2020

草っぱらを走り回っている小平太が視界を端から端まで好き放題行ったり来たりするのを高台から見下ろす。晴れた空にところどころ雲が浮かんでいて、それが時折太陽を隠すとさあっと一帯の空気が冷たくなって私は肩を抱いた。
暇だった私はいけいけどんどんで走りだした小平太のあとをだらだらとついていって、気がつけば裏々々山にいた。ここまで走ったうえに苦無両手に塹壕掘りを一緒にする気にはならず、私はそのへんの岩に腰を下ろしてぼんやりと土を撒き散らしながら地面を掘り進めている小平太の姿を見ているのだった。
なんであんなに元気なんだろうなぁと浅く船をこぐ私を目ざとく見つけた小平太が「おーいnameー」と大きく手を振ったので振り返し、まだやるのー?と訊けばわざわざ私のところまで走ってきて「まだやるぞ!」と苦無を握った拳を私の顔の前に突き出した。

「暇そうだな」

「うん。本かなんか持ってくればよかったな」

「だったらnameも私と一緒に塹壕を掘ればいい」

私と、の部分をことさら強調して小平太は今日一番の笑顔を浮かべた。やだ、服汚れるし。にべもなく断れば「なんだ、つまらんな」と本当につまらなさそうに言うので笑ってしまう。

「私はさ、鍛錬はわりとどうでもよくて、小平太のこと見てるのが好きなの。だから好きなようにやってていいよ」

「そうなのか?私を見ているのが好きだなんて変わったやつだな」

首を傾げていたのもつかの間で、まぁいいやと歯を見せるとかすかな汗の匂いだけを残して丘を一気に下っていったと思ったらまたすさまじい勢いでこちらにやってくる。

「どしたの」

「私のことを見ているのが好きと言ったな」

「言ったよ」

「だから見せに来た。近くで好きなだけ見ていいぞ」

Vサインを作って私に見せるので、同じポーズをとって指先を合わせた。小平太に触れるとその場所に火が灯ったようにあたたかくなるのはなぜなのだろう。いつも忙しなく動き回っているせいで体温が高いからだろうか。それともそんな表面的なものではなく、もっと奥底から湧き出す彼の魂自体のあたたかさ?
大岩の上に向かい合って腰を下ろして、私はじっと小平太を見る。遠慮なんてなくて、野生動物を見るようにつぶさに観察する。寒空の下を走り回っていたせいで乾燥した唇と頬。まつ毛の先についている砂粒。少し上を向いた控えめな鼻。まん丸の目の白眼の部分はとても綺麗で、黒目は濃い茶色と深い黒が複雑に混ざり合っている。首筋の薄い皮膚と、ぽっこりと盛り上がった喉仏。鎖骨のくぼみにも砂が付いている。全部が、好きだなぁなんて、思ってしまう。
何度となく目があって、ふいに伸びてきた小平太の手のひらが私の視界を塞いだ。

「なぁに?」

「これ、照れるぞ」

ふっと視界が開けた先で、俯いた小平太がかすかに耳を赤くして、下唇をやわく噛み締めていた。斜め下に向けられた視線は落ち着きがなく、それでもなお覗き込んで見つめると、顔を伏せてしまうのだった。そんな小平太を見たことがなかった私は、胸の奥がきゅんと鳴るのを聞いた気がした。

「……小平太ってそんな顔するんだ」

「わぁーもう、見るな!おしまいだおしまい!」

「小平太が好きなだけ見ていいって言ったのに」

目を細めると小平太は「それはそうだが」とバツが悪そうにするので、私は嘘だよゴメンと小平太の頭を撫でた。拗ねた顔をして私に抱きついてくるのが可愛くて、よしよしと声に出しながら髪に指を通す。狸の尾を思わせる小平太の髪には、茂みでも地面でも構わず突き進むせいでたいてい葉っぱや草がくっついている。春のやわらかな草はらみたいだ。白や黄色の小さな花をつけてふわふわと繁り、太陽をいっぱいに浴びてやさしいにおいのする幸せな場所。
落ち葉の欠片や小枝を指先で取って、毛先の方から髪を梳いてあげると小平太も同じように私の髪をいじりだす。

「nameの髪はさらさらだな」

「仙蔵ほどじゃないけどね」

「そうかぁ?だとしても私はnameの髪が好きだぞ。いいにおいするしな!」

「これからお風呂なのにかがないでよー」

逃げようとすると小平太に肩を掴まれた。頬に乾いた土がついているのを払うと擽ったそうに目を細める。綺麗になりました、と言うと小平太の顔が近づいてきて触れるだけのキスをされた。

「では帰って風呂に入るぞ」

「うん」

疲れたからおんぶしてって。両腕を伸ばすと小平太はぱちぱちと瞬きをする。そして「いいぞ!乗れ!」と満面の笑みを浮かべて屈んだ背を私に向けた。
小平太の背中は乗り心地がいい。しっかり捕まっていないと振り落とされてしまうから思い切りしがみついても恥ずかしくない。
いけいけー!と一緒になって大きな声を出すと小平太の走る速度が上がるので、私はきゃあきゃあとはしゃぐ。風景が線になって流れてゆく。風は冷たいのに、どこか春めいた、水っぽい匂いが混ざっていて、私達を包むあまい空気は茜色に変わり始めた空に滲んでゆくのだった。
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