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「トキヤさん、見てください! じゃーん!」

トキヤの部屋で、とうとう結果発表。
右上に赤く大きな字で『75点』と書かれた数学の答案用紙を、同じソファーで隣に腰掛けるトキヤの方に身を乗りだし、それはもう自慢気に見せた。
ほう、と感心したような声が彼の唇から漏れる。

「前の点数の倍はありますね」
「トキヤさんがあれだけわかりやすくみっちり教えてくれたんですから、いい点とらなきゃ申し訳ないですよ」

ははっ、と苦笑いしながら思い返すのは、トキヤにテスト勉強を見てもらったあの日のこと。
あれはまさに、スパルタだった。

『そ、そろそろ休憩に……』
『駄目です。まだ一時間しか経っていないじゃないですか。ここの問題が終わるまでは、休憩なしです』
『こ、ここって……あと二十問もあるじゃないですかぁっ……』

悲鳴じみた声で嘆きながら訴えてみたが、全くの無駄だった。
恋人だからと容赦はしない、目がそう語っていた。
親友である瑞歩もなかなかに厳しいが、トキヤはその遥か上を軽々と越えてしまった。
でもだからこそ、こんなにも高得点がとれたのかもしれない。
ありがたいことに、そのおかげで――

「これで、夏休みはたくさん会えますね!」
「ふふっ、そうですね。よく頑張りました。そんな君に、ご褒美をあげます」
「ご褒美ですかっ?」

大好きな手のひらに頭を撫でられ、心地好さに細めていた目を、きらりと輝かせた。
苦手な数学の試験を打破して、心置きなくトキヤとの時間を過ごせて、ご褒美まで貰えるなんて。
なんて幸せなのだろうと、心が躍った。

「目を閉じて、じっとしていてくれますか?」
「はい!」

言われるがままに目を閉じて、わくわくと期待に胸を膨らませながら、じっと待った。
ただ純粋に、何の疑いもなく。
すると、肩に手のひらが添えられて、頬に温もりが与えられた。
びっくりして肩を揺らすと、軽やかなリップ音を鳴らして、その柔らかな感触が離れた。
恐る恐る目を開けると、微笑みを湛えるトキヤの顔が間近にあって。
きっとこの頬に灯った熱は、彼の目にも見えているだろうし、今もこうして包み込んでくれている手のひらにも伝わってるだろう。
激しく鳴り打つ鼓動さえも伝わっている気がして、恥ずかしい。

「あっ、あの、今のはっ」
「ご褒美のキスです」
「ごっ、ご褒美の、キ、キス……!」

何でもないように返す彼の言葉があまりにも刺激的で、思わず声がひっくり返ってしまった。
すると、トキヤはふっと苦笑いを浮かべて。

「そんなにも驚くことはないでしょう」
「だって! だって……!」
「まったく、今でこの反応だと、先が思いやられますね」

溜息混じりにぼやかれ、うっ、と言葉に詰まってしまった。
呆れられてしまっただろうか。
面倒だと思われてしまったかもしれないと、ちょっぴり不安に苛まれた。
次第に気持ちが沈み、視線も下りていく。

「……ごめんなさい」
「な、何故、謝るんですか?」

たじろぐトキヤに、目も合わせられず。

「あたし、男の人と付き合うの初めてで、こういうの本当に慣れてなくて……面倒、なんじゃないかと思って……」

だんだん小さくなっていく声。
彼は何も返してくれず、ただ黙っている。
沈黙が、怖い。
余計なことを言ってしまったかもしれないと、後悔している最中だった。

「それは私も同じですよ」
「へっ?」

予想外の答えに、思わず顔を上げた。

「私も、こうして誰かに恋をして、恋人同士の時間を過ごすなんて、初めてですから」
「本当に……?」
「ええ。だから、嬉しいんです。君も私と同じだということが。君の初めてが私で、私の初めてが君であることが」

優しく、柔らかく、包み込んでくれるような眼差しと声色が、不安から解放してくれる。
こんなにも胸がときめいて、安らかになれる。
だからだろうか、心に余裕が生まれて、口応えまでできてしまうのは。

「でも、全然そんな風に見えません」
「そうですか?」
「だってトキヤさん、いっつも余裕そうなんですもん」

むう、と膨れっ面で言ってみると、クスリと笑われてしまった。

「全く余裕なんかではありませんよ。どうすれば君に喜んでもらえるのか、どうすれば君にこの溢れんばかりの愛が伝わるのか、いつも必死に考えているんですから」

本当に意外だった。
全然、彼はそんな素振りを見せようともしないから。
彼の想いが何だか擽ったくて、笑みが零れた。

「なんだか、嬉しいです」

しかし、その笑みはすぐに凍りつくことになる。

「それでは、わかっていただけたところで、私も報酬を受け取ることにしましょうか」
「えっ?」
「授業料ですよ、この間の」
「じゅっ、授業料!?」

またもや裏返った声をあげてしまった。
もちろん、何食わぬ顔でとんでもないことを言い出したせいである。
授業料と聞いただけで、ついお金の心配をしてしまった。

「そうですね。先程、私が君にさしあげたものと、同じものをいただきましょうか」
「へっ?」
「欲を言えば唇にしていただきたいところですが、さすがに今の君には刺激が強過ぎるでしょうからね」
「え……ええええっ!?」

とうとう叫んでしまった。
先程、彼がしてくれたことといえば……頬にキス。
思い出しただけで、かあっと顔が熱くなるというのに、今度はそれを自分がすることになるだなんて。
できるなら断りたいところだが、彼の期待に満ちた視線を受けては、できるはずもなく。

「……あの、目、閉じててください」
「仕方ありませんね」

素直に瞼を閉じるトキヤの顔を、まじまじと見つめる。
言うまでもなく綺麗な顔をしていて、触れるのも恐れ多いくらいである。
どきどきと、鼓動が速まる。
優衣はごくりと固唾を呑み、意を決して身を乗り出し、唇をそのきめ細かい頬に近付けた。

――ちゅっ。

ほんの一瞬だけの、キス。
あまりにも恥ずかしくて、彼が目を開ける前にベッドの方へと逃げ込んだ。

「優衣……って、どうしてそんなところにいるんですか」
「な、なんとなくですっ」
「……言っておきますが、それでは襲ってくれと言っているようなものですよ?」
「えっ!?」

トキヤは呆れたように小さく息を吐いて、ソファーから腰を上げ、じりじりと優衣に近付いていく。
ただならぬ空気を感じて、優衣は顔を引き攣らせる。
と、不意に、インターホンの音が部屋に響き、来訪を知らせる。

「お客さん……?」
「すみません、少し待っていてくれますか?」
「は、はい」

トキヤは渋々、踵を返して玄関の方へ向かった。
何だかよくわからないけれど助かった、優衣は安堵の溜息を吐いた。



愛しい恋人との貴重な時間を邪魔され、心が萎えながらも訪問者を迎えたトキヤ。
扉を開け、相手の姿を見た瞬間に、ますますげんなりとしてしまった。

「やあ、お楽しみのところ、邪魔しちゃったかな?」

神宮寺レン、隣人である。
悪びれもせず、何もかも見透かしたように言うこの男は厄介そのもの。
さっさと追い返すに越したことはないのだが。

「何の話ですか。私は今、忙しいんです。世間話ならまた今度に」
「ちょっと失礼」

あろうことか、レンは話の途中でトキヤの隙を擦り抜けて、堂々と部屋に入ってきた。

「なっ! 人の話を聞いていますか? 私は今、忙しいんです。大体、許可もなく勝手に人の部屋に上がり込まないでください。迷惑です!」
「なーに、ちょっと確認したいことがあるだけだから」
「何ですか、それは。そんなもの、無許可で人の部屋に侵入していい理由にはなりません!」
「まあいいじゃない、細かいことは」

文句をいくら浴びせても、レンは気にせず部屋の中を突き進む。
まずい、このままでは彼女の存在が知られてしまう。
よりにもよって、この勘の鋭い男に。
何が何でも阻止しなければならなかったのだが、不幸にも間に合わなかった。

「お。いたいた」
「へっ?」

ベッドの上に座り込む彼女を見つけたレンは、にっと愉快に笑った。
突然の見知らぬ男の登場に、きょとんとする優衣。
目の前で起きた最悪の事態に、トキヤは悩ましげに額を押さえた。



 

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