『初めて御意を得ます、王女殿下。大将軍ヴァフリーズが甥、ダリューンと申しまする』


恭しく跪いたダリューンへと向けられる、好奇心に満ち溢れた大きな瞳。


『……ダリューン?』


幼くも愛らしい唇が呼ぶ己の名前に自然と笑みが零れる。

駆け寄って来た少女は跪いてもなお自分より背の高い大人をまじまじと見つめ、不思議そうに細い首を傾けた。


『あなたも騎士なの?』

『はい。此度戦での功により、殿下のお父上様から千騎長の位を賜りました』


頷くダリューンに少女はパッと表情を輝かせると、小さな掌で彼の指先をぎゅうと握りしめ、陽溜りのような笑顔を咲かせて言ったのだ。


『いつもわたしたちを守ってくれて、どうもありがとう!』


些かの含みも持たぬ、真っ直ぐでひたむきなその言葉は。

己の進む道に微かな迷いを感じていたダリューンにとって、それは後々まで彼を支え続けることとなる、大切な宝物のような言葉だった。




―――あれから十年の時が流れた。

つい先頃パルス国第19代国王として即位した己が主の瞳を晴れ渡る夜空のような瞳と称するならば、国王の姉姫たる王女の瞳は、さながら静謐さを湛えた深い海原のような清らかさだった。

パルスの至宝とも吟われるその美しい眼差しが自分一人を見つめ、やわらかく蕩ける様の何と麗しいことだろう。

得難い幸福に身を浸しながら、陶器の如き滑らかな頬に半ば恐る恐る、そっと指先を滑らせるダリューンへ、王女は丹花の唇に乗せた小さな笑みを贈った。


「……おかしなこと。そんなに恐々と触れなくても、わたくしは壊れたりしないのに」


軽やかな笑い声に、パルス随一の豪胆を誇る雄将はその精悍な面立ちに弱りきった表情を浮かべる。

彼の親友辺りが見ていたら、滅多に拝めぬこの光景を後世に伝えるべく嬉々として絵筆を取っていたに相違ない。


「王女殿下…」

「その呼び方はあまり好きではないの」


王女が柳眉を顰めてそっぽを向いてみせれば、十万の敵軍にさえ動じない筈の男が途端におろおろと狼狽える。

そうして少しの逡巡の後、そろりと動いたダリューンの腕が彼女の背中へと回って、華奢な身体を包み込むように抱き締めた。

どこまでも優しい抱擁に、やはり王女は笑みを禁じ得ない。

けれど自分を愛おしむ想いそのままに触れてくれるのが分かっていたから、今度は何も言わずに黒衣の騎士の胸元へとやわらかな頬を擦り寄せる。


「…ルリさま」


低く滑らかな声で囁かれた名前が耳朶を掠めて、ルリはうっとりと長い睫毛を伏せた。

どことなく幼げなその仕草は記憶の中にいる十年前の彼女とあまり変わらず、ダリューンは思わず微笑む。


「……?なぁに?どうして笑ってるの?」

「いえ…あんなにお小さかった御方が、大人におなりになったのだな、と思いまして」


さらりと流れる艶やかな黒髪を丁寧に梳くように撫でれば、王女は花の顏にほんの僅か不機嫌そうな色を浮かべた。


「……なんだか子供扱いされているような気がするわ」

「まさか。このように美しくおなりあそばした御方を子供だなどと」


くつりと喉の奥で笑いながら、ダリューンは王女のほっそりとした頤を指先で掬い上げた。

誘うように開かれた薄紅色の唇へと音もなく口付ける。


「……子供だと思っていたら、このように不埒な真似はいたしませぬよ」


しっとりと甘くやわらかな感触に、容易く揺らぎかける本能を鉄壁の理性で抑え込みながらそっと身を離す。

しかしルリの方が一枚上手であった。

離れていこうとする騎士の首許にしなやかな腕をするりと伸ばして捕まえると、匂い立つように美しい微笑を刷く。


「そうね、もう一度してくれたら、信じてあげないこともないけれど?」

「……王女殿下のお望みとあらば、喜んで」


――――やがて、静かに重なりあった熱が深く蕩ける頃。

甘やかに続く恋人達の逢瀬を祝福するかのように、青い空の向こうで小夜鳴き鳥が高らかに鳴いた。



花盗人は恋う

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