
何やら玄関が騒がしくなったと思ったら、慌ただしく足音が近付いてきて、そして。

「えっ」

扉が開くと同時、トキヤとは違う明るい髪の色が目に入ってきたのである。
男はこちらの姿を確かに捉えると、迷いなく部屋の中を突き進み、優衣の目の前に立った。
ほのかに鼻腔を刺激する甘い香りが、ただでさえ華のある佇まいの彼を一際色めかせる。
ただ、今はその香りが優衣の心をより不安定にさせていた。
直ぐ様後を追ってきたトキヤが、見知らぬ男の後ろで険しく眉を寄せ、悩ましげに頭を抱える。
頭の中は真っ白だが、少なくとも理解はできた。
これは、最悪な状況であるということを。
互いに言葉が出てこない。
張り詰めた空気の中、目の前の男だけは興味深げに目を細めて笑みを浮かべていた。
切れ長の色艶めいたブルーの眼差しがこちらを見下ろしている。
まるで見えない糸に縛られているかのように、体がぴくりとも動かずにいた。

「へえ、可愛らしいレディだね」
「へっ?」

一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

「イッチーと一緒に見かけない女の子が入っていくのが見えたから、どんな子かと気になって来てみたんだけど。イッチーとはどういう関係なのかな?」
「あっ……」

ひやり、と肝が冷えた。
あんなにも細心の注意を払っていたはずなのに、まさか、見られていたなんて。
言葉が詰まって出てこない。
確かに彼は綺麗な微笑を浮かべているのに、細められた瞳が探りを入れるかのようにこちらを捉えて離してくれない。
追い詰められている気分で、とても居心地が悪い。
……否、状況的に追い詰められているのは確かだった。

「彼女は私の昔からの友人です」

トキヤがすかさずこちらへ割って入ってきた。
平然とそんな嘘が言えるなんて、さすがは芸能人、と感心してしまう。
ようやく目の前の男の視線が逸れ、ほっと息を吐いた。
助かった……思わず口に出しそうになった自分には、トキヤの真似はできそうにない。

「外で会うには人目が気になりますから、早乙女さんには特別に許可をいただいて、ここでゆっくり会うことにしたんです」
「へえ。本当にただの友人なんだ?」
「だからそう言っているでしょう。妙な疑りをかけるのはやめてください」
「ふうん」

相槌を打ちながらも、その瞳は未だに探りを入れている。
表情の裏に潜む心の奥まで見透かしてしまいそうな瞳が、苦手だと直感的に思った。

「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。オレはイッチーの友達の、神宮寺レン。よかったらキミの名前も教えてもらえないかな?」
「えっ」

少し油断している隙に、彼の意識が再び優衣に向けられる。
わかりやすくたじろいでしまうと、彼は悪戯に笑った。

「せっかくだ。イッチーの友達同士ってことで、仲良くなれたら嬉しいなって思ってね」
「レン、何か企んでいませんか?」
「やだなぁ。オレは純粋に彼女とお友達になりたいだけだよ」

綺麗に笑う彼の心は、どこか読めず。
彼と友人関係にあるというトキヤも、警戒心を解く様子はなく。
躊躇ってはみたものの、ここで根っからのお人好しが災いしたと言えばいいのか、彼の好意を無下にすることはできなかった。

「……春日優衣、です。よ、よろしくお願いします!」
「優衣っ!」
「うん、キミにぴったりな可愛らしい名前だ。こちらこそよろしくね、子猫ちゃん」
「こっ、子猫ちゃん!?」
「か弱そうで愛くるしい姿が子猫みたいだと思って」
「え、ええっと……ありがとう、ございます」

ストレートな褒め言葉と、呼ばれる方が気恥ずかしくなるような呼び方に、なんだかむず痒くなってしまった。
さらりとそのような言葉を並べられる彼の感性は、素直に凄いと感じる。
ところで、普段は冷静沈着なトキヤの顔が、焦りと怒りで恐ろしいことになっているのだが、後で怒られてしまうのだろうかと想像して、少し肩を竦めた。

「用はもう済んだでしょう。そろそろ出ていっていただけませんか」
「相変わらずイッチーは冷たいなぁ。せっかく子猫ちゃんとお友達になれたところだっていうのに」
「レン」

飄々と笑ってみせる彼だったが、トキヤの声色が一際低く苛立ちを含み、とうとう苦笑して折れることとなった。

「わかったよ。ああ、でも。子猫ちゃんにひとつ忠告」
「え?」

何気なく自然に向けられた眼が、ひどく冷たく感じられて。
嫌に、胸が騒いだ。

「イッチーとはあくまで『お友達』でいること」
「レン?」
「ちょっとでも一線を越えれば、辛い思いをするのは子猫ちゃんだからね」
「ど、どういうこと、ですか?」

再び、少し気を抜いていた隙に。
何かの意図を含んだ言葉に、ますます胸騒ぎが止まらず、渇いた声で疑心を向ける。
と、目の前の彼は笑みを深めた。
やはり、最初から全て見透かされているような気がして、身体に嫌な力が入った。
そして、トキヤの表情にも緊張が走る。

「アイドルに恋愛は禁物。これは、わかるよね?」
「ま、まあ……」
「うちの事務所、学園時代からそういうのに厳しくて。『恋愛禁止令』なんてものがあったくらいに、ね」

思えば、トキヤからその辺りの事情を聞いたことがなかった。
ただ、彼がやはりスキャンダルなど人目を気にしなければならない立場にいるのは、解りきっていたから。
暗黙の了解として、誰にも見つからないようにひっそりと時間を共にしてきた。
だから、この関係が周りにバレた時、実際にどうなってしまうかなんて、深く考えたことがなかったのだ。

「もし、破ったらどうなるんですか?」
「優衣っ」

きっと、触れてほしくなかったのだろう。
トキヤの焦燥に駆られた制止の声が、物語っている。
だけど、優衣は知る覚悟と決意を強く抱いて、真っ直ぐにレンを見据えた。
暫しの瞬間の後、レンの表情がほんの少しだけ、切なく和らいだ気がした。

「そうだね……恋愛禁止令を破った場合、ウチのボスにバレた時点で有無を言わさず即解雇」

静かに、目が見開いた。
自分が想像していた以上に、自分たちは危ない橋を渡っていたのだ。
とてつもない衝撃に、頭がくらりと揺れる感覚がして。
溢れ出る感情を抑えることはできず、次の瞬間には何もかも忘れて、からからの声を張り上げていた。


 

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