09




逸る気持ちを抑え切れず、ついつい早足で駅の階段を下りる。
気付けば、今、降りた乗客の先陣を切っているようで、何だか気持ちが良い。
目の前はもう改札口だ。
電車の走る音が地響きのように聞こえる中、改札の向こうにいるはずの彼を探した。
切符を改札機に通して出ると同時に、ぽつぽつと行き交う人々の中に、愛しい姿を発見した。
刹那、ドキリと鼓動が高鳴った。

「えっ……?」

思考と一緒に足が、止まった。
目を見張った、その先にはトキヤと、綺麗な桜色の髪の女の子がいて。
トキヤが、女の子を抱いていた。
やがて彼もこちらに気付いたのか、息を呑んだ様子ですぐに女の子を離した。

「優衣っ……」
「え?」

焦ったような彼の声で、女の子もようやくこちらの存在に気付いたらしく、新緑の澄んだ瞳と目が合った。
何とも可愛らしい女の子だった。

「あ……あのっ……」

何を言えばいいのかわからなくて、口を開けてはみたものの言葉が出てこなくて。
苦しくて、まともな声さえ出なかった。

「あのっ、違うんです!」
「へっ?」
「七海さん……?」

突然、女の子が必死な顔をして訴えてきた。
きょとんとする優衣とトキヤ。

「あの、わたし、ドジだからすぐ転んじゃうんです!」
「う、うん……?」
「今も、改札を出たら一ノ瀬さんがいたので、声をかけようと思って駆け寄ろうとしたら、躓いてしまって。転びそうになった時、一ノ瀬さんに支えていただいたんです! だから、違うんです!」
「そ……そう、なんですか?」

ひょっとしたら、察してくれたのかもしれない。
ただ、その様子があまりにも必死で、圧倒されてしまった。
トキヤの方を見ると、彼は苦い顔で頷いた。

「ええ。だから、君が心配しているようなことは何もありません」
「は、はい」

ちょっぴりほっとして、こくりと頷くと、トキヤは力が抜けたように微笑んだ。

「さて、誤解も解けたことですし、行きますよ。例の結果は、部屋に戻るまでのお楽しみということにしましょうか」
「あ……はい!」

ここに来るまでに抱いていた浮かれた気持ちが、彼の言葉によって蘇った。
早く伝えたい、そんな思いに駆られる。

「では、私たちはこれで」
「はい! さようなら」

トキヤが彼女に別れを告げたのに続いて軽く会釈し、優衣はトキヤと共に駅を後にした。



「春歌、お待たせ!」

仲睦まじい雰囲気のふたりの後ろ姿を眺める春歌の下に、何故か切符を買い間違えて乗り越し精算をしていた音也が戻ってきた。
しかし、未だふたりの行く方向を見つめる春歌に、音也は疑問を抱く。

「あれ、どうしたの?」
「あ、音也くん……一ノ瀬さんが……」
「トキヤ?」

春歌は音也を一瞥し、再びトキヤたちの方を見やる。
音也もようやく、遠ざかっていくトキヤの、隣にいる彼女の存在に気付き、小さく首を傾げた。

「あの隣の子、誰?」
「事務所の方ではないです、よね?」
「たぶん。見たことないよ」

首を横に振る音也に、春歌はやっぱりと思った。
全く見覚えがないのだ。
見たところ同年代で、トキヤと仲が良いものだから、学園時代の同級生なのだと思っていた。
それに、あの真面目なトキヤが自ら自分の部屋に招き入れるのだから、外部の人間ではないだろう、と。
しかし、見かけたことさえない気がする。
トキヤと同室で仲が良い――半ば一方的ではあるが――音也でさえ、知らないという。

「ひょっとして……恋人、だったりして」
「へっ!?」

ぽつりと呟いた言葉に、音也が顔を強張らせて驚いて見せたが、春歌にはそうとしか思えなかった。
だって、彼女と話している時のトキヤの表情が、あんなにも優しかったから。


ほんのり、汗ばむほどの蒸し暑さを感じながら、寮までの道のりを、並んで歩く。
優衣は先程の女の子のことを、トキヤから聞いていた。

「え……あの子も早乙女事務所の人なんですか!?」
「えぇ。彼女はこの春、デビューを果たした一十木音也のパートナーの作曲家です。クラスは違いましたが、学園時代の同期です」
「作曲家っ!? し、しかも、あの音也くんの……」

彼女の正体を知り、驚きを隠せない。
同じくらいの年代の、あんなにも可愛らしい女の子が作曲家だなんて。
それも、あの新人アイドルの一十木音也のパートナーである。
音也の曲なら耳にしたことがあるが、明るくて元気をくれるような、彼のキャラクターに合った歌だと思った。
それを、あの女の子が生み出したのだ。

「てっきりアイドルの子かと思ってました……」

白い透明感のある肌、華奢な体、暖かな春の陽気を思わせる空気、その愛らしい姿は、アイドルとしてもやっていけるのではないかと思った。

「七海さんは、優衣とどこか空気が似ています」
「えっ、そうですか?」
「えぇ、普段は内気で自己主張などせず、底抜けのお人好しで、頼りない空気を持っていて、ドジで危なっかしい人です」
「えっ」

似ていると言われた矢先、そんなことを挙げられて、何だかいたたまれなくなった。

「でも、誰にも優しく、人一倍努力家で、強い心を持っている人です。だからこそ、あんな曲が書けるのかもしれませんね」
「なるほど……」

ちょっぴり、羨ましかった。
トキヤにそんな風に言われていて、何よりパートナーの傍でずっと、曲を提供できる立場にある彼女が。
その、才能が。
少しだけ気落ちしていると、トキヤがふっと苦笑した。

「君も、彼女ほどドジではありませんが、どうも危なっかしくて放っておけません」
「なっ! そ、そんなことないですよ!」
「あります。君はいつも一生懸命で、それはいいことなのですが。時々、意外なくらいに行動力を発揮して無茶をしますからね」
「うっ」

じと、と見られて、言い返す言葉がない。
自信を持って否定できるほど、自覚がないわけではなかった。

「ですが、ひたむきで、優しすぎるくらいにお人好しで、照れ屋で可愛らしくて、温かくて、安らぎを与えてくれる。そんな君だから、私は心を奪われたんですよ」

優衣は目を瞬かせ、トキヤの顔をまともに見上げた。
彼の涼しげで真っすぐな瞳が、優しい色で満ち溢れている。
胸が擽ったくなって、思わず頬が緩んだ。

「……それにしても、本当に大丈夫なんでしょうか。その、部外者のあたしが、事務所の寮になんか入っちゃって」

早乙女事務所の寮を訪れるのは、トキヤと付き合うことになったあの日以来、つまり二度目で。
自分は一般人であって、完全に部外者だ。
あの時もそうだったが、禁じられた場所へ足を踏み入れるようで、どうも落ち着かない。

「一応、細心の注意は払っていますし、逆に堂々としていた方が、不審には思われません。君は心配しなくていい」
「だと、いいんですが……」

自信を持ってそう言い聞かされたものの、どうしても不安は拭えなかった。



レッスンを終え、自身の部屋に戻ろうと寮の廊下を何気なく歩いている時だった。

「ん?」

遠目に、トキヤが黒髪の少女と一緒にいるのが見えた。
彼は注意深く辺りを見回してから、部屋に少女を招いて入っていった。
彼の視界に、レンは入っていなかったらしい。

「へえ、面白そうなもの見ちゃったな」

にっ、とレンの唇が綺麗な弧を描いた。
それはそれは、愉しそうに。



 

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