「あぁルリ、良いところに来たね」

「……失礼しました出直して来ます」

報告書を携えて団長室に足を踏み入れた瞬間、爽やか過ぎて胡散臭い笑顔を浮かべた部屋の主に出迎えられる。

嫌な予感しかしない。

即座に本能が命じるまま回れ右をして踵を返したけれど、当然相手の方が一枚も二枚も上手だった。

「まぁまぁ待ちなさい。そう急ぐものではないよ」

伸びてきた手にがっちりと肩を掴まれて捕獲される。

「…ご用件は何でしょうか…」

駐屯兵団の長期視察を終えて数週間ぶりに帰って来たばかりだというのに、次は一体どんな難題を押し付けられるのやら。

溜め息を吐いたわたしの掌に、団長は小さな紙袋を乗せた。

「……あの、団長?」

「内地で貰った茶葉でね。これが中々美味しいんだ」

「はぁ…」

「それをリヴァイのところに届けてくれないかい?」

……前言撤回だ。

にっこり笑った団長と目が合って、思わず苦笑が零れる。

「…彼はまた休みも取らずに仕事を?」

「休めと言って素直に聞くような男じゃないことは、ルリが一番よく知っているだろう?」

それに、と意味ありげに言葉を切った団長は、今度は茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべた。

「リヴァイは君が隣にいないと寝覚めが悪いらしいしね」

「あら。わたしも彼がいないと安眠できないので、お互い様です」

わざとらしく澄ましてそう言えば、団長は目を丸くしたあと、心底愉快そうに声を立てて笑った。

「これは一本取られたな」

朗らかな笑い声を聞きながら、一礼して団長室を後にする。

一歩。

また一歩。

踏み出す度に自然と歩幅が速くなるのは止められず、気が付けばいつの間にか駆け出していた。

弾む呼吸を整えながら向かった廊下の先、通い慣れた部屋の扉を静かに叩く。

「……入れ」

僅かな沈黙の後に聞こえた入室を許可する声は、いつもより低く掠れて濃い疲労の色が滲んでいる。

「失礼します」

扉を潜ると、ゆっくりと瞬いたリヴァイの瞳が驚いたように見開かれた。

視線が重なる。

形の良い唇が静かに、優しい笑みを象った。

「ルリ」

名前を呼ぶ声、真っ直ぐな眼差しと一緒に、ついと伸べられる指先。

「来い」

惹かれるままに足を踏み出せば、力強い腕に手を取られてそっと抱き寄せられた。

髪を撫でてくれた掌がゆるりと滑って頬に触れる。

「おいルリ、いい加減顔を上げろ」

「……もう少しだけ」

離れがたくて、ぎゅう、と背中に回した指先に力を入れたら、小さな溜め息が耳元に落ちた。

次の瞬間緩く耳朶を甘噛みされ、ぞくりと背筋に震えが走る。

「……っ…!」

反射的に顔を上げれば、目の前には不敵に笑うリヴァイの瞳があった。

「顔を見せろと言わなきゃ分からねぇのか」

「わ、分かる訳ないでしょ…!」

「それくらい察しろ」

「あのねぇリヴァイ、」

反論しようとした言葉はすぐに呑み込まれた。

唇に落ちたやわらかな熱が、啄むように触れてから離れていく。

「…顔が赤ぇな」

ふ、と唇の上で笑う声。

「…誰のせいだと…」

「まぁ、俺以外でお前にそんな顔をさせる奴がいるなら、そいつを生かしておく自信はねぇが」

物騒な言葉を吐きながら、それでもわたしを捕らえる指先はどこまでも優しくて。

結局はいつだってこうして蕩けてしまいそうなほど甘やかされる。

「…ねぇ、リヴァイ?」

「なんだ」

額にかかる前髪を払われて、またそこに唇が触れる。

思わず目を閉じてもう一度彼の腕の中に身体を預けたくなったけれど、なんとか堪えた。

間近にある瞳をじっと見下ろす。

「言って」

「あ?」

「……まだ聞いてないもの」

一瞬何のことかと眉を寄せたリヴァイは、それでもすぐにわたしの表情を見てその意図を察してくれたらしい。

「何をガキみたいに拗ねてやがる」

大きな掌にくしゃりと髪をかき撫でられる。

そのままそっと頬を包まれて、こつんと額が合わさった。

まるであたたかな体温を分け与えるように。

「――おかえり、ルリ」

やがて静かに囁かれたその言葉が、渇いた喉を潤す水のように、身体の隅々まで浸透していく。

「ただいま、リヴァイ…」

あぁ、ようやく自分の在るべき場所に帰ってきたのだ。

石鹸と陽向の香りがする腕にもう一度身動ぎ出来なくなるほど強く抱き締められながら、幸福に満たされる心の片隅で、そんなことを想った。


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