2021-2022

寒くなったからと言って、力丸くんはお鍋を作ることにしたらしい。とはいえ畑の冬野菜はまだ植えたばかりなので、私たちは近所のスーパーに歩いて向かう。
ニットワンピースに上着をはおり、足元はショートブーツという晩秋さながらの出で立ちをした私の隣を歩く力松くんは、あろうことか半袖だ。上着を着ていかないと風邪ひくよ、と言っても「これぐらいは寒いうちに入らないので」とすっぱり断られてしまう。けれど彼の出身地を考えれば、まぁそうなのかもしれないと納得するもののやっぱり心配で、私は力松くんの腕に鳥肌が立っていないか逐一確認せずにはいられない。
ぴゅう、と吹いてきた冷たい風に首をすくめる。寒いねなんてベタな台詞を、腕を組んだり手を繋いだりする理由にするのは少し恥ずかしくて。けれど、そんなふうにひとりためらっている私の気持ちなんてお構いなしに、力松くんの手が私の手を取る。半袖なのに力松くんの手はあたたかくて、それがおかしくて私は笑う。

「なにがおかしいんですか?」

不思議そうな眼差しすら愛おしくて。

「なんにも!」

さっきまでの恥ずかしさなんて嘘みたいに消えてしまい、私は力松くんの腕にぎゅっとしがみつく。
自分は寒くもなんともないのに晩ごはんをお鍋にしたり、北風もそよ風ぐらいにしか感じていないのに私の手を握ってくれたり。力松くんの生活の中に私が存在することを、彼のさりげない挙動から感じる幸せはこの上ない。それはまるで、力松くんの作る料理みたいだ。お腹のあたりからしみじみと私の全部に染みわたり、手足の先まで幸福でひたひたにしてくれる。
歩幅だって全然違うのに、ほら、こうして私たちは同じペースで歩いている。

カートを押すのは私の役目だ。力松くんは鍋の材料や果物、牛乳パックニ本(歩きで来たのに!)とヨーグルト、パンなどでまたたく間にかごをいっぱいにする。
軽い方の買い物袋は私。重たい方の買い物袋は力松くん。

「頼もしいね、力松くんは」

「どうってことないですよ。nameさんは重たくないですか?」

そう言って私の左側を覗く力松くんに、私は「これぐらいは私だってどうってことないよ」と胸を張る。それなのに力松くんはやや疑いのこもった眼差しを向けるので、繋いだ手をほどいて力こぶを作ってみせた。

「説得力ゼロですね」

はは、と肩を揺らして笑う力松くんに私は軽く体当りする。びくともしないのが少し悔しい。

力松くんとこんなふうになる前、私はもっと自分でなんだってできると思っていた。仕事も身の回りのことも、なんだって、全部。だから、力松くんと向き合えば向き合うほど自分の力の及ばない部分が露呈してゆくことがはじめのうちはとても怖かった。確かだった足元が、突然ぬかるみに変わってしまったかのようで。それ故に彼を拒絶した。「怖いの」と、ありったけの勇気をかき集めて正直に言うのがやっとだった私に、彼が口にしたのは「そんなこと、」だった。そんなことって、と気色ばみそうになった私の肩をそっと掴み、力松くんは眉を下げ「当たり前です」と泣きそうな顔で言ったのだった。「俺だって同じです。でも、俺は、あなたができないことがあるなら代わりに俺がやればいいと思ってます。というか、あなたにできないことを俺以外の誰かがあなたのためにやってしまうのが嫌なんです。だから自分の未熟さや至らなさをあなたに晒してでも、あなたの隣にいたいんです。nameさん、それでは駄目ですか?」そんなふうに問われたら、私はもう素直に「駄目じゃない」なんて答えるしかなくて。それで、化粧が落ちることなんて考えもせずに力松くんの腕の中でわあわあと泣いたのだった。

持ち帰った仕事を片付けながら晩ごはんの支度をする力松くんの後ろ姿を眺める。眺めるだけでは物足りなくなってちょっかいをかけにいくと、「後にしてください」と邪険にされたので拗ねながらキーボードを叩く。包丁の音。キーボードの音。水道の音。キーボードの音……が、止む。

「おまたせしました」

背後から椅子ごと抱きしめられて、私はそれだけで満足してしまう。けれど力松くんはそうではないらしく、かけようと思っていたちょっかいの何十倍もの「ちょっかい」をかけ返されて、私たちは腹ペコになってしまうのだった。
簡単にシャワーを浴びたあと、卓上コンロを挟んで向かい合う。大ぶりに切った野菜と魚、力松くん特製鶏つくね(遠近感が狂うような大きさだった)のどれもが滋味深くおいしかった。
お風呂を済ませ、ソファに背を預け床に座った力松くんの脚の間に収まりながらハンドクリームを塗ってもらう。そんなことしなくていいよ、と言うけれど彼は「俺がやりたいだけなので」と私のお気に入りの香りを丁寧に塗り込んでゆく。じゃあお礼に、と塗り返してあげると力松くんはくんくんと匂いをかぐ。

「いい匂いですね」

「ノスタルジーだよね」

「そうなんですか?これ、そういえばなんの匂いなんですか?」

「金木犀だよ。まさか知らない?」

「金木犀は知ってますけど、あまり馴染みがなかったので。こういう匂いなんですね」

またしても手の平に顔を埋めるようにして匂いをかいでいる。そうか、力松くんにとってこの香りはノスタルジーを呼び起こす香りではないのか、と妙に寂しくなるのは感覚を分かち合えなかったから。仕方のない寂しさを打ち消すように私は手のひらをこすり合わせた。

「今、少し嫉妬しました」

そんな私の手を力松くんの分厚い手が包み込む。

「……?」

振り返ると力松くんは目元をゆるめ、

「俺の知らないnameさんのノスタルジーに」

と言って指先に力を込めた。
なんと答えればいいかわからなくて私は黙ってしまう。別々の人生を別々の場所で歩んできたことによる当然の差異を寂しく思い、もう決して立ち入ることのできない過去に嫉妬するほどに私たちはお互いを欲っしている。

「じゃあ今度、道の向こうの公園に金木犀を見に行こう。きっとまだ咲いてるはずだから」

「はい。お弁当持っていきましょうか」

「おにぎり弁当がいいな。あと卵焼きは絶対ね」

「nameさんが好きなもの、全部入れましょう」 

「力松くん」

「はい」

「……そうじゃなくて、力松くんが好き」

「俺が入れるほど大きなお弁当箱はないですね」
 
困りましたね。そう言って笑った力松くんは、弧を描いたままの唇で私の額に触れた。それは私の真っ赤になった耳を食み、頬を滑り唇に落とされる。
私の大好きなもの。一番は、これ。抱き上げられ、ソファに倒されながら思う。
これまでは別々の場所で生きてきた私たちだけれど、今は同じ場所で同じ時を生き、同じものを食べている。そうやって、少しずつ私たちは同じになってゆく。記憶も身体も境界を曖昧にしながらだんだんと混ざり合い、ひとつの道をゆっくりと、時に駆け足でふたり進んでゆく。

「明日の朝ごはんは私が作るから寝坊してもいいからね」

「それ、nameさんなりの誘い文句ですか?」

「違うよ、本当に」

「わかりました、じゃあ遠慮なく」

私を見る目に熱がこもる。まったく。言葉通りの意味なのに。でもいいや。精いっぱい腕を回しても抱えきれない力松くんの背中に、それでも私は目いっぱい腕を伸ばした。おひさまのにおい。そして、淡く香る金木犀。熱をまとい強くなる香りはもはやノスタルジーでもなんでもなく、ただ私と彼の今としてこの部屋を満たしている。


【例えば僕の為に君がいるとして】


(Happy Birthday!)
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