隣を歩いていたリヴァイの足が止まったことに気が付いて、報告書を読みながら歩いていたエルヴィンも立ち止まった。

リヴァイは廊下の向こうを鋭い眼差しで睨み付けている。

一体何事が起きたのかと、好奇心に釣られてその先に視線をやったエルヴィンは思わず瞠目した。

そこでは年若い二人の男女が何やら仲睦まじく会話に花を咲かせている。

男は昨日から調査兵団の視察に訪れている憲兵団の兵士の一人。

そして女性は、今自分の傍らに立つリヴァイの補佐官を務めているルリであった。

「……チッ」

いかにも親しげな様子の二人に苛立ったのか、リヴァイは短く舌打ちした。

この男がどれだけ彼女を大切に想って傍に置いているか、知らぬ人間は調査兵団にはいない。

大切であるからこそ未だそれ以上の関係に踏み出せていないのだということも。

知っていてなお彼女に好意を寄せる人間も多いが、それらはとりあえず水面下での話である。

「落ち着きなさい、リヴァイ」

今にもルリと憲兵団の男との間に割って入りかねないリヴァイの肩を掴んで止める。

射殺さんばかりの視線で睨まれるが、今更そんなことで怯むようなエルヴィンではない。

「訓練兵時代の同期だそうだよ。昨日ルリが嬉しそうに教えてくれてね」

「だから何だ」

嬉しそうに、の件であからさまに顔をしかめた彼の反応を内心で密かに面白がりつつ、何気なさを装って話を続ける。

「しかしお似合いだと思わないか?年も近いし、彼は若いながらも憲兵団で要職を担っている。それに中々の好青年だ」

「…何が言いたい」

「つまり油断は禁物ということだよ。横から浚われる可能性だって、ないとは言い切れないだろう?」

「くだらねぇな」

吐き捨てるように言ったリヴァイは、捕まれていた腕を振り払って微かな笑みを浮かべた。

「俺がそんなヘマをするとでも?」

些かも迷いのない言葉に、エルヴィンは思わず苦笑する。

他人に無関心であった男がこれほど深く想える相手に出逢えたことを喜ぶべきなのか、それとも身動ぎできなくなるほどに愛されている彼女へ同情すべきなのか。

「…しかし、そこまで言い切れるのに、どうして肝心の一言が伝えられないのかな」

「うるせぇ。それこそ余計な世話だ」

心底嫌そうに眉を寄せてエルヴィンを睨んだリヴァイは、これ以上の問答はごめんだというように目を逸らした。

そうして、ただ一言。

「ルリ」

名前を呼ぶ。

声を張り上げなければ相手には聞こえないほどの距離であったのに、その静かな声音は違わず彼女に届いた。

「リヴァイ兵長!」

振り返ったルリは、まるで花が綻ぶように微笑む。

すぐさま踵を返そうとした彼女の細い手首を、男が掴んで引き留め、その耳元で何事かを囁いた。

しかし、不快げに眉を寄せたリヴァイが一歩足を踏み出す前に、男の手を解いたルリが真っ直ぐに二人に向かって駆け寄ってくる。

「リヴァイ兵長、エルヴィン団長、お疲れ様です」

「あぁ、ルリもご苦労様」

穏やかに笑って迎えたエルヴィンとは対称的に、眉間に皺を刻んだままのリヴァイは無言で彼女の手を取った。

先程男が掴んだ手首の辺りに然り気無く触れながら口を開く。

「あの男、お前の同期だそうだな」

「はい、久しぶりに会ったので懐かしいです」

「話は済んだのか」

「えぇ、元々二人がお戻りになるまで、と思っていましたから」

「…そうか」

ならいい、と表情を和らげてルリの髪に優しく触れる。

そのあとの僅かな一瞬。

リヴァイの隣にいたエルヴィンは、彼の唇が音もなく言葉を紡ぐ様をしっかりと捉えていた。

これは俺のものだ、と。

男を冷ややかに見据えながら。

薄い笑みを刻んで、見せつけるように指先に絡めたルリの髪を一筋掬い上げて唇を寄せる。

「…っ…!」

一瞬で状況を理解し、青褪めた男が即座に身を翻して立ち去って行くのには目もくれず、リヴァイはやわらかな眼差しをルリに注いだ。

髪に触れていた指先は、そのままゆるりと滑って彼女の白く滑らかな頬を撫でる。

慈しむように何度も触れてから、ようやく名残惜しげに手を離した。

愛らしい微笑を浮かべてリヴァイの行動を受け入れるルリは端から見ていても実に幸せそうで、恋する乙女そのものといった様子である。

(…やれやれ、だな)

どこからどう見ても恋人同士の触れ合いにしか見えないそれを、エルヴィンは微笑ましい思いで見つめる。

大多数の調査兵団員たちには目の毒だと言われる二人だが、流石にそこは年の功だ。

「リヴァイ」

いつの間にやら彼女の手を引いてさっさとこの場を離れようとするリヴァイに向かって、エルヴィンは極めてにこやかな笑みを手向ける。

「あまり大事にし過ぎるのも考えものだよ」

ルリは何のことかと首を傾げたが、リヴァイにはそれで充分だった。

「…余計な世話だと言っただろうが」

苦々しげに吐き捨てられたその台詞を聞くのは、本日二度目のことである。

込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、エルヴィンはそれ以上何も言わず、黙って二人の背中を見送った。


恋情の狭間

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