魚の卵の話。

*一応クジャとジタンは人の形してますが海在住。



 愛しくて仕方なかった。
 小さなその円形に恋をするくらい。
 水面に近いので球体には光が反射してきらきらしている。
 自分の巣に卵を産みつけていったメスはもういないけど、それでも良かった。
 たくさんの命が自分の事を頼りにしてるんだと思ったらそんなのどうだっていい。
 たまにくるりと後ろを振り返る。
 まだ不透明なそれには影も形もありはしない。
 わかってながらもついつい微笑むのは父親気分を先取りしてるからだと思う。

 「美味しそうだねぇ君」

 来た。

 時折こうして卵を狙って来た奴が巣をつつこうとしてくる。
 それを追い払うのが自分の仕事であった。
 でも、今回は変だ。
 相手の目は自分を見ている。
 いつものように、一定の距離まで相手が近づいて来たのですぐに威嚇した。
 近づくな、卵に触るな、早くどこかへ行け、そのどれも彼の耳には届いていないみたいだ。

 「触んなよ、大事な卵」

 「ふぅん、君はそれが大事?」

 「そうだ」

 「それがあるからここから動けない」

 「ああ、守らなくちゃこいつらは誰かの餌になっちまう」

 何度も何度もあったことだ。
 その度に身を呈して守ってきた。
 自分より数倍大きな奴が来ることもある。
 傷だらけになっても振り返ってそれらを見ると、また頑張れる気になれたんだ。
 生きてる、理由なんてそれだけで良かった。
 自分の背にたくさん生きてるを背負っていることが嬉しい。
 何よりその状況に陶酔してるのかも知れない自分がいた。
 ああ怖い。
 それを聞いてたのか聞いてなかったのかわからない。
 目の前の相手は静かに真剣に話を聞いている目でも、虚空に視線をさまよわせてる風でもあった。
 読めない奴だと思った。
 もう帰れと促す。

 「じゃあそれがなくなれば、君はここからいなくなるんだね」

 「どういう意味だ?」

 それはとうとう目の前まで泳いできてそっと頬に触れた。
 冷たい、まるで凍結してるかのようなそれは頬を撫でつけ、先で唇をなぞり、伸びる腕の先に舌なめずりする顔がある。
 よくよく見るとあまりにも造形が綺麗でぞくりとした。
 されるがままになってた自分を起こし、相手を突き放す。

 「僕はそっちに用はないよ、持って帰るのは君一人でいい」

 「は?」

 背後の卵に視線を向けて彼はそう言った。
 わけがわからないといった風に見てるとぐっと腕を引かれる。
 油断していたので危うく体を持っていかれそうになった。
 やばい、と体に停止しろと信号を送って踏ん張れた。

 「とにかくこいつらが生まれるまでは俺はここを離れるわけにはいかないんだ」

 「…どうしても?」

 答えは一つしかない。
首を縦に一度振り、相手の様子を伺う。
 奴は諦めたのか身を翻しどんどんどんどん小さくなっていく。
 砂粒のような後ろ姿をほっと胸を撫で下ろしてみつめていた。



 目が覚めるとまだ辺りは真っ暗だった。
 あの後どうやら疲れて眠ってしまったらしい。
 大したことはしてないのに何故こんなにも疲労してるのかさっぱりわからない。

 「おはよう、随分と早いお目覚めだね」

 はっとして後ろを振り返る。
 それは罪悪感と喪失感を一気に運んできた。
 目の前が真っ白になるとか真っ暗になるとか、強いていうならそんな気分だ。
 何も考えたくない。
 何か考えると現状を理解してしまいそうで怖かった。

 どうしてお前がそこにいるのとか

 どうして俺の大事な卵を食べてるのとか

 山ほどあったけど何も受け付けない。
 全部今はいらない。
 何も聞こえなくていい、ぷちぷちと前歯で卵が割られる音なんて聞こえなくていい。
 何も見えなくていい、割れた卵からいずれ会えるはずだった我が子がただの液体となって死んでいく姿なんて見えなくていい。

 「不思議だね…君は死んだ魚のような目をしているよ」

 優雅な、少し早い朝食だったようだ。
 唇に吸い込まれていく無数の卵に胸を痛める。
 見るのに耐えれなくて、とうとう嗚咽まじりに吐いてしまった。
 内容物がなくなっても、からっぽの胃から吐き出し続けた。

 ごめんなさい。

 守ることができなくてごめんなさい。

 生きることを楽しみにしてたはずなのにごめんなさい。

 声が聞けなくてごめんなさい。

 姿が見れなくてごめんなさい。

 名前が呼べなくてごめんなさい。

 ヒステリックに叫んでそのまま体を仰け反らせ水面を見上げた。
 涙か涎かわからない味が広がる。
 子供達はこの海の色も知らずに死んでいった。
 子供達は海の上に広がる空の色も知らずに死んでいった。
 子供達は自分の顔も知らずに死んでいった。
 何一つとして自分が知っていることの欠片も知らずに死んでいってしまった。

 「これで君がここにいる必要はないだろう?だって君の大事なこどもたちはここにいるんだから」

 奴は自分の腹部に長い爪をたててとんとんと合図してみた。
 それを見てそういえばそうだったと考え直してみる。
 何も悲しむことなんてなかった。 卵を隠す場所がここからそこになっただけのこと。
 それだけ。

 「ほら、おいで」

 両手を広げられた。
 行かなきゃいけない。
 無我夢中でそこに飛び込んだ。
 もう後戻り出来ないと推測したがどうだっていい。
 今度こそ、守らなくちゃならない。

End...


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