2021-2022

門倉さんの部屋の机は絶対に丸いちゃぶ台だと思っていた。ふすまがあって、せんべい布団で、夏は扇風機とうちわ(六年前の商店街の夏祭りで配られたもの)で暑さをしのぎ、冬になったらだるまストーブに半纏で寒さに耐える。そういうどうしようもなく前時代的な哀愁に包まれたものたちに囲まれて日々を過ごしているのだと、私は勝手なイメージを抱いていた。
それなのに、今目にしているこの光景があまりにも自分の中のイメージと違いすぎて、私は何かの冗談、例えば私を家に呼ぶのが嫌で友人か誰かの家を自宅と偽っているとか、かと訝しがらずにはいられなかった。
今日ここに来たのだって私のゴリ押しだった。「門倉さんのおうちに行きたいんですけど!」と詰め寄る私に「えー」とか「はぁ……」とか歯切れの悪い返事ばかりを返してよこすので「待ち合わせは駅前!時間は10時半!」といういたってシンプルな約束を強引に取り付けようやく念願叶ったのだ。
なにがなんでも彼の部屋に行きたい私は、待ち合わせの駅につくまで電車が駅に止まるたびに今はどこそこの駅です、と都市伝説のメリーさんよろしくメッセージを送り、駅に着くやいなや「つきましたよ!」と電話をかけた。
「ちゃんと見えてるから」携帯電話から聞こえてくる音声と、門倉さんの身体から直に発せられる声が重なって私の耳に流れ込む。「おはようございます、こんにちは」威勢よく頭を下げる私を、門倉さんは困ったような照れたような、ほんの少し唇を突きだした笑みで見おろしていた。
「んじゃ行くか」そう言って歩きだした彼の、所在なく揺れる右手を取ろうかどうか迷った挙句そっと手の甲で触れてみる。門倉さんは面白いほど動揺して「うおっ」と声をあげると電柱にぶつかった。
「大人をからかうんじゃないよ」と赤くなった額をさする門倉さんのぽってりとした背中は頼りなく丸まっていて、私の中で愛おしさがこみ上げる。「からかうって、たとえばこんな風にですか」と湧きあがる愛情に任せてするりと指を絡ませ身体を寄せると、「やめろよ、ほんとに」と距離を開けられますます私のテンションは上がるのだった。
そうして連れてこられた門倉さんのアパートは、私の想像していた瓦屋根で洗濯機が外に置いてある長屋風の借家、とはかけ離れたこぎれいなアパートだった。しかもオートロックつきの。
言葉を失っている私は部屋に通されてさらに目を疑う羽目になる。ちゃぶ台もなければ達磨ストーブもない。センスのいいダイニングセット、ラグ、ソファ、そして極めつけは床暖房。目力のやけに強い黒猫が一匹、フローリングの上に寝そべっていたので私のその隣に寝そべってみる。

「おい、こら、name!そんな格好するなって」

仰向けになって猫をお腹の上に乗せていると、ティーセット(?!)を持った門倉さんがキッチンから出てきた。
なんとなく、というか、十中八九、このインテリアは全て彼の前妻の残したものであろうことの予測はついた。そして、別れた妻と娘との思い出が多かれ少なかれ詰まった家具たちと彼がなぜ今でも共にあるのか、その理由も容易に推察できた。

「床暖ついてるなんて贅沢ですね」

「……冬はありがたいな。年とると冷えるんだよな、足の先が」

そう言った門倉さんの足先を見ると、つま先から数センチ先のフローリングが抉れているのが目に入る。彼が離婚をし、娘がいるということははじめから聞いていたし自分なりに受け止めて気にしないようにしていたけれど、こういう、生々しい生活の痕を目の当たりにしてしまうと胸のずっと奥の方が爪を立てられたように痛んだ。

「いた、痛い、痛い」

「あーそいつ、甘えるのが好きなクセにたまに爪立てるんだよ」

私の首筋に浅く爪を立てる猫を抱き上げる門倉さん。なるべく私の露出している肌の部分を見ないようにしているのがバレバレで、私は門倉さんのふくらはぎをつま先でつついた。

「お茶じゃなくて、お酒ないんですか」

「お前なぁ……」

「だって、ガラスのティーポットなんて門倉さんらしからぬアイテムでいれられたお茶なんか飲みたくないですもん」

そう言うと、門倉さんは途方に暮れたように頭をかいた。

「だから、家に呼ぶのは気乗りしなかったんだ」

「別れた奥さんの選んだ家具や食器を、捨てるのはもったいないからっていつまでも使い続けているこの家を私に見せたくなかったんでしょう。わかってますよそんなことぐらい。べつにいいじゃないですか、まだ使えるんですもん、使えば。エコじゃないですか。それに私はそんなこと気にするような器の小さな女じゃないですよ」

「まさかとは思うが、もう酒入ってるのか……?」

「素面です!」

怒鳴るように言って跳ね起きると、私はずんずんと台所に向かう。門倉さんは慌てて私を追いかけるけれど、彼が追いつく前に冷蔵庫を開け冷やしてあった缶ビールのプルタブを開ける。プシュ、と小気味いい音がエアコンの暖房が低く唸る部屋に響く。勢い良くビールを煽る私を門倉さんは呆気にとられた表情で眺め、そしておろおろと両手を前に出して私からビール缶を取り上げた。

「とりあえず座れ」

な?と、なだめるような手つきで私の両肩を掴むと回れ右をさせリビングに移動する。強制的にソファに座らされた私は、足元に蹲っている黒猫のつやつやとした毛並みに視線を落とす。

「別に、お酒の力なんか借りなくたって私はちゃんと言いたいことを門倉さんに言えるんです」

これは、酔った時にしか好きだといってくれない彼への当てつけ。門倉さんなんか私に困らされればいいんだ。いつも中年だからとか、お前はまだ若いんだからとか、予防線ばかりをはってのらりくらりと私を交わして、いつまでもそれが続くと思うなよ!

「好きです門倉さん好きです別に門倉さんがバツイチとかそんなの関係ありません私は、門倉利運、私の目の前にいるあなたのことが、好きなんだっ!」

身を乗り出して言い切ると、門倉さんはぽかーんとした間抜け面(それはまさに狸そのものだった)をさらしてこれまたぽかーんと口を開けていた。しばらく待っても何も言わないので「何か言え!」とぷやぷやした胴回りに腕を回して力の限り抱き締める。ぐぇーと変な声で鳴いたあと、門倉さんは身体が膨らむほど大きく息を吸って、それから吐いた。はぁー、と、声に出した溜息のおまけつきで。

「ありがとな」

「お礼を言われる筋合いはありません。当然のことを言ったまでです」

門倉さんの鎖骨のあたりにおでこを押し付けながら私はこたえる。好きな人に好きと言うのは当然だ。それがたとえしょぼくれてくたびれた不運な中年オヤジでも。

「俺にはお前のその、若さが怖いぜ」

「若さは武器です」

門倉さんの耳をかじっていた私は胸を張る。この人を繋ぎとめるなら、使えるものは全部使う。出し惜しみなんかしない。だって、私は出会ってしまったから。全てを投げうってでも、プライドをかなぐり捨ててでも愛したい人に。この人にはどうしてそれがわからないんだろう。

「まぁ、そうだな。そうだよな。……ただな、いつかはなくなるだろう」

黒猫が門倉さんの足元で伸びをする。
ああ、そうか。この人にもあったのだ。若さゆえのひたむきさと情熱でひた走った時が。走って走って、疲れ果てて立ち止まったとき、隣に誰もいない寂しさと刺すような胸の痛みを門倉さんは知っている。隣を走っていた人の背中がどんどん遠ざかってゆくのを、どんな気持ちで眺めていたのだろう。
膝に手をついて、背を丸めうな垂れて肩で息をする門倉さんの尻を、私は想像の中で蹴り飛ばした。「走れ門倉!ほら行くぞ!」と手を引かずにはいられない。「もう走れない」と横っ腹を抑える彼を、引きずるようにして私は前に進む。

「なくなりませんけど。勝手に決めないでもらえませんか?私はずっと好きです。門倉さんのこと。いつもそう言ってるじゃないですか。門倉さんは私のことずっと好きでいてくれないんですか。たった一回奥さんに逃げられたぐらいで達観するのやめてもらっていいですか。私だって門倉さんの奥さんになりたいです。結婚してください」

勢いに任せて最後の部分を口にする。本当は睨んでやりたかったけれど、それではあまりにも可愛げに欠けるし、なにより門倉さんがどんな顔をしているか見るのが怖くて私は俯いたまま唇を噛んだ。わからずや!と胸の中で憎まれ口を叩きながら。
どれだけ経っても門倉さんはなにも言わなくて、だから私も顔をあげるタイミングが見つからなくて、沈黙が重たく私たちにのしかかる。視界がぼやけているのはすきっ腹にビールなんか飲んだせいだろうか。目の裏側が熱かった。沁みだしてきた熱い涙がぼたた、と落ちた。泣いてしまったら、また若さゆえのなんたらだと思われてしまう。泣くな泣くな、泣くな自分。

「悪いが、俺はそんなふうに言ってもらえるほどの男じゃねぇよ。何回も言ったと思うが、俺なんかやめて他の男にしとけ」

そう言う門倉さんの声がひどく優しくて、私は涙を止めることができなくなってしまう。
そんなことを言えば私が引くだろうと思っている読みの浅さ、素直に私の愛情を受け入れてくれない卑屈な姿勢、それでいて私のことを一番に考えてくれている彼の優しさ。そのどれもに私は憤っていた。
……酒だ。
私は勢い良く立ち上がると台所に向かい、すっかりぬるくなって気の抜けたビールの残りを一気に飲み干した。最高に不味い。人生で一番不味いビールだった。空になった缶を握りつぶす。振り返ると不安そうにこっちを見ている門倉さんと目が合った。どしどしとソファに戻ると門倉さんの胸ぐらを掴んで真正面からキスをした。

「門倉さんが結婚してくれないなら、私もうこの先一生誰のことも好きになりませんから」

「……そういうことじゃなくて、」

ようやくはなれた私から目をそらし、口元を手で隠している門倉さん。

「そういうことです。私は、ただ、門倉さんだけが好きなのに、好きなのに……」

なんでわかってくれないんですかぁ。そこまで言うと急速に回ってきたアルコールによって感情がうねり波打って、私はみっともないぐらい号泣した。こじゃれたインテリアがそんな私をせせら笑っていた。私は彼の人生に踏み込ませてもらえないのだろうか。
孤独ぶりやがって。そんなあったかい手で私の涙を拭いやがって。わかってるくせに。わかってるくせに。ゆるく握った拳で私は門倉さんの胸を殴る。好きなのに!と繰り返しながら。

「俺はなぁ、お前に幸せになってほしいだけなんだ」

「だったら結婚してください」

涙と鼻水と下手をしたら涎でぐちゃぐちゃの顔を隠しもせず門倉さんを見据える。彼はそんな私の相貌をからかうでもなく、まっすぐな視線を私に向けていた。

「それでいいのか?」

「だから、いいって、言ってるでしょ……」

ぐるりと世界が回る。お酒に弱いくせにビールなんか飲むんじゃなかった。これじゃあ門倉さんと同じ穴の狢、いや、狸だ。そのまま前に倒れる私を受け止めた門倉さんが、ちいさく笑う気配を感じた。門倉さんのにおいに包まれる。離さないでくださいね。うわごとのように私は言う。

「こんなふうになっちまって、はなせるわけねぇだろ」

呆れたような声が聞こえたのは気のせいだろうか。曖昧な意識の中で私はバージンロードを疾走し、手に持ったブーケで門倉さんにフルスイングをきめる幻覚を見ていた。飛び散る花びらがひどくきれいだった。
間延びした声で黒猫が鳴く。それに合わせて「利運さんー愛してますー」と腑抜けた愛の言葉を私は口にする。

【門倉利運夢オンリー覆面企画「ききかど!」さまに提出】
誤字修正、名前変換箇所追加
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