※「二千年後の君へ」続編 「リヴァイー!」 「……チッ」 パソコンの電源を落として帰り支度を始めていたリヴァイは、背後から聞こえてくる同僚の賑やかな声に思わず顔を顰めた。 無視して背広を羽織ろうとした瞬間、「ちょっと無視しないでよー!」と飛び掛かってくる気配を感じたので、ギリギリで左に避けて回避する。 物凄い勢いで隣のデスクに突っ込んだハンジはむくりと身体を起こすと、全くめげた様子もなくにっこり笑った。 「今からリヴァイの家行っていい?」 「来るな」 一秒で切り捨てたリヴァイは冷ややかな眼差しでハンジを睨む。 「お前、今日が何曜日か知ってるか」 「知ってるよ!花の金曜日、略して花金だよね!」 「ほう、知った上で新婚の家庭に上がり込もうとはいい度胸だな」 「…新婚って、あなたたち確か結婚してからもう一年以上経ってるでしょ」 まぁでも、とニヤニヤ笑ったハンジは、眉を寄せるリヴァイの眼前に向かってズイッとスマートフォンの画面を突き出した。 「既に可愛い奥さんに許可は貰ってるんだよねー。『ハンジに会えるのがとっても楽しみです。美味しいご飯を作って待ってるね!』だってさ!」 「……チッ」 リヴァイは再度盛大に舌打ちする。 しかし、妻にはとことん甘い彼が、彼女が楽しみにしているということを無碍にできよう筈もなかった。 仕方なしにハンジを車に乗せて自宅へ向かうが、その表情たるや、泣く子も黙るどころかさらに泣き喚きそうなほど凶悪であった。 「あ、ちなみに今日はお泊まりよろしくー」 「どこまで図々しいんだテメェは!」 「ルリはいいよって言ったもん」 「………」 一気に込み上げる疲労と怒りを感じながらリヴァイが自宅の扉を解錠すると、パタパタと軽やかな足音と、食欲をそそる香ばしい香りに出迎えられた。 「おかえりなさい、リヴァイ!ハンジも久しぶり!」 嬉しそうに駆け寄ってきた妻の姿に、リヴァイは軽く眉を顰めた。 「…走るなと言っただろう、ルリ」 「もう、大丈夫だってば」 「ルリー!会いたかったー!」 後ろから飛び出したハンジの襟首を、問答無用でリヴァイが掴む。 「汚ねぇな。まず手を洗え」 「……はい」 項垂れるハンジを見たルリがクスクスと笑いながらリビングの扉を潜った。 「さぁどうぞ。二人の好きなお料理たくさん作ったから、いっぱい食べてね」 「ありがとう!あ、そうだこれ、エルヴィンに貰ったお酒!ルリも飲もうよ。こないだ二十歳になったんだし、お酒は解禁でしょ?」 ワインボトルを差し出すと、彼女は困ったように笑う。 「ごめんね、今は飲めないの」 「え、なんで?結構飲める方だったよね?」 ハンジが不思議そうに首を傾げると、ルリはちらりと傍らの夫に視線を向けた。 「えぇと…ね、リヴァイ」 「あぁ…」 はにかんだ笑みを浮かべるルリの肩を抱き寄せ、リヴァイは彼女の腹部をそっと撫でる。 「…五ヶ月だ。年が明ける頃には生まれる」 見た目にそれほど大きな変化はなかったが、彼女のこの華奢な身体の中には、確かにもう一つの小さな命が宿っているのだ。 「…っ、ルリ、おめでとう…!」 感極まって勢いよく抱き付こうとしたハンジの顔面に、リヴァイの蹴りが容赦なくめり込む。 「ふざけてんじゃねぇぞハンジ。ルリに万が一のことがあったらどうしてくれる」 「う、ご、ごめん…」 微笑んだルリが穏やかにリヴァイを宥める。 「そんなに心配しなくても大丈夫なのに」 ねぇ、とまだあまり膨らみの目立たない腹部を撫でる表情は、すっかり母親のそれだ。 「けど、内緒にしてるなんて酷いよ二人とも!」 「ごめんねハンジ。安定期に入るまでは黙ってろってリヴァイが言うから」 「当然だろうが」 リヴァイはごく優しい仕草でルリの腰に手を添えると、労るように彼女をソファへ座らせた。 「悪阻が酷くてまともに飯も食えなかったんだぞ。心配して何が悪い」 「…わぁ、開き直ったよこの人。相変わらず清々しいほどルリには優しいね」 ここまで堂々とされるといっそ潔い。 最もこの男のルリに対する過保護っぷりは今に始まったことではないので、ハンジはやれやれと溜め息を吐くに留めた。 すると、二人のやり取りをにこにこと眺めていたルリが、あら、と小さな声を上げてお腹を押さえる。 すかさず振り返ったリヴァイは表情を変えて妻の肩を掴んだ。 「どうした、どこか痛むのか」 「やぁねぇ、心配し過ぎだったら」 屈託なく笑ったルリが言う。 「今、この子が動いたの」 「…………!」 目を見張ったリヴァイが恐る恐るやわらかな腹部を撫でると、まるで応えるようにトン、と動くのがはっきり分かった。 「ね?」 「あぁ…元気そうで何よりだ」 目を合わせて微笑む夫婦の幸せそうな様子を見ていたハンジが、わくわくと身を乗り出す。 「ねぇねぇ、私も触っていい!?」 「もちろん。いっぱい撫でてあげてね」 「おいちょっと待て、その前に手を洗えクソメガネ」 嬉々として手を伸ばしたハンジの腕を、洒落にならない強さでリヴァイが掴んだ。 ギリギリと骨をへし折らんばかりの力に耐えかねたハンジが悲鳴を上げる。 「痛ァァァ!てか、え、こんなときまで潔癖性!?心が狭いにも程があるよ!」 「うるせぇな、言う通りにするまで触らせねぇぞ。コイツにテメェの変態さが移ったらどう責任を取るつもりだ、あぁ?」 「生まれる前からすでに親馬鹿!」 「親馬鹿で何が悪い」 「またしても開き直ってるし!」 「ちょっと二人とも、この子の前で喧嘩するのはやめてちょうだい」 呆れたようなルリの声に、二人はピタリと言い争うのを止めた。 「お腹の中にいても、この子にはちゃんと聞こえてるんだからね。胎教に悪いでしょ!」 「……悪かった」 「……ごめん」 叱られた二人の脳裏には、母は強しの一言が同時に浮かぶ。 何にせよ、リヴァイもハンジもルリには弱いのだ。 昔からずっとそれは変わらない。 それでも、確かに変わったものもあることを、かつて共に戦った仲間の誰もが知っている。 「聞こえるでしょう?みんながあなたに逢えるのをとっても楽しみにしてるからね」 未だ見ぬ我が子を優しく慈しむルリに、リヴァイがそっと寄り添う。 いつかこんな光景が見られる日がくることを、ずっと願って生きてきた。 随分長く時間はかかったけれど。 待ち望んだ日々は、溢れるほどに甘く、やわらかな幸福で満たされている。 While there's life, there's happiness ×
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