タソガレドキ忍軍の昔話

「山本、これ」

小頭がひらひらと私に見せた紙に書かれていた文章に私は言葉を失う。

「昆奈門……」

思わず名前で呼んでしまった。この日をどれだけ待ち望んだことか。十余年前に雑渡さま、昆奈門の父君がこの世を去られ、六年前に昆奈門が怪我に臥し、誰もがもうだめだと諦めたあの日から。

「長かったね」

脇息に肘をついて昆奈門がひとりごちる。長かったどころではない。胸の底で静かに流れていた過去の記憶が溢れ現在を席巻する。目まぐるしく胸中を過ぎてゆく過去たち。目の前で泰然と座っている私よりもずっと背の大きなこの男は、驚くべきことに、かつての幼少のみぎり私に手を引かれ、私の後ろを歩いていたのだ。その昆奈門が、いまや組頭に。紆余曲折の数々を思うと目頭が熱くなるのを感じて慌てて大きく息を吸う。

「おめでとうございます」

深々と頭を下げる私に小頭、もとい、組頭は「照れるからやめてよ。でも、ありがと」と笑った。

「山本には感謝してるよ。狼隊の小頭はお前に任せるから、これからもよろしくね」

「はっ」

皆にはいつ言おうかなぁと斜め上を見ている組頭に私は「nameや高坂、尊奈門にはまだ言っていないのですか?」と訊く。あの三人が喜ぶ顔が目に浮かんだ。戦列に復帰された組頭と共に忍務に赴く三人はどのような忍務でも全力でこなした。組頭と働けることが嬉しくて仕方ないとでもいうかのように。緊迫感の中にあってなお、それはとても微笑ましい光景だった。指揮を執り、皆を迎える組頭の背に私はかつての雑渡さまを見た。人の上に立つにふさわしい人間。とはいえ決して完璧などではなく、秘められた弱い部分も含めてお支えせねばと思わせる不思議な魅力のある御仁であった。

「なんて言おう」

「事実をありのままお伝えすればよいかと」

「だって絶対あの三人泣くじゃない」

目頭に皺を寄せて組頭は言う。まあ、高坂はともあれnameと尊奈門は十中八九泣くであろう。泣き顔を見たくないというよりも泣いた後の対応が面倒なのだろう、組頭は「どうしたもんかなぁ」と考えあぐねている。
組頭の看病の日々でも涙を流さなかったというnameはいつの間にか涙を見せるようになっていて、しかもそれが尋常でなく涙もろいのでこの頃では尊奈門とあわせてタソガレドキの二大泣き虫とからかわれることもしばしばだった。この前だって私の末娘が生まれたのを見て「かわいいー」とぼろぼろ涙をこぼしていた。どこに泣ける要素があったのか定かではないが、そうやって感情を素直に出せることはよいことだと思う。忍びとしてそれが良いかは別として、忍務からはなれ素の自分に戻った時ぐらいそれを許してもいいのではないかと私は思うのだ。

「あんまり、泣かせたくないんだよね」

「嬉し泣きならいいのでは?」

「そうかもしれないけど、これまで散々泣かせてきたからさ、やっぱりね」

組頭は目を細め、開いた両手の手の平に視線を落とした。何度か握っては開いてを繰り返し、空中に浮かんでいた何かを掴むようにして拳を固く握りしめる。

「山本、悪いけど各小頭に声かけて広場に四隊みんな集合させて」

「承知」

浅く頭を下げて私は部屋を後にした。廊下の角を曲がると向こうからnameが包帯を抱えてやって来た。

「あ、山本さん。雑渡さんお部屋にいました?」

「ああ、私も今お会いしてきたところだ」

「じゃあ逃げられないうちに私も行こうっと」

失礼します、とお辞儀をしたnameの背中を見送って、私は押都の部屋に向かう。

「陣内、この子はいずれ私を凌ぐ忍びになるぞ」小さかった昆奈門を膝に乗せた雑渡さまは誇らしそうな顔でそう言っていた。見ていらっしゃいますか、雑渡さま。昆奈門は無事あなたの後を継ぎ組頭となりました。「昆を頼むぞ、陣内」両肩に置かれた雑渡さまの手の重みを私が忘れることは決してない。私の肩に置かれたままの見えない手に自分の手を重ね、私は「お任せください」と天を仰いだ。
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