花火の後にされた、数年前の話。
藤真先生は私に教えてくれた。彼が翔陽の教師を目指すきっかけになったのが私だという事を。
藤真先生に言われた昔の思い出を、私は全く覚えていなくて。それを藤真先生は当たり前だと笑った。
「お前に会えたから、俺はあの夏の後引退せずに冬の大会に挑めた。」
ありがとう
その言葉は、残っていた花火と共に消えた。
やばい、どうしよう。
次の日、いつも通りの補習を受ける為に学校へ行き、化学準備室の前で思ったことはそれだった。
別に昨日、花火をしただけだし、ご飯一緒に食べただけだし、昔話をされただけ‥だし!なんでこんなに緊張してるんだろう私は!おかしい、おかしいよ!
ドアに頭を押し付けて、色々な感情を潰した。
・・でも藤真先生のあの少し寂しげな顔が忘れられない自分がいるのも確かで、胸が締め付けられたもの確かだ。
「・・・・みょうじ?」
「・・・花形先生?」
右を向けば1学期に会った以来の花形先生がこちらに向かって歩いてきていた。
そういえばまだ数学の宿題終わってないなぁなんて思い出しながら、どうしたんですか、とジャージを着た先生に声をかける。
「お前こそどうした。百面相だったぞ?」
「そ、そんな顔してました?」
恥ずかしい!とドアノブに手をかけていた手を離して慌てると花形先生に笑われた。
この人も藤真先生に負けず劣らず上品な笑い方が出来る人なんだなぁと思わず見つめてしまう。
「入らないのか?」
「あ・・、」
その質問に、思わず顔を伏せた。別に卑しい気持ちがあるわけじゃないのに、なぜかその質問に過剰反応をしてしまう自分がいた。
そんな私の心情を察したのか、花形先生はメガネを中指で直しながら口を開く。
「昨日は藤真と花火をしたそうだな。」
知ってるぞ?と藤真先生は笑った。
ぱっと顔を上げれば花形先生は困ったような、それでも優しい顔をしていた。
何で知ってるんですか、なんて野暮な事は聞かない。花形先生は高野先生と藤真先生のことなら何でも知っていると前に言っていたから。
きっと電話かなにかで藤真先生から聞いたんだろう。
「花形先生は、藤真先生が私の事を昔から知ってたってことを知っていましたよね・・?」
「あぁ、知ってた。」
私の質問に特に驚く事も、焦る事も無く花形先生は坦々と返した。あんまりにも普通に、当たり前のように答えられてしまったからそれ以上質問が出来ない。
花形先生は腕時計に目をやった。
「まぁあれだ。藤真は楽しい事が大好きだからな。何も考えずに相手をしてやれ。あいつは馬鹿じゃない。お前の事をちゃんと考えている。」
じゃあな、と花形先生は手をひらひらさせて私の前を通り過ぎる。ふわり、と石鹸のような香りが鼻を掠めた。
その次の瞬間。私は言うつもりも無かった事を、口にしていた。
「昨日藤真先生が、寂しそうに、笑ったんです。」
私の声に、花形先生は足を止めた。
振り返ると少しだけ驚いた顔をして私を見ている。そして何か言おうとしてくれたみたいで一瞬口を開いたけど、結局何も言わずに行ってしまった。
何を言ってくれようとしたんだろうか。言う必要がないと判断して言うのをやめたのか、それとも言いたくても言えなかったんだろうか。
色んな考えが頭を巡るけど、小さな私の脳内じゃ考えられる事なんて限られていて、同じような事しか考えられなかった。
「あれ、みょうじ。扉開いてなかったか?」
ぼうっと花形先生が去った方を見つめていると、後ろから昨日の夜に聞いたばかりの藤真先生の声が聞こえた。ゆっくり振り返ると部活からそのままきたらしいジャージ姿のままの藤真先生がプリント片手にこちらへ歩いてきている。
近づいてくる先生に「こんにちは」とだけ言うと「おー」と返されて藤真先生はドアに手をかけた。
「なんだ、開いてんじゃん。」
早く入れよとドアを開く。中に入っていく藤真先生の背中を見つめていると、入ってこない私に気づいた先生がこちらを振り返った。
「どした?」
「え、っと・・・・、」
藤真先生の問いに返す言葉が見つからなくて顔を伏せた。伏せたままとりあえず化学準備室に入ってドアを閉める。
チラリと視線だけやると、藤真先生はそんな私の行動に藤真先生は何かを考えているようで眉間にしわを寄せていた。
「昨日の事なら、あんま気にすんなよ。俺のことを覚えてない事も当たり前だし、俺は昔話をしただけだ。」
「・・・はい。」
不安いっぱいの声を出してしまって藤真先生はその声に動きを止める。藤真先生も不安そうな目でこっちを見た。そんな顔をさせたくないのに。私はまた自己嫌悪で顔を伏せてしまった。
だからだろうか。
でも、と藤真先生は持っていたプリントを机の上に置きながら続けてくれたのは。
「俺はお前だからこの補習を引き受けた。お前だから毎日やってやろうと思った。お前だから花火をしようって誘った。」
その辺だけ、忘れないでくれと藤真先生はまた寂しそうな顔をした。
どうして、そんなことを言うんだろうか。私の不安な気持ちを吹き飛ばすために、藤真先生は優しい言葉をかけてくれているつもりなんだろうか。
優しい言葉に間違いは無いけれど、今の私にはその言葉は私を傷つける残酷な優しさでしかないのに。
どうして、私の気持ちをかき乱す事を言うんだろうか。
そんなことを言ってくれなければ、私は何も考えずに過ごせるのに。ただ翔陽の人気No.1教師とだけ認識したまま毎日を過ごせるのに。
今まで何度も何度も、この感情を押し殺してきて、勘違いだと言い聞かせてきたのに。
どうしてどうして
「どうして、そんな顔をするんですか。」
私の泣きそうな声に、はっと藤真先生は息を飲んだ。
私も私自身の泣きそうな声に驚いた。泣くつもりなんて無いのに。でも藤真先生にそんな顔をされるのは凄く嫌なんだ。
「楽しいって言ってくれてるのに、声も・・、声だけなら凄く楽しそうな声をしてくれているのに。どうして、表情がそんな寂しそうなんですか。」
藤真先生の、心から笑った顔が好きなのに
そんなことまで言うつもりは無かったのに、私の口は心の中の私の言葉を素直に声に出してしまった。
藤真先生は私の言葉に顔を伏せる。
私の言葉が藤真先生を困らせているのはわかってる。けどもう自分を制御できなかった。
もう自分を騙す事ができなかった。
認めるしか、なかった。
恋なんてほとんどしたことが無いのに、どうして、私は、この人のことを好きになってしまったんだろう。
「・・・なぁ。」
ようやく藤真先生は、沈黙を破ってくれた。
藤真先生は色んな気持ちが混ざり合って今にも泣きそうな私を見る。
そして静かに口を開いた。
「俺には俺の立場がある。お前に言いたい事があっても、言えない事だって、言っちゃいけないことだってある。だから俺は毎回使える表現のギリギリを使って自分の気持ちを表現してるつもりだ。・・そこはわかってくれ。そうすれば、おれは・・お前の言う『寂しい』なんて顔、しないから。」
昨日言ったように、おれはお前と同じで、お前の笑顔が大好きなんだから
この部屋だけに小さく響く声で、藤真先生は言った。
聞き間違い、じゃないだろうか。
夢じゃないだろうか。頬を抓って確かめようにも、驚きとかそういう感情でいっぱいで動けない。
藤真先生は少しだけ困ったように、眉を下げてこっちへ近づいてくる。
「藤真先生は・・何も言えないから、私が勝手に推測して、勝手に言うしかないんです。」
「あぁ。」
「自惚れて、いいんですか。」
先生と一緒に過ごす時間がもっと欲しいと、望んでいいんですか。
藤真先生のことを、もっと知りたいと思ってしまっていいんですか。
「気持ちを、っ押し殺さなくていいんですか・・!」
我慢していた涙が、とうとう零れた。
でも、辛かった。
好きという気持ちをこれ以上我慢するのも、藤真先生に寂しそうな顔をさせるのも、全部全部辛かった。
藤真先生に直接「好き」とは言えないけれど、一番誓い表現で気持ちを伝えたかった。
ゆっくりと近づいてくれた先生の綺麗な手が、私の頬へと伸びる。
「・・・いいよ。」
だから笑え
藤真先生に優しく髪を梳かれて、それがどうしようもなく心地よくて
幸せいっぱいに涙を流してしまったけれど、私は心の底から笑えた。
動き出した物語
**** 急展開!やっとこれからイチャイチャさせられる! あ、ちなみに前も書きましたが補足させていただくと、花形は数学の先生設定です。
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