タソガレドキ忍軍の昔話

刃と刃がぶつかり火花が散った。薄暮のもとでそれは大層綺麗であった。私と対峙しているのは幼馴染のnameである。生まれた頃より時を共にし、将来も同じ道を歩まんとしているこの女は、ひとたび己が忍びとしてこの場に立っていると認識すると纏っている雰囲気をがらりと変え、腕の届く範囲に侵入してきたものみな斬り殺さんと言わんばかりの殺気を放つ。戯れに苦無を握っていたあの頃の名残はとどめつつ、年頃の女に成長したnameのかんばせは幼馴染の私から見ても美しいものだった。平素のあどけなさと内に秘められた強い意志が複雑に絡み合い、彼女の表情を陰らせる瞬間などは殊更であった。
私はといえば十二歳になり元服を済ませ、名も幼名から陣内左衛門になった。父親からは自分と同じ月輪隊への入団を強く勧められていたが私はどうしても狼隊に入りたかった。狼隊に入隊を希望していたのはnameも同様だった。
理由はただひとつ、狼隊のに籍にを置き、小頭を勤められているのが雑渡昆奈門さまであるからだったに他ならない。
七年前に私とnameが小頭に助けていただいたあの時から、私たちの運命はこうなることと定まっていたのだ。父とは何度も言い合いになった。父も父親なりに私のことを気にかけてくれていたのだろうし、なにより、息子と同じ部隊で忍務を行うことを夢いていたであろうことは母親にこっそりと教えられずとも察しはついていた。「でも、あなたが決めたことなのだから仕方ないわね」少し寂しげな表情はおそらく父から「いずれは息子と同部隊で」と長年語れらたのを聞いていたからで、けれどその後「頑張るのですよ。小頭のお役に立ちなさい」と私の頭を撫でた母の顔は昔と変わらないやさしい笑顔であった。「もう子供ではないのですから」と俯いて言う私に、母は「いつまでたっても、陣内左衛門、あなたは私の子供ですよ」と笑って私を抱きしめた。
一方nameもnameで父親から大きな反対を受けていた。我が父も相当煩悶したであろうが、彼女の父上の苦悩に比べれば些末なものであった。などと言うと父に申し訳ない気持ちにならなくもないが、そもそも女が狼隊に入るなど前代未聞であったのだから仕方ない。
村の女はくのいちとして情報収集を主だった忍務として執り行っており、ある程度の年齢となったおなごはくのいちとしての教育を男子とは別に受けることとなっている。しかしnameはそれには従わず、頑なに狼隊への入隊を希望した。狼隊に入れなくば死んでやるとまで言い切り、伸ばしていた髪をひっつかんで苦無で切り落としたという。はらはらと黒髪が舞う中で自ら手塩にかけて育てた娘が苦無の刃を喉元にあてるのを目の当たりにしてしまえば、nameの父上は首を縦には振らずとも「お前のいいようにするといい」と力なく言う他はなかった。
城に下女として潜入し奉公働きをする、あるいは地位あるものに近づき色を使って内情を聞き出したりするほか、村人を装っての近隣調査、さらには奥方や姫君の身辺警護という名目でのお茶相手といったくのいちの忍務に比べ、男で構成される忍軍四隊は諜報や戦場での工作活動、あるいは秘密裏の出城建設等腕っぷしを必要とされる仕事ばかりであり、武器や爆薬を使用するうえ当然敵と対峙し殺りあう場面はくのいちより格段に多い。つまり、命を失う確率がくのいちよりも飛躍的に上がる、ということだ。彼女の父上の苦悩は推して知るべし、である。私も何度も説得をしたが、nameは頑として聞き入れようとはしなかった。

生ぬるい、まだ初夏ともいえぬような夏の夕暮れの事だった。鍛錬のあと家路につこうとしていた私をつと呼び留め、nameは沢に行こうと言ったのだった。断る理由もさして見つからず、狼隊に入隊する件について今一度説得する好機と思った私は手を引かれるままついてゆく。足元の草が含む空気は冷ややかで、せせらぎが近づくにつれその温度は低くなった。藤色に暮れゆく空は私たちが沢につくころには深い藍色に染まっていた。
nameは草むらに腰を降ろし、水面に目を向けていた。はやくも瞬きだした星は明るく、半分だけの月が空に浮かんでいる。

「お前、やっぱり諦めてないのか」

「またその話?好きだね、陣左も」

くすくすと笑うとnameの短い髪の先が楽しそうに揺れた。好きね、という言葉に耳が熱を持ったがこの暗がりならばばれないであろう。

「お父上も心配しておられる」

「私の問題だから」

髪も、こんなにしちゃったしね。と肩につくかつかぬかの長さに切られた髪をつまんで舌を出すnameは悪びれる風でもなく、表情からは後悔も一切感じられない。勿体ないことを、と内心では思っていた。nameの髪はとても綺麗だったのだ。
「わたしのかみはね、まいあさととさまがすいてくれるのよ」そう自慢げに髪を私に見せた幼い頃のname。「私が切った髪をね、父上は拾い集めていたわ。ひと房分、紐で結んで紙に包んで。まるで遺髪みたいにして」nameが髪を切り落とした日、驚いて言葉を失っている私にnameはどこを見るともなくそう話した。そうだろう。遺髪みたい、ではなく、nameの父上にとってそれは正真正銘の遺髪だったのだろう。愛らしい女としての、娘としてのnameが最後に残したもの。強く逞しく育てたつもりでも大切なひとり娘なのだ。目に入れても痛くない可愛がり方をあの方はされていたから。引いていたはずの手はいつしか離れ、凄惨な修羅の道へ足を踏み入れようとする娘を送るには、そうするしかなかったのだ。きっと。

「私だって、心配しているのだ」

それは幼馴染としての本心であった。nameは黙ったまま微動だにしない。沢の水音だけが私たちの間を流れてゆく。ふいに、水際で淡い光が明滅をはじめた。光は鼓動のようだった。ひとつ光りだしたのを皮切りに、一斉にやわらかな色合いの黄緑が灯って私達を包む。「きれい」呟いてnameが腕を伸ばすと幾つもの光が宙を舞った。ほのかにうち光りながら行き交う蛍が描く幽玄な光景は、首筋をあらわにしているnameにとてもよく似合っていた。
蛇行しながら飛んできた一匹にnameが指を伸ばすと、それは彼女の指先に音もなく止まり静かに光を発している。nameの白い肌は蛍の放つ光に照らされる。指先を顔の近くに寄せてじっと蛍を見つめると、nameはゆっくりと私に視線を投げかけた。

「でも、陣左だって私と同じでしょう?」

ふっと彼女の唇が綻び、それを合図にしたかのように蛍は飛び立ち、そして、両ひざを抱えていた俺の手の甲に今度は止まって光りだす。
わかっていた。周りがどれだけ説得したところでnameが聞き入れないことなど。nameが、私がどれほどの思いを抱き狼隊への入隊を希望しているか、どれほどの時間を費やしここまでやって来たか。
全ては、小頭のためだった。
あのお方に少しでも近づきたいと、少しでも役に立ちたいと、そのためなら自らの命など投げうってもいいと、その一心で私とnameは今日までを過ごしてきた。これからだってそうだろう。あの日小頭に助けてもらったときより、私たちの肉体と魂は小頭のためだけに在るのだ。

「ああ、そうだ」

小さく笑った俺にnameが満足そうな表情を浮かべると、彼女の手の甲にまた蛍がやってくる。それぞれの手に乗る二匹を近づけようと私が手を動かすと、驚いたのか蛍は二匹とも羽根を震わせて飛び立った。寄り添うように飛んでゆく二匹は、低い場所を飛んでいるその他大勢の中には戻らずに高く高く天へと昇ってゆく。「蛍とは、あんなに高く飛ぶものなのか」「初めて見たね」蛍の光を追うnameの横顔は危うい美しさで張りつめていて、少しでも触れれば弓の絃が切れるようにはじけてしまいそうだった。また一匹、蛍が近づきてきたものの、もう彼女の身体に蛍がとまることは一度もなかった。
「陣左、蛍に好かれすぎ」私を指さしてnameがけたけたと笑った。そこら中に蛍をくっつけた私は良い明かりになるだろう。「どうして私ばかりに」と首を傾げる私ににんまりとした笑みを浮かべ、「まぁ蛍も見る目があるってことじゃない?」と含みを持たせるような言い方をするのでなんと言ってよいかわからず私は草をむしって投げた。
今になって思うのだが、あの二匹の蛍はあくがれ出た私とnameの魂だったのでないか。
何かを受け取るように差し出された小頭の両手に蛍が乗って発光する様は何故か、実際に見たわけでもないのにまるで本当にあった出来事のように私の記憶に焼き付いている。

自らの命を質とし、なんとか親の許しを得たnameは私同様無理を言って狼隊に入隊した。申し出てすんなりと入隊を許された私と違い、nameは何度も小頭と組頭(当時の組頭とはつまり現組頭の亡き父君である)と話し合いを繰り返した。お二方もnameの父親と同様のことを彼女に言ったに違いない。そうして結局お二方がnameの勢いに押される形で入隊が許可されたのだった。
「ねぇ陣左、一応聞いとくけどさ、きみからも忠告してアレなんだよね?」nameが晴れやかな笑顔を浮かべて私の元へ入隊許可の辞令を持ってきた翌日、小頭の部屋に呼び出された私は困った顔で腕組みをした小頭に訊ねられた。

「私も彼女の父上も、何度も思い留まるように説得しましたがアレでして……」

「あぁ、そう」

じゃ、仕方ないか。ふぅと溜息をつくと私をじっと見てにやりと笑うので、なにがおかしいのだろうと瞬きをすると「いいねぇ、仲がよくて」と邪推をしている様子であった。そのような関係ではありません、と慌てて否定すると、「あ、ムキになるってことは、つまり?」となおもからかわれる。
そうではない。そうではないのだ。
彼女の入隊について議論はあったものの、誰一人として反対の異を唱えなかったのは彼女の強さにあった。正直、面と向かって対峙したとして自分には勝てると言い切る自信がない。生まれ持った体幹やセンス、そして忍びとしての嗅覚が常人の何倍も彼女は優れていた。忍者としての才覚は鍛錬を積むごとに顕著になり、男のような身体つきでなくとも、むしろそのしなやかさと小柄な体型を逆手に取った他の誰にもまねできない戦法で、同年代はおろか、年上の忍びよりも頭ひとつ、いやふたつは飛び抜けていたのだった。
村の者はみなnameが逸材であると口をそろえた。一介のくのいちとして終わらせるのは勿体がない、本人が希望するのであらば望む配置につかせればよい、と。
そのような議論が重ねられている間にも、nameは普段と変わらず、いや、普段にも増して厳しい鍛錬を行っていた。気迫は異様で、しかし鍛錬が終わればその辺にいる年頃の女子と何ら変わりない言動をするため私にはどちらが本当のnameなのか段々と判別が付かなくなっていった。そのどちらもnameであることに違いは無いのだが、あまりにも与える印象がかけ離れていて戸惑ってしまう。このままくのいちとなる道を棄て、修羅の道を進み続けたnameは行き着いた先でどのような姿になっているのだろう。それについて考えると背筋がすうっと寒くなる。

「わからなくはないよ。きみのことも、彼女のことも」

小頭は湯呑に入った茶を一口飲んで続ける。

「それに、私にも責任の一端はあるしね」

責任、とはちょっと違うかな。とひとり首を捻っている小頭はおそらくあの日のことを言っているのだろう。私とnameの運命が変わった日。今でも小頭の腕の力強さを覚えている。視線を小頭の右腕に移すと、廊下をパタパタと走ってくる足音が聞こえてくる。

「小頭ー」

すぱんと障子が明けられ姿を現したのは尊奈門だった。あんなに小さくてふにゃふにゃと泣いていた生き物がたった数年でここまで大きくなるものかと、彼とは昨日も会ったばかりだったのだが記憶の中に引き込まれていた私は、手に持った盆に山盛りの饅頭を乗せて得意げな顔をしている尊奈門を見てあらためて驚くのだった。

「城下の饅頭屋で父上が買ってきてくれました!」

「はいはいありがとネ。あと、廊下は静かに歩きましょう。何度言ったらわかるのかな」

やれやれと言いつつもさっそく饅頭に手を伸ばしている小頭を尊奈門はその大きな眼を輝かせて見つめていた。私やnameも同じ目をしていただろうか。

「あの子、強いは強いんだけどそこが心配なんだよね」

「……」

私も同じことを思っていたのでこくりと肯く。そうなのだ、nameは強い。けれどその強さは脆さと表裏一体であるように感じる。それについて彼女になにかを言ったことは無いけれど、聡いnameのことだからきっと自認はしているだろう。

「陣左も食べたら」

「は、ありがたく頂きます」

「私も!」

饅頭を頬張る尊奈門の頬っぺたをつつきながら「陣左もちっちゃいときは可愛かったのになぁ」と漏らすので、「誰しも幼き頃は可愛いものではないですか」と返せば「あー、nameは今も可愛いケドね」と目を細められる。「……そうですね」「あ、認めた」「高坂さま、nameさまはかわいいというよりきれい、ではないでしょうか」ぱちくりと瞬きをしてしたり顔をする尊奈門の後頭部をはたく。「痛いですよ!」と頭を抑える尊奈門。

「ほら、陣左が怒ってるよ」

「怒ってなどおりません」

部屋に呼ばれたときの緊張感はもうどこにもなくて、この美味い饅頭をnameにもひとつ持って行ってやろうか、などと考えていると小頭が「あぁ、そういえば」と忘れていたことを思いだしたかのような口ぶりで言う。

「ひと月後に合戦があるから、それが君たちの初陣ね。nameにもそう伝えといて」

よろしくー。ついでにそのお饅頭一個もってってあげなよ。と小頭から投げられた饅頭を受け取る。手のひらにかかるわずかな重みがやけに現実味を帯びていて、私はふらりと立ち上がる。「それでは、失礼します」私の後を「私もnameさまのところにゆきます」とついて来ようとした尊奈門の襟首を小頭が掴んで引き止めているのが障子の隙間から見えた。
ひと月後に合戦があるということは既にもう動いている部隊がいるということだ。そういえば組頭の姿もこの頃お見かけしていない。城にずっと詰めているのだ。初陣という響きは私を昂らせた。これまで研いできた刃をようやく振るうことができるのだ。他の誰でもない小頭のために。早くnameにも伝えたい。気持ちがはやる。だというのに足取りが重たいのは何故なのだろう。手に持った饅頭が重さを増してゆくような気がして左手に持ち替える。
nameは屋外演習場でひとり的に向かって棒手裏剣を投げていた。彼女のまわりだけ空気の密度が違う。吹く風ですら彼女を包む空気を阻害することはできない。手にしていた最後の一つを難なく的の中心に当てる。何本もの棒手裏剣がささった的の中心からだらりと赤色が滴ったような気がして目をこする。目を眇めて的を凝視している私を不思議そうに見て、nameは「あ、それ城下のお饅頭屋さんのやつ!」と跳ねるように私の元へやってくる。

「諸泉さんからの城下土産だそうだ。お前にもひとつ持っていってやれと小頭が」

「えー、雑渡さんのところに行ってたの?私も行きたかった」

拗ねた表情は饅頭をひと口かじれば立ち消えて満面の笑みに変わる。「んー美味しい」と饅頭を頬張る様はまだ八歳の尊奈門と大差ない。

「また腕をあげたんじゃないのか」

「んー、そうかな」

的を見ることもせずにnameは首を竦めた。「まだまだだよ、こんなんじゃ足りない」雲が太陽を隠し、地面に影が広がる。目を伏せたnameは指先についていた饅頭の皮を舐め取る。赤く濡れた舌先は直視するには生々しすぎ代物だった。ふたたび太陽が顔を出し、陽のぬくもりが戻ってくる。

「name、お前は……」

どこまでゆこうとしている?言い掛けた言葉は喉につかえて声にならない。中心を刺し貫かれた的の赤は、まるで、串刺しにされた心の臓のようだった。「どしたの、そんな怖い顔して」変な陣左。と喉の奥で笑うnameに私はひと月後に控えた私たちの初陣についての話をした。一言一句を聞き逃すまいとnameはじっと聞き入る。大きな眼がすっと細められる瞬間、青白い光が瞳に灯る。nameを包む空気の膜が張り詰めるのがわかった。
nameと私、志と歩む道は同じなれど見据える行く末は全く異なるのではなかろうか。私が彼女の手を取って歩める時分などもうとうに過ぎていた。私はそれを少し寂しく思う。

「よし、森の道祖神まで競争ね」

nameの手が、私の手を取る。あたたかく、しっとりとした小さな手だった。苦無などより、花の方がよほど似合うだろうに。

「ああ、負けんぞ」

不敵に笑った私をnameが見る。彼女の瞳がきらりと光る。私たちは同時に地面を蹴って走り出す。
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