慌てて飛び込んだのは早々と店仕舞された小間物屋の軒先だった。 容赦なく打ち付ける雨の礫が、あっという間に地面を濃い灰色へと変えていく。 聞いているだけで憂鬱な雨音に、買い物袋を抱えて思わず溜め息を吐いた。 きっと同じように溜め息を吐くであろう近侍の彼の、困ったような笑みが脳裏に浮かぶ。 『だから傘を持って行けと言ったろう、大将』 そう言って、きっとその儚げな外見には似合わない豪快な仕草で以て、くしゃりと頭を撫でてくれるところまで簡単に想像出来た。 出来たところで今のこの状況が好転する訳ではないのだけれど。 (……こんなことなら、一緒に行こうって、言えば良かったかなぁ……) でも、と唇を噛む。 些細な私用で街へ出るだけで、出陣から帰ったばかりの彼を誘うのはどうしても躊躇われたのだ。 揃いの傘を差した男女が仲睦まじそうに通りを歩いて行くのが見えて、益々気持ちが落ち込んでいく。 「………薬研……」 ぽつりと呟いた途端、何だか無性に恋しくなった。 いつ止むか分からない雨をひたすら待つより、いっそのこと走って帰った方が早く彼に会える筈だ、と覚悟を決め、荷物が濡れないよう腕に抱え込んでから足を踏み出す。 肌に触れる冷たい滴に堪らず身震いした瞬間、そっと肩に触れた手が元いた場所へと私の身体を押し戻した。 「………その心意気は買うが、感心はできねぇなぁ」 穏やかに響く、やわらかな低音。 優しい笑顔を浮かべた薬研が、蛇の目傘を傾けて佇んでいる。 「……薬研……!」 「つくづく全く世話の焼けるお人だな、あんたは」 傘を閉じて隣に並んだかと思えば、甲斐甲斐しく雨粒を拭ってくれる。 ぽかんと口を開けたまま、きっと間抜けな表情をしていたのだろう私に、別嬪さんが台無しだ、と薬研は笑った。 「ど、どうして私のいる場所が分かったの?」 「大将のことなら何だってお見通しさ。………と言いたいところだが、まぁ何だ、平たく言えば、本丸から後をつけて来た」 「……………!」 あっけらかんと告げられた言葉に絶句する。 「全然気付かなかった……」 「短刀の隠蔽能力を舐めてもらっちゃあ困る」 得意気に言った薬研の瞳が、ややあってから少しだけ不機嫌そうに細められた。 「………何で俺を呼ばなかった」 「えっ、と……それは……」 「妙にこそこそ出ていったが、あんたが大事そうに抱えてるその包みと、何か関係があるのか」 「な、なにもない、よ?」 「…ほんっとうに嘘がつけねぇな、大将」 呆れ混じりの笑みを浮かべた薬研の指が、抱えていた小さな荷物をあっさりと抜き取ってしまう。 「菓子、か?」 目をぱちくりとさせる様は、珍しいことに彼を見た目相応に幼くさせた。 「………はい、お菓子です………」 一番内緒にしていたかった相手に見つかったのだ。 もう隠そうとしても意味はない。 「………薬研と、一緒に食べたくて買ったの。最近ずっと出陣と遠征が続いてて、……二人でいられなくて、寂しいなって思った、から」 「……………」 「…………薬研?」 全く反応がないので、伺うようにそろりと見上げた先。 これまた珍しいことに、かっと頬を染めた薬研が狼狽えたように視線を泳がせている。 「や、薬研、どうし、」 「大将、そいつは狡い」 「え?」 その言葉の真意を確かめるより早く、強引に抱き寄せられた。 背中にあたる薬研の掌は着物越しでも分かるほどに熱い。 「……寂しかったのは、あんただけだと思うなよ」 「薬研……」 「ったく、こっちがどれだけ触れるのを我慢してたと思ってんだ」 反論する暇もないままに、柔らかく額に押し当てられる唇。 睫毛さえ触れ合いそうな距離に映る紫苑の瞳が緩やかに弧を描いた。 「……さて、大将。悪いがこの包み、もう一度持って貰えるか」 「う、うん……?」 「すまんが片手で頼む」 「…………?」 うるさく跳ねる心臓の音はひとまず置いておくことにして、言われた通り紙袋を片手で持ち直す。 「あぁ。それで、空いてる手はこっち、な」 するりと絡まった指先が、解けないよう繋がれた。 「さっさと帰るとするか。菓子を食べて、そしたら………思う存分、大将に触れられる」 「…………!」 あれほど憂鬱だった雨音は、艶めいた囁きを前に、呆気ないほど簡単に掻き消された。 驟雨に恋う ×
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