人類最強とまで称される自分の上官が、実はその二つ名や実力に見合ず存外心が狭いということを、エレンはここしばらくの間で十分過ぎるほどに思い知らされた。

ことにある一人の女性に関してその心の狭さが遺憾無く発揮されるということも、現在身を持って実感している真っ最中である。

(こっ…怖ぇぇぇ…!兵長怖ぇぇぇ!)

見られている。

物凄く見られている。

視線で穴が空くどころか視線で殺されかねないくらい凶悪な視線がギリギリと突き刺さっている。

いつもならここですぐさま引き下がるエレンだったが、今日ばかりは違った。

でも、だって、とほとんど泣きそうな表情で歯を食いしばりながら耐える。

気分はさながら蛇に睨まれた蛙。

(…お、俺だってたまにはルリさんと喋ったりお茶したりしたい…!)

ぎゅう、と膝の上に置いた拳を握り締めた。

未だ恋人未満であるリヴァイとルリとは言え、自分が付け入る隙など微塵もないことは分かっている。

しかし、年上の綺麗な女性に憧れるというのは、思春期真っ盛りな少年として避けては通れぬ道なのだ。

早くに母親を失い、今また特異な環境に身を置くエレンにとって、ルリは初めて母や姉のように甘えることができる存在でもあった。

人の機微に聡いルリもそのことをちゃんと理解していて、事あるごとにエレンを気にかけては、実の弟のように可愛がっている。

最も、それがリヴァイを苛立たせる大きな要因にもなっているのだが。

「…ルリ」

「はい、兵長。紅茶ですね、すぐお持ちします」

にっこり微笑んだルリは、いつだって完璧にリヴァイの意図を汲み取る。

名前を呼ぶだけで通じるのは流石補佐官だな、とエレンは思うのだが、ハンジなど古参の面々に言わせると、

「恋人すっ飛ばして夫婦だね、アレは。だからいつまで経ってもくっ付かないんだよ。リヴァイってばあの顔で案外ヘタレだからさぁ、告白するタイミング逃しまくりで大笑い!そのくせルリに近付く男は問答無用で病院送りにしちゃうし、もういっそ哀れっていうか」

ということらしかった。

…大人って難しい。

「エレン、あなたも紅茶でいい?」

「あっ、はっ、はい!」

そんなエレンの様子を緊張しているからだと思ったのか、ルリは自分より少し高い位置にある頭をそっと撫でた。

やわらかな掌の温度と優しい笑顔、ほんのりと漂う甘い香りに、女性に対して免疫の少ないエレンはたちまち耳まで真っ赤になる。

同時に突き刺さる視線の威力が倍増した。

「う、あ、あの、ルリ、さん…」

恐怖と羞恥から涙目になったエレンの頭をよしよしと撫でて、ルリは微笑んだ。

「慣れない環境で不安なことだらけだと思うけど、無理はしなくていいのよ。心配事があったら何でも相談してね」

握り締めていた拳を、きゅう、と優しく包まれる。

「…ルリさん…!」

間近に迫る脅威をついうっかり忘れ、潤んだ瞳でルリを見つめたその瞬間。

「おい」

黙って二人の様子を眺めていたリヴァイが、ゆっくりと口を開く。

つられて声の方を向いたエレンは、見なければ良かったと後悔した。

鬼がいる。

(や、やばい…!)

青褪めるエレンとは対称的に、ルリは動じることなくにこやかな笑みを浮かべた。

「すみません兵長、すぐに紅茶を…」

「いや、それは後でいい。それよりルリ、明日の訓練のことで確認事項がある。来い」

「はい」

「それから…エレン」

「えっ、あっ、はいっ!」

ルリに対するよりあからさまに低い声音で呼ばれたエレンは、極力相手の目を見ないようにしつつ立ち上がった。

そろそろと怯えながら近寄ると、ほらよ、とばかりに数枚の書類を放り投げられる。

「…あの、兵長、これは…?」

「ハンジに渡してこい。サインを貰うまでは戻ってくるな」

「はぁ…」

それだけ言って、リヴァイは興味を失ったようにさっさと視線を逸らした。

傍に立つルリの指先を掴んで自分の方へ引き寄せる。

見ているだけで赤面するようなその優しい仕草に、思わずエレンは硬直した。

書面を覗き込むルリの肩口からさらさらと流れ落ちた髪を丁寧に梳きやって耳にかけてやりながら、リヴァイは固まったエレンをちらりと一瞥する。

「…どうした、早く行け」

「はっ、はい!!」

リヴァイの掌がそっとルリの白い頬を滑る光景を視界の最後に入れて、エレンは素早く扉を閉めた。

渡された書類が自分を追い出すための口実に過ぎないこと位は流石に分かる。

扉の中の二人を想像して、思わず顔が熱くなった。

「……っ…」

次に会う時、一体どんな顔をすればいいのか。

動揺しながらもとりあえず律儀に書類を届けに向かった先でハンジに捕まり、当然の如く赤い顔の理由を問い質された。

理由を聞いたハンジが面白がってリヴァイの部屋に特攻をかけ、もれなく返り討ちにされるのだが、それはまた別の話である。


盲目的な愛を知る

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