2021-2022

10センチほど開いたカーテンの隙間から早朝の白い光がぼんやりと枕元を照らしている。私の隣で眠るリヴァイはいまだ熟睡中だった。普段眉間に刻まれている消えそうにない深い皺は身を顰め、細い眉と眉の間の皮膚は滑らかで、顔にかかった髪も相まってどこか子供っぽい表情はあどけないと言ってもいいぐらいだった。
ベッドが揺れないよう細心の注意を払って私は彼の安らかな眉間に人差し指でそっと触れる。皺のあるべき場所をすっとなぞると、鬱陶し気に眉が顰められおなじみの深い皺が元通り姿を現す。声を出さずに笑う私はふいに彼のことを抱きしめたくなる。
昨晩遅く帰ってきた彼は深い疲労状態にあって、シャワーを済ませると夕食も食べずに昏倒するように眠り込んでしまったのだった。
人付き合いをあまり好まない彼の交友関係は酷く狭い。けれど数えるほどの仲間たちと立ち上げた新しい会社は成功をおさめ、ここのところ忙しいのか連日連夜仕事に明け暮れている。
彼らとは顔見知りなので私も時々一緒に食事をするのだけれど、その時の彼らの食事をすることも忘れて話し合いに夢中になる輝いた瞳や、熱のこもった身振り手振りを眺めるのが私は好きだった。
どこか懐かしいような光景。彼らがテーブルを囲んで白熱した会話を交わしている背中には、星空の下でたき火を囲んで夜通し話し合うような親密さがあった。
だから仕事のし過ぎと言ってもそこまで心配しておらず、むしろ信頼できる仲間とこれほどまでにのめり込んで仕事ができるなんて羨ましいとすら思う。おだやかな寝息をたてているリヴァイの、枕に押しつぶされている片頬が愛おしくてたまらず彼の髪を撫でる。まぶたがぴくぴくと痙攣し、睫毛がかすかに上下する。眠りの向こう側から私をぼんやりと眺めるリヴァイは、掛け布団から腕を伸ばすと私を胸の中に抱え込む。

「ねぼけてるの?」

「……あぁ」

私の言っていることを理解したのかしていないのか、かさついてしゃがれた声が返ってくる。眠っていたせいで火照ったように熱い身体は、すっかり目の覚めていた私の眠気を呼び戻すのにもってこいの熱だった。
繁忙期を終えて初めて迎える週末、疲れているであろう彼のために豪華な朝食でも作ろうかと意気込んで早起きしたはいいけれど、こうなってしまえばやはり眠りの誘惑には勝てそうにない。私の髪に鼻を埋めているリヴァイの腰に手を乗せ、とろとろと意識を覆うまどろみに身を預ける。

昼前に目覚めた私たちは、すっかり明るくなった部屋を見回して顔を見合わせる。

「寝すぎちゃったね。まだ間に合うかな」

「間に合うもなにも、時間を決めてたわけじゃねぇだろ」

「それもそうね」

海に行こうと言いだしたのはリヴァイの方だった。彼の方からどこかに出かけたいと口にするのは珍しいことなので、私はふたつ返事で了承した。
私が身支度を整えている間、リヴァイは丁寧にいれた紅茶を水筒に入れ、冷蔵庫にあった材料でサンドウィッチを作った。
車を走らせ海についたのは午後2時過ぎだった。抜けるような青空には雲ひとつなく、太陽は惜しみなく海をきらめかせていた。私はサンダルを脱いで手に持つと、仕事でたまった鬱憤を吐きだすように、全力で波打ち際まで走った。やわらかくあたたかい砂に足を取られ、何度も転びそうになりながらそれでも足を止めることはしなかった。砂の色が暗くなり、足の裏の感触も徐々に硬くなる。波が足を濡らすのも構わずに走る私を、リヴァイはずっと向こうの方から見ているのだった。
水筒とランチボックスの入った鞄を肩にかけてこっちを見ているリヴァイに大きく手を振る。靴に砂が入るのをあからさまに気にする素振りで慎重に足を運び、こちらに向かってやってくるけれど、決して波の届かない場所までしか歩を進めない。
波音を聞きながら私とリヴァイは平行線の足跡を砂浜に描く。海に来ると何故だろう、私たちは無言になってしまうのだ。海面のきらめきの中に、足元の砂の中に、失くしたものでも探すみたいに目を凝らし、ただどこまでも歩き続ける。
海が嫌いなわけではない。かといって特別に好きなわけでもない。けれど、どうしようもなく心惹かれるのだ。抗いようもない力によって私たちはこの場所に「来させられている」のだった。
湯気の出ている紅茶のカップに口をつけながら、湯気の向こう側に霞んでいる海をぼんやりと眺める。チーズとハムが挟まっただけのシンプルなサンドウィッチは、とっくの昔に胃の中に収まっていた。

「仕事、どう?」

「順調だ。もう少し人員が欲しくはあるが……」

そこまで言うとリヴァイがどことなく苦い顔をするので、そういえばこの前いやにやる気のある若者がオフィスの戸を蹴破る勢いでやって来たのだ、と話していたことを思いだす。

「採用したんだね、その子」

笑って言えばリヴァイは眉間の皺を深くした。そしてその彼と、彼に続くようにして入社を希望してきた友人ふたりについてしばらく話をしてくれた。

「目が、似ている気がした」

「目?」

「ああ。だからきっとアイツも、あんな分別もなさそうなガキくさいやつらを採ったんだろうよ」

アイツ、とはつまりエルヴィンのことだ。リヴァイがエルヴィンをあいつと呼ぶとき、彼の目元がわずかに緩む。私に向けられるのとはまた別の深い交情が彼らの間にはあるのだ。

「同族ってわけね。いいじゃない、素敵」

「世話係を任される身にもなりやがれ」

「それはあなたに人望があるからよ」

くすくすと笑う私に心底げんなりした表情を向けると、リヴァイはそれ以上何も言わず静かに紅茶を飲んでいた。でもきっと、まんざらでもないのかもしれない。本当に嫌だったら彼の性格上断っているだろうし、なんだかんだで面倒見のい人だから。なにせ、庭にやってくる野良猫たちのブラッシングだってやってしまうのだ。勢いのある新人たちを、どこか懐かしい目で見ているリヴァイの姿はありありと想像できた。

日が傾きかけ、私たちは手を繋いで砂を踏みしめていた。

「明日、何か予定ある?」

「いいや、特にないが」

「じゃあエルヴィンのところに一緒に行きたいんだけど」

「おいおい、休みの日までアイツの顔を見なきゃならねえのかよ。勘弁してくれ」

「仕方ないじゃない。ミケの誕生日をサプライズでお祝いする計画立てるんだから」

「……俺は、」

パッと繋いだ手を離すので私はすかさずその手を捕える。

「あなたも強制参加です」

「野郎の誕生日を祝ってどうする」

「麗しき友情じゃない」

「勘弁してくれ」

溜息をつくリヴァイは指が絡まるように手をつなぎ直すと、歩く速度を少し早める。波打ち際からそれた私たちは、金色に光る海を背に車へと戻った。
窓を大きく開けて髪を風になびかせているリヴァイはサングラスをかけている。彼がサングラスをかけると大層人相が悪くなる。潮のにおいが車内を吹き抜け、私は助手席のシートを少しだけ倒して目を閉じる。海岸線の道路は交通量が少なくて静かだった。赤信号でブレーキが踏まれたかと思えば、前触れもなくシートベルトを外した音が聞こた。どうしたのかと目を開けるよりも前に、私はリヴァイに唇を塞がれた。触れた唇があまりにも心地よくて、私は目を開けることができなかった。

「どうしたの、」

と訊いた声は掠れていた。呆気なく唇を離し、シートベルトを締め直して「別に」と答えたリヴァイはゆるやかにアクセルを踏む。どことなく彼が不機嫌そうだった理由を私が知るのは、その夜ベッドに入ってからだった。
私をうつぶせにして背後から抱くリヴァイに「明日はアイツのところに行ってもいいが、午後からだ」と耳を噛まれながら囁かれた。せっかくの休みが自分だけのために割かれなかったことがお気に召さなかったらしい。
もう何年も一緒にいるのに、時々こうして付き合いたての頃のような態度を見せてくれる。「お昼過ぎまで、私はあなただけのものだから」振り向きざまにキスをする。フン、と鼻を鳴らし、肌と肌がぶつかり合う。くずおれる私の、シーツに広がった髪を掬うリヴァイの骨ばった手に触れる。なにがあっても離したくないと思う。縋るように握ると首筋を強く吸われ、私は悲鳴に似た声をあげた。

深夜、同じ香りをまとってベッドに身を横たえている私とリヴァイが口にしているのは愛の囁きではなく、ミケのバースデーパーティーの計画案だった。その合間にキスと忍び笑いを挟み、明日の朝も寝坊するに違いないと言い合う。
たっぷり寝坊した後はリヴァイのいれた紅茶を飲み、遅めの朝食、あるいは早めの昼食をとりつつスーパーに出かけるだろう。ワインやチーズなんかを買いこんで、それを持ってエルヴィンのマンションに行くのだろう。そうして月曜の朝のオフィスで、リヴァイは昨晩したくだらない話を思い出して朝の挨拶がてらエルヴィンと肩をぶつけあったりするのだ。遅れてやって来た新人に掃除を命じたりなんかして。

繰り返されてゆく日々がただ愛おしい。リヴァイと毎日を紡いでゆくこと。それさえあれば私は生きてゆけるのだ。投げ出された腕にぎゅっとしがみ付く。

「おやすみ」

一日の終わりにリヴァイからそのひと言が聞ける幸福。次に目覚めた時あなたに「おはよう」を言うために、私は今日もあなたの腕の中でまぶたを閉じる。


【そのさまはうつくしい人間です】


(連載終了によせて)
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