くしゅん、くしゅん、とやけに可愛らしい音が響いた。

振り返れば、書類整理をしていた主が恥ずかしげな表情を浮かべ、ごめんね、と笑っている。


「主、どこかお体の具合が…?」

「ううん、違うの、大丈夫。なんだか少し肌寒くて」

「今朝はかなり冷え込みましたからね。火鉢にもう少し炭を足しましょうか」

「ありがとう長谷部、そうしてくれる?」


頷いた主の唇から、もう一度くしゅん、と小さな音が零れた。

いつも凛と美しい人なのに、寒さの所為か鼻の頭がほんのりと赤くなっている様はひどく愛らしい。

両の掌を擦り合わせた主は悲しげに溜め息をついた。


「私、冷え性なの…だからこの季節はほんとうに辛くて」

「冷え性、ですか?」


聞き慣れない単語だ。

もしや何か悪い病では、と思わず眉をひそめた俺に、慌てた様子で主が首を振る。


「病気じゃないんだけどね。血の巡りが悪くて体が冷えちゃうことを言うのよ」


ほら、と笑った主の白く細い指先が俺の頬を撫でるようにして触れた。


「……っ……」

「ね、冷たいでしょう?」


確かに一瞬だけ触れたその温度は、まるで氷のような冷たさを帯びていた。

───近侍として誰よりも主の傍近くに侍る身でありながら、このような不調に気がつかないとは失態だ。


「申し訳ございません、主…」

「え、どうして長谷部が謝るの?」


心底不思議そうに首を傾げた彼女はぱちりと大きな瞳を見開く。


「俺がもっと早くに気がついていれば、このような辛い思いをさせずとも済んだのに……」

「そんな大袈裟な、」

「主の大切な御身に何かあってからでは遅いでしょう」


きっぱりと言い切ってから、失礼しますと短く非礼を詫びて主の両手を取った。

小さく柔らかなこの掌が俺を生み出し、慈しんでくれているのだと思うと、何と尊く愛おしいのだろう。


「だめ、長谷部、冷たいから…」

「俺が温めて差し上げます」


遠慮がちに手を引こうとするので、そのまま指先を掴んで主を抱き寄せた。

すっぽりと腕の中に収まった華奢な身体はいつもより体温が低く、艶やかな黒髪も外気を吸ってひやりと冷たい。

ほんとうに、なぜ今まで気付いて差し上げられなかったのだろうと悔やんでから、ふと思う。


「……………あぁ、そうか」

「なぁに?」

「閨にいる時のあなたはいつもあたたかいから、こんな風に寒さが苦手だなんて知りませんでした」

「………………!!」


此れでもかというほどに目を見張った主の白い頬にたちまち朱が昇る。


「……な、なんで長谷部は時々ものすごく恥ずかしいことを言うの……」

「でも本当のことですから。主が愛らしいのは閨も今も変わりませんが」

「またそうやって……!」


赤く染まった頬を隠そうとするように、俯いた主はそのまま俺の肩口に額を埋めた。

こちらとしてはむしろ好都合なので、これ幸いと深く小さな身体を抱き締める。

しばらくの間あやすように背を撫でていると、ややあってから微かに聞き取れる程の声でぽつりと主が呟いた。


「……私が、夜、体温が高いのは、長谷部が一緒にいるときだけだもん……」

「……………………え?」


その言葉の意味を、正しく理解するのに数十秒。

すっかり機嫌を損ねてしまった主が告げた夜伽禁止の言を撤回するのには更に一時間を要することとなったのだが、それはまた別の話である。



いとし仔のぬくもり

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