ハンジが噂のお姫様――ルリと初めて出会ったのは彼女が図書隊に入隊してから間もなく、まだ新入隊員の配属先も決まらない頃のことである。

「へー、あなたが彼のお姫様かぁ」

「……あの……?」

見ず知らずの上官に呼び止められ、困惑した様子で見上げてくる彼女は噂に違わず小さく華奢で、思わず抱き締めたくなるような愛らしさだった。

あの男が落ちるのも無理はない。

「かっわいいなぁ、もう!」

「ひゃあぁぁ!?」

衝動のままに自分より頭一つ小さな身体をぎゅうっと抱き締め、うりうりとやわらかな頬に頬擦りしてみる。

「うっわぁ何このほっぺた!やわらか!超もち肌!何食べたらこうなるんだい!」

「………!!………!?」

もうどう対処すれば良いのか分からない。

ハンジの腕の中で目を白黒させ、ある種の諦めにも似た感情を抱いていたルリを救ったのは、多分に不機嫌な色を含んだ低く滑らかな声だった。

「……余程殺されてぇらしいな、ハンジ」

「リ、リヴァイ教官…!」

ふるふると震えながら助けて、と目で訴えてくるルリを一瞬でハンジから引き離したリヴァイは、すぐさま彼女を自分の背へと隠す。

成人男性にしては小柄なリヴァイではあるが、ルリはそんな彼よりも更に一回りほど小さい。

きゅう、と縋り付いた細い指先が隊服の背中を握り締めるのを感じて、込み上げる優越感に口許が緩んだ。

「あの変態に何もされてねぇか」

妙な表情のハンジに蔑むような一瞥をくれてやってから、そっと背後のルリを振り返れば。

「だっ、だい、大丈夫、です!」

「………まるで説得力に欠けるんだが?」

涙目で、挙げ句噛みまくるルリが可愛いやら可哀想やらで、リヴァイは慰めるように目の前の小さな頭を撫でてやった。

訓練中とは違い、結わずに下ろされたままの艶やかな髪は絡まることなくするりと指先から流れ落ちていく。

大人しく彼の手を受け入れるルリは相手が全幅の信頼を置くリヴァイだからか、嫌がる素振りなど全く見せない。

それどころか、

「頭を撫でられたのは久しぶりなので嬉しいです」

と、はにかむような笑顔を贈られては、さしものリヴァイも笑みを返すしかなかった。

「……そうか」

照れ臭さを隠すように視線を明後日の方向へと反らしつつ、しかしその手はどこまでも優しくルリの頭を一撫でしてから名残惜しげにゆっくりと離れていく。

「……………ねぇ、あのさぁ、一つ聞いても良い?」

「なんだ、テメェはまだいたのか」

びく、と細い肩を震わせたルリをもう一度背に庇うようにしながらリヴァイが気怠げな視線を向けた先には、酢を飲んだような顔をして立ち尽くすハンジがいる。

「ルリが怯えてんだろうが。さっさと仕事に戻れ変態」

「いや、まぁ、あなたの大事なお姫様を怖がらせたのは本当に悪かったけど、でもちょっとこれだけは確認させて」

ずり落ちた眼鏡を押し上げながら、ハンジは真顔でリヴァイにだけ聞こえる程の声量で問う。

「………あなたたちって実はもう付き合ってたりする訳?」

「そうか、そんなに脳ミソかち割られてぇのか。今すぐ楽にしてやる」

言うやいなや、物凄いスピードで繰り出された回し蹴りがハンジの頬すれすれを掠めた。

「理不尽!」

「うるせぇ避けるな。大人しく殺られろ」

「絶対嫌だね!!」

盛大な舌打ちをかましたリヴァイだったが、しかし彼にとっては逃げるハンジを追うよりも、ルリの傍にいることの方が遥かに重要だった。

「えっと…リヴァイ教官、あの…」

「アレのことは気にするな。戻るぞルリ」

なに食わぬ顔で、呆気にとられるルリの手を引くと、これ以上は無駄だと言わんばかりに踵を返す。

「……あぁ、一つ言い忘れた」

――と、肩越しに振り返り、身構えるハンジに向かってニヤリと口端を吊り上げた。

「今は『未だ』俺のものじゃねぇが、どうせ近い内に手に入れる。さっきの質問は否定しねぇ」

分かったらテメェもさっさと仕事をしろ、と言い捨て、リヴァイはもう振り返らなかった。

慌ててペコリと頭を下げたルリの姿も見えなくなる頃、二人を見送ったハンジは溜め息と笑いを同時に吐き出した。

「…………恐れ入るよ、全く!」

ちなみに、ちょっとした騒動を経て二人が正式な交際を始めたのは、この宣言からきっかり一週間後のことである。




シュガーピンクの幻想