タソガレドキ忍軍の昔話

思うように身体が動かず気分が悪く、下腹部に常に鈍い痛みがある。女であることに臍を噛む思いで私は床の中で丸まっていた。身体を動かしたいのに腰がまるで立て付けの悪い戸のように軋み立つことすらままならない。こんなことではこの先どうなってしまうのか。涙がこぼれそうになって私はあわてて息を吸った。大丈夫、大丈夫。
自分よりも年下の女子たちが色を使いくのいちとして活躍しているのを見て思わないことがないでもなかったけれど、私は自分がこれまでやってきた道のりを辿るように確かめながらさらしを巻く。秘めた思いを幾重にも巻いた布の下にひた隠す。
これで大丈夫。両頬を優しくはたいて気合を入れ、深呼吸をした。
陣左はなにかと私のことを気にかけてくれるけれど、実は陣左にも縁談が舞い込みそうであるという話を山本さんがしていた。城の長屋でのことだった。家の反対を押し切って狼隊に入隊したのだから、縁談は受け入れねばならないだろうな、と山本さんは言うと私を見た。「そうなると寂しくなるだろう?」お茶を啜った山本さんに私はなんと返していいかわからない。陣左が結婚してしまったとして、私と陣左の関係がどう変わるのだろうか。鍛錬は変わらずにやれるだろうし、忍務だってこれまでどおりであるだろうし。

「陣左が結婚しても、私と陣左はなにも変わらないような気がします」

「……きみはそうかもしれないけど、高坂はどうだろうね」

「陣左はさっさと結婚した方がいいと思いますけどね、むしろ」

「なんでそう思う?」

「だって、奥さんと子どもがいる山本さんは幸せそうだから」

「だから?」

「だから、陣左にも幸せになってほしいなって思うだけです」

「ああ、なるほどね」

私は陣左のことが好きだから、陣左には幸せになってほしい。素敵な家庭を築いてほしい。

「縁談と言えば、小頭の縁談も順調に進んでいるらしい」

「おめでたいこと続きかー。山本さんのところももうすぐ赤ちゃん生まれるんですよね」

「そうだな。楽しみだよ」

「眩しくて見てられません」

目が潰れる!と手をかざした私に山本さんは「nameはどうなんだ」と聞くので「どうもこうも、私は雑渡さん一筋なので」と開き直る。「お前も高坂も困ったもんだ」と笑う山本さんに「山本さんもでしょ」と指摘すれば「ああ、まあ、そうだな。昆奈門、いや、小頭は幸せ者だなまったく」と、心から嬉しそうに言うのだった。時々、山本さんは雑渡さんのことを「昆奈門」と呼ぶ。普段は言わないけれど、ついぽろっと出てしまうのはふたりの関係が浅からぬことを意味していた。純粋に羨ましい。私の知らない雑渡さんを知っている山本さんが。だから私は時々昔話をねだるのだけれど、大概途中で登場した雑渡さんに見つかって「余計なことは言わなくていいの」と仕事の話にすり替えられてしまうのだった。
雑渡さんのことも陣左のことも昔から知っているけれど、彼らが大切な人や家族にだけ見せる親密な表情を私は知らない。山本さんが雑渡さんのことを名前で呼ぶような、そんな親密さを持つ空気を共有できる相手は私にとって陣左なのだけれど、結婚してしまえばそうもいかなくなるだろうことはわかっていた。山本さんには何も変わらないと言ったものの、私だってわかっている。この先自分が歩む道が孤独であることぐらい。例え自分と陣左の間で何かが損なわれたとしても、せめて陣左には幸せになってほしいと思った。山本さんのように、優しい奥さんと可愛い子供に囲まれて。

「おい、明日の昼までに城に来いとのことだが行けそうか」

うつらうつらとしていると戸が叩かれ陣左の声がする。慌てて飛び出すと陣左が口を開けて顔を赤くしたまま黙り込んだので何事かと自分の姿を確認すると、肌蹴た寝巻のままだった。見慣れたものだろうにと肩を竦めて襟を正した私に陣左は「急な戦で忍軍と城兵が駆り出されることになった。来られるようならお前も今から私と一緒に城に来い」と今にも城に向かって走り出しそうな勢いで言う。もう四日目だから大丈夫だろうと思い「準備するから手伝って」と私は陣左を部屋に引っ張り込む。
髪を結っている私の胴に陣左がさらしを巻く。「何故私が」と拒否されたけれど「まぁいいじゃない。減るもんでもないし、見飽きてるでしょ」と笑えば陣左は無言で籠の中にたたんであったさらしを手に取ったのだった。

「ねぇ、縁談ちゃんと受けなよ?」

「誰から聞いた」

「山本さんから」

まったくあの人は、と背後から溜息。

「お前はどう思う」

「どう思うもなにも、入隊のあれこれでわがまま言ったんだからさすがに縁談は断れないでしょ」

結った髪を丸めて言うと、陣左の手が止まる。陣左がちいさく息を吸う音が静かな部屋の空気を震わせた。「陣左、だめだよ」身体を離そうとした私を陣左が後ろから抱き締めた。「こうなるとわかっていて私を入れたのではないのか」「違うよ」「違わない」陣左の腕に力がこもる。

「私は陣左のこと好きだよ。幼馴染として、友達として」

「では訊くが、小頭のことはどうなのだ」

「なんで今その話?」

「聞いている、答えろ」

答えろと言われても私だってよくわからないのだ。それに今この場で私が雑渡さんのことをどう思っているかについて陣左に話す必要がどこにあるのだろう。たわんださらしを陣左の手から取って彼から半歩分距離をとる。

「私は陣左にも雑渡さんにも幸せになってほしいだけだよ」

「では、お前の幸せはどうなる」

上衣を羽織って袴の腰紐を締める私の背中に向かって陣左は言う。
私の幸せ?そんなものについて考えたこともなかったと、初めて気が付く。私の幸せってなんなのだろう。強くなること?それは目標であって夢だ。その先にあるものが幸せなのだろうか。それとも女としての?だとしたら、そんなことを問う陣左はあまりにも非道だ。

「雑渡さんのために在ることが、私の幸せ」

「本当にそれでいいのか?」

陣左が私の腕を掴む。

「それでいいもなにも、そのために私はあの日から今日まで生きてるんだから。なに、私の人生否定するつもり?」

「そんなつもりはない。私は……私だって小頭のことを尊敬しているし、あの方のためならばなんだってできる。だがお前は、」

女ではないか。振り絞ったように苦し気な陣左の声に私の方が辛くなる。陣左は人の感情に疎くないはずなのに時々馬鹿みたいに無神経な発言をする。優しさが故の弊害だ。

「たまにね、こんなに近くにいるんだって思うことない?」

「……」

「じゃあもういいじゃないって、それでいいじゃないって、私は思うの。もっと近くにって、思わないって言ったら嘘になる。でも、私にはこれで十分なの」

それ以上を望むなんて私にはできない。だから、やってのけた陣左は凄い。
結果はわかっていたはずなのに。

「言いたいことはわかる」

「じゃあこの話はもうおしまいにして」

それでもまだ陣左は何か言いたそうにしていたけれど、結局それ以上何も言わなかった。
並んで城に向かう私達を尊奈門が見送ってくれる。何度振り返っても手を振り続けている尊奈門が可愛くて、私は中々前に進めない。

そして、その日はやって来た。
押しつ押されつの戦況を打破すべく、敵陣に爆薬及び火薬を仕込むのが此度の任務であった。各小隊に別れ敵陣に潜り込み定められた配置に置いて合図と共に火をつける。自陣の深部で爆炎が上がったことにより敵方は波のように陣形を崩してゆく。徐々に包囲網を狭めてゆき、敵方の砦のまわりに狼隊が集まった。ここを落とせば我が軍がなだれ込んでくる。手筈通りに諸泉さんとその部下たちが柵を乗り越え中に入る。砦周辺にもすでに火薬が仕込まれているので私たちは諸泉さん達の姿が消えると砦から少し離れた木立で周囲の警戒にあたる。雑渡さんと山本さんが砦の見取り図を手に何かを話し合っていた。私と陣左は一本の木を背に挟んで周囲にあやしい動きがないか目を光らせる。砦に侵入してゆうに三十数えた頃だったろうか、予定通り一度目の爆発が起こり喧騒がひときわ大きくなる。「これで大丈夫だね」「ああ、今日は早く終わりそうだな」私と陣左は背中合わせから隣同士に並んで立つ。黒煙が上がるのを見つめ、残り二回の爆発を待つ。ひとつ、ふたつ。「終わったー」「城に戻るまでが忍務だ馬鹿」陣左が言う。その次の瞬間だった。予定にはない爆発が起き、誘引されるように次々と小規模の爆発が発生した。

「え、なに?」

砦が黒煙に包まれる。「もうすぐ定年なんて嘘みたいだよ。まだまだ身体は動くのに」と長い道のりを振り返るような眼差しをしていた諸泉さんと、いつまでも手を振り続ける尊奈門の姿が黒煙の中で交差して煤けてゆく。
明らかに異常事態だった。集まった者たちの中に諸泉さんと一緒に砦に入った部下はいるものの、諸泉さんの姿はない。「こぼれた弾薬に引火したのを諸泉どのが、私を、次々に爆破が、」顔面を蒼白にして子細を語るも内容はつぎはぎで要領を得ない。けれど彼の不手際をかばった諸泉さんが中に取り残されているのは事実だ。弾薬庫に引火したのか、ひときわ大きな爆発とともに砦の中に火柱が上がる。空気が乾燥しているせいであっという間に火がまわり砦を囲んだ。砦柵までもが燃えはじめ、火の粉が私達に降り注ぐ。
こんなことが、あっていいのだろうか。「早く帰ってきてくださいね」と諸泉さんのまわりを飛び跳ねていた尊奈門。「定年になって暇になったらお前にみっちり稽古をつけてやろう」と尊奈門の頭を撫でていた諸泉さん。
目を見開いて砦を凝視している陣左に「私、行ってくる」と呟くが早いが走り出す。

「山本、あとよろしくね」

私が風を切るのと雑渡さんの声が聞こえてくるのは同時だった。私の隣に並んだ雑渡さんは私の襟元を掴むと思い切り後ろに放り投げる。目があった一瞬、雑渡さんは目を細めて笑ったように見えた。
突然の出来事に私はされるがままだった。炎の中に向かってゆく雑渡さんの後を追おうと立ち上がるけれど、私の腕は陣左に思い切り引っ張られる。「放して!行かせてよ!陣左!放せっ!」悲鳴じみた声をあげて私は暴れるけれど、そんな私の手を指が食い込むほど握っている陣左もまた、山本さんによって肩を掴まれていた。

「昆奈門、お前は……」

山本さんの震えた声は爆風にかき消される。眼球が熱い。爛れてしまいそうなほどに。
「雑渡さんっ」「小頭っ」私と陣左は熱風に髪を揺らし何度も叫ぶ。青い空と対照的な赤が、渦を巻きながら天を突く。それはさながら地獄の釜の蓋が開いたかのような光景であった。
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