mitis somnium

*ED後



随分、長い夢を見ていた。

蕩けきった脳の甘ったるい匂いが辺りに立ち込める。時々わからなくなるのは、ここが幻想と現実どちらの空間かわからないことだった。
自分の体は落ちていくようであり、浮いているようでもある。一つの場所に留まることは許さないと世界に拘束された気分だ。
まっすぐに手を伸ばしてみる。両の手で掴めるものがたった一つだと決まっているならば、彼は迷わなかった。しかし、肝心の掴むものが目の前に存在しない。
その時初めて気がついたのだ、自分の目は何も見えていないことに。先がない暗室。いや、部屋かどうかすらわからない。
四肢の感覚が徐々に失われつつあった。そもそも体があるかすらわからない。もう手を伸ばし続けることにも飽きて、殻に籠るように両肩を抱く。それも意識だけのものかもしれない。

これが恐怖なのか、問う。誰に言ったわけではない。自分への問いかけ。辺りに広がる闇が答えをくれるわけではなかった。

永遠の闇。

本当はずっとこんな場所を探していたのかもしれなかった。何も気にせずに何もせずに、深海をさ迷うグロテスクで神秘的な魚みたいにひっそりと息をするべきだったのだ。
このままずっとこうして永遠にこの空間を漂っていたい。

「おい、起きろよクジャ」

聞こえた少年の声はまだ微睡みを含んでいた。それはこちらの意識か向こうの意識か、そんなことはさして気にする必要もない。
まだ目を覚ますには睡眠時間が足りないと思った彼は、少年の呼び掛けに答えずに羽毛の海に潜る。ふかふかのベッドは目を閉じていれば、永遠に続く深海の夢によく似ていた。

「おい、もう昼なんだぞ?腹も減ったろ?」

「いらないよ」

ついに応えてしまった。その瞬間、彼の意識は次第にはっきりしてきてもう眠れないよと瞼が教える。
前髪を指で掬い上げ、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の天井を見上げた。隣にいた少年は昨晩彼が丁寧に脱がしたブラウスを着て青いリボンを結んでいる。じっとその様子を見ていると、少年は見るなと一喝した。ほんのりと頬を朱に染めている気がする。

「僕はもう少しだけ眠るよ」

「駄目だ、そんなこといってお前すぐ夜眠らなくなるんだからな」

やっと一周して睡眠のサイクルが戻ったのにと、不満の声を漏らす。姑か何かのような少年の台詞にはもう慣れた。

彼は目覚める前にほんの少し見たあの夢が気になって仕方なかった。何かの暗示なのか、特に意味のない記憶の整理なのか、はっきりしない。
ただうっすらと残るのはあれは自分の末路なのではないかということ。とっくに来るはずの逃れられぬ宿命なのだと。

「 …どうしたんだい?ジタン」

「それはこっちの台詞だ」

ぎゅっと後ろから抱きしめられる。どうしてこんなに抑えきれないくらいの不安が少年の腕から伝わってくるのだろうか。今世界で最も不安なのは自分達かもしれなかった。
背中から腕を回されているので髪をすいてやることもできない。きっと少年は途方もない切なさを噛み締めたような顔をしているんだと思う。抱きしめられて重なった肌から移る体温が愛しい。

もう、永続的な独りよがりの幸せなんて望まなかった。彼が唯一望むのは、残された時間を穏やかにすり減らすことのみだ。

「僕には抱きしめさせてくれないんだね?」

「昨日さんざんくっついただろ!」

「ジタン、愛してるよ」

「っ…!!」

背中にぴたりと耳をくっつけていたので、声がそこから響いたのだろう。一瞬虚をつかれたのか腕の力が緩んだ。その隙に少年の腕からすり抜けそっちに向き直る。しまったと言わんばかりに彼の腕の中でもがいたが、遅かった。

「本当は君も眠いんだろう?」

「うっ…」

とろんとした目が反らされる。くすっと小さく笑うと腕が伸びてきて背中に回された。寝起きでぼさぼさになった金色の髪を手ですきながら、閉じられた瞼に口付ける。
少年の口角がくいっと上がった。くすぐったいと胸に顔を押し当ててくる。素直過ぎるそれにますますおかしくなり、目覚めた時にからかってやろうと思いながら再び眠りについた。

今度はきっと大丈夫。


End…



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