やわらかく触れた熱が、そっと離れていく。

まるで温もりを分けるような口付けをくれたその人は、藤の花の色をした瞳を眇めて静かな笑みを浮かべた。


「主」


くすぐったくて瞳を閉じれば、伏せた瞼の上にも優しい口付けが落ちてきた。

こうやって無造作に与えてくれる何気ない愛情の一つ一つが、そのたびに心臓の奥を震わせる。


「………何をお考えですか?」


彼の瞳の中に映る自分の姿を見つけた時には、離れたばかりの唇に先程よりも深く触れられた後だった。


「なにも、考えてなんて……」

「主は嘘が下手ですね」


ぺろりと唇を舐める仕草に、身体が震える。

男性に対し使う形容詞として正しいかどうかは分からないが、その時の彼を表すならば、まさに「妖艶」という言葉が相応しかった。


「俺には言えないようなことですか」


未だ間近にある長谷部の瞳は実に愉しげだ。

私が何を考えているのか、全て分かった上で敢えて答えさせようとしているのである。

全く以て意地が悪い。


「主?」


囁く声と同時に、浴衣の裾から入り込んだ指先に背中を撫でられた。

堪らず彼の首筋にぎゅうっとしがみつくけれど、私が抱きついたくらいでは小揺るぎもしないどころか、むしろより一層強く抱き締められてしまう。

何だか良いように転がされている気がしないでもなかったが、それはもう今更だ。


「………長谷部の」

「はい」

「あなたのことだけ、」


ありったけの勇気を振り絞ったというのに、最後まで言わせて貰えなかった。

まるで子猫でも相手にするかのように軽々と抱き上げられたかと思えば、静かに布団の上へと落とされる。

拍子に乱れた髪を、手袋を外した長い指が丁寧な仕草で梳きやってくれた。


「…………今夜は何もしません」


一瞬身構えた私を見て長谷部は笑う。


「こ、今夜は、って」

「お疲れが続いておいででしょう。それなのに、このところ睡眠もろくにとっていらっしゃらないのでは?」


つい、と目の下を撫でられて思わず肩を竦めた。

化粧で上手く誤魔化せたと踏んでいたのだが、私の近侍には通用しなかったらしい。


「だって仕事が……」

「今日は主に決して筆を持たせるなと、燭台切や薬研にも言われてきました。主が眠るのを見届けるまでは戻るな、とも」

「でも長谷部」

「でももだっても聞きませんよ」


言うが早いが、部屋の灯りを全て消した長谷部は呆気に取られたままの私を抱き抱えて布団に潜り込んだ。

とん、とん、と小さなリズムで背中を叩かれて、早くも睡魔が全身を侵食し始める。


「……こんなの、ずるい……」

「お叱りは後程、如何様にもお受け致します」

「おこれる、わけ、ないでしょう…?」


あぁ、もう瞼が重い。


「おやすみなさいませ……瑠璃さま」


ふ、と微笑んだ長谷部の声の優しさが、その日の私の最後の記憶になった。



終焉はあわくあまく



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