05/14 ( 01:03 )
憧れの人
梅さん宅のぼいふれ夢主さん、茅ちゃんをお借りしました。
舞桜と茅ちゃんの出会い……的な……。
「はあぁ……これ、何回目?」
深く鬱々しい溜息を肺の底から吐き出しながら、それはそれは重々しく不安定な足取りで、人の往来で賑わう廊下の中心を歩く。
ずしりと食い込む、目の前まで積み上がったノートの重みに耐える腕が、そろそろ悲鳴をあげるが如く小刻みに震えてきた。
一週間前にも同じ状況下に陥ったところである。
穏やかな陽気に包まれた昼下りの教室、腹も程よく満たされた中で行われた授業が、よりにもよって最も苦手とする数学であった。
真山には申し訳ないが、彼の言葉は全て眠気を誘う呪文のように、その内容を吸収することなくさらさらと耳から耳へと流れてしまう。
そのままうとうとと心地よい睡魔に誘われるがままに、うっかり意識を持っていかれてしまったのがいけなかった。
次に目が覚めた時には、真山の怒りに震えた眼差しが、完全にこちらを標的として捉えていた。
やってしまった、後悔したところで時既に遅し。
「あの人、やっぱり鬼だよぉ……」
嘆きが虚しくも空に漂う。
真山は非力な舞桜に、クラスの生徒全員分のノートを職員室に持ってくるよう指示したのであった。
勿論、彼は舞桜の腕力がどれほど乏しいかを承知の上で、この拷問を与えている。
前回は途中でばら撒いてしまったのを、同学年の宮ノ越という良心の塊のような男の子に助けてもらった。
「きゃっ!」
「あっ!」
というのも、ばら撒いた原因が不注意で彼にぶつかってしまったことにあり、彼は決して悪いわけでもないのに責任を感じてしまったのだった。
そう、それはまるでたった今起きたように。
「ああ……またやっちゃったぁ……」
無残にも床にばら撒かれたノートを力なく見下ろしながら、絶望する。
周囲の視線が一斉にこちらへ集められるも、恥だとか、そんなものを気にしている場合ではなかった。
また怒られてしまう、あの鬼のように恐ろしい男に。
「ご、ごめんなさい! 今拾うから!」
視界の端から飛び込んできたのは、自分以上に必死にノートを拾う女の子の、紺のカーディガンを纏う丸まった後ろ姿。
遅れて我に返り、舞桜は慌てて彼女の隣にしゃがんだ。
「ああっ、大丈夫ですから! お気遣いなく〜!」
しかし、彼女は律儀にも最後まで共にノートを拾いきってくれた。
それもばら撒いた張本人よりも多くの量のノートを軽々と腕に抱え、なんとこちらの身をも案じてくれた。
「ごめんね、ぶつかっちゃって。大丈夫? 怪我はない?」
「あ、はい! わたしは大丈夫、なんですけど……」
「それにしてもこれ、ひとりで運んでたの? しかも数学って……まさか、真山先生?」
「よ、よくおわかりで……」
「ひゃー。一年生の女の子相手に、真山先生ってばやっぱり容赦ないなあ」
ははは、と空笑いをする彼女も、どうやら真山を恐れているようである。
ひょっとしたら同士なのかもしれない。
こうして同情してくれる人がいるというだけで、ほんの少し気分が救われたのだが。
「これってどこに持って行くの? 職員室?」
「へっ?」
「こんなのひとりじゃ大変だよ。任せて! 体力には自信あるんだから!」
彼女は溌剌とした目元を細め、茶色の前髪を軽やかに揺らしながら力強く笑ってみせる。
嗚呼、なんと親切な人なんだろうか。
すらりと伸びる手足は確かに運動に向きそうな印象で、ショートカットの髪型も相まって頼もしく、格好良く輝いて見える。
一週間前に陸上部の彼を前に覚えた感動に再び心を震わせ、すっかり茫然としてしまっていた。
「さあ、遅いって怒られる前にさっさと届けに行こう!」
「あ……はい!」
ノートの山を軽々と腕に抱えたまま機敏に進む彼女の背中を、たった少量の束を胸に慌てて早足で追った。
彼女が二年生で、実は同じく数学の補習組であることを知るのはすぐ後の話である。
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