エレンから見たルリという女性は、およそ兵士とは思えないほど、無骨さや屈強さといった雰囲気からはかけ離れたところにいる存在だった。 端麗な容姿に華奢な体躯、やわらかな物腰と穏やかな性格。 加えて自分の上官が掌中の珠の如く大切に守っている女性であるということ。 だがしかし、ここに至ってエレンは最も重要なことを失念していた。 自分が所属する調査兵団が奇人変人の巣窟であり、彼女も歴としたその中の一員なのだということを。 そして何より、人類最強とまで称されるかの男が、ただ綺麗で優しいだけの女性を傍に置くはずがないということを。 「…こ、これって…冗談とかじゃ…?」 一枚の紙を握り締めるエレンの手はブルブルと震えていた。 そこには人名とその人物に関するある数字が羅列されていたのだが、記されている内容が真実だとはとても思えなかったのだ。 決して悪い意味などではなく。 「ううん、それ、間違いなくルリの対巨人討伐数と討伐補佐数よ」 今しがた話題に上ったばかりの彼女に淹れて貰った紅茶を美味しそうに飲んでいたペトラは、けろりとした表情で言い放った。 ルリの紅茶はペトラやエレンを含む班員全員の好物でもある。 彼女に関してはその心の狭さを遺憾なく発揮するリヴァイの所為でそう毎日口に出来るものではないのだが、一先ずそれは置いておくことにして。 「嘘ですよねペトラさん!!」 「嘘じゃないったら」 「だっ、だってこれ…!」 壁外調査に赴く調査兵団の兵士たちにとって、巨人との交戦は当然避けて通れない道だ。 数が物をいう訳ではないのだが、対巨人の討伐数と討伐補佐数がその人物の力量を測るための指標となっていることは紛れもない事実だった。 巨人討伐に関しては精鋭揃いのリヴァイ班であったが、その中でもルリの持つ数字は明らかに群を抜いている。 今までエレンの知る限り最も多い討伐数はオルオの39体であったが、彼女の討伐数はゆうにその倍を超えていた。 討伐補佐数に至ってはまさかの三桁超えである。 「…ルリさんすげぇ…!」 あの細腕で刃を振るうなど想像も付かないが、彼女が戦う姿はきっと物凄く凛々しくて綺麗に違いない。 純粋に尊敬の念を抱いたエレンはキラキラと目を輝かせた。 そんな様子を見ていたペトラは若いって羨ましいわと溜め息を吐きながら、こちらも班員全員の大好物であるルリの手作りクッキーをサクサクつまむ。 「ちなみにルリの討伐補佐数は、ほぼ全部が兵長とペアを組んだ時の戦果ね」 「そうなんですか!?」 「もう、なんていうか凄いの一言に尽きるわよ」 その時の光景を思い返したペトラはクッキーを咥えながら遠い目をした。 はっきり言ってあの二人の強さは最早人外だ。 「…というか、当たり前みたいに壁外でも一緒なんですね、ルリさんと兵長…」 「そりゃそうよ。超一級の危険しかない場所で、兵長があの子を傍から離すと思う?」 「…思わないです…」 もしかして壁外でも普段と同じように人目を憚らず甘ったるい空気を醸し出したりしているのだろうか。 (いやいやそんなまさか) うすら寒いものを感じたエレンは早々にそれ以上考えることを放棄した。 ほぼ同じタイミングで、背後の扉ががちゃりと開く。 「二人とも、紅茶のおかわりはいる?」 にこにこと微笑むルリを見たエレンの目の色が瞬時に変わった。 「ルリさん!」 「あっ、ちょっ、エレン!」 何故か慌てふためくペトラの制止もなんのその、ルリに駆け寄ったエレンは彼女の白くてやわらかな手を取り、ぎゅうっと握り締める。 「あのっ、ルリさん、今度俺の訓練に付き合って貰えませんか!」 「もちろん構わないけど…急にどうしたの?」 不思議そうに首を傾げるルリの両手をしっかり握り締めたまま、エレンがさらに口を開こうとした時だった。 「随分と楽しそうだな、エレン」 「……………!」 冷ややかこの上ない微笑を湛えたリヴァイが、ルリの後ろからゆらりと足を踏み出した。 容赦ない力でばしんとエレンの手を叩き落とす。 続くのは地を這うような低音。 「…誰の許可を得てルリに触れていやがる、クソガキが」 「やっ、あの、これは違っ…」 ルリには声の聞こえない距離、見えない位置でがっちり掴まれた腕の骨がギリギリと不吉な音を立てている。 すたこらと逃亡を図っていたペトラが、リヴァイの肩越しにグッと親指を突き立てるのが見えた。 (いやそれどんな意味ですかペトラさん!?) あわあわと青褪めるエレンに向かって、いっそ不気味なほど優しげな囁きが落ちた。 「そんなに訓練がしたいなら、今すぐに俺が付き合ってやる。骨の髄までみっちりと巨人を討伐するコツを仕込んでやろう」 (その前に俺が討伐される…!) 恐怖で言葉も出ないエレンの様子をどう解釈したのか、ルリはにっこりと嬉しそうに微笑む。 「良かったわね、エレン。リヴァイ兵長が直々に教えるだなんて、きっと見込みがあるのよ。頑張ってね」 「………はい………」 もう頷くことしかできなかった。 項垂れるエレンの襟首を掴んで連行していくリヴァイは、去り際にルリの頭を優しく撫でることも忘れない。 「戻ったらお前の淹れた紅茶が飲みたい」 「はい兵長、準備しておきます。どうぞお気を付けて」 「ん」 愛おしげに彼女の頬に触れ、意気揚々とエレンを引き摺って行く。 「………御愁傷様」 二人のやり取りに新婚夫婦か!と内心でツッコミを入れつつ、あっという間に見えなくなった少年の背中に向かって、ペトラはそっと両手を合わせた。 憧れは身を焦がして ×
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