2020

お前は寛容すぎるんだ、とスクアーロは言う。イタリア語で言ったあと、丁寧に、日本語で「カンヨウ」と繰り返した。
寛容。ザンザスに対して寛容である以上に必要な態度なんてあるだろうか。そもそも私は自分が寛容かどうかなんて、スクアーロに指摘されるまで気にしたこともなかった。
一度言われたらなんとなく気になってしまって、これまでならなんとも思わなかったザンザスの私への言動の端々に引っ掛かりを覚えながらも、いわば暴君的な彼の振る舞いを全面的に受け入れている自分がいて、そのことにふと気が付いては胸の奥にわだかまりを抱くという繰り返しのここひと月。
朝、ベッドの中でまどろんでいた私を置いてさっさと支度をしだしたザンザスの背中をムゥと睨むように眺めていたら、私の穏便な殺気に気が付いたのかザンザスは肩越しに私を一瞥した。そうして、気だるそうなあくびをひとつして部屋をあとにしてしまう。取り残された私は下着姿のまま、まだザンザスの体温が残るシーツの余白に手のひらで触れた。
そして今朝、私が起きたら屋敷はがらんどうで、様子がおかしいと思いはじめた私の携帯電話が短く鳴った。手に取ると、一枚の写真が添付されたメッセージが届いていた。

「Giappone」

一枚の写真。日本、というひと言。差出人は、スクアーロ。写真にはすんなりと空にそびえるタワーが写っていた。
つまり、私はお留守番というわけだ。昨日、あの後発ったんだろう。日本行きは箝口令が敷かれていたらしい。
みんなしてヒドいよ。がらんとしたロビーのソファに脚を投げ出して、送られてきた写真をぼんやりと眺めた。
いい思い出なんかないだろうに、どうして日本に行ったのだろう。沢田綱吉のことなんて、忘れてしまえばいいのに。それができないのは、きっと……。
不意に携帯電話が着信を告げた。画面に表示された名前をじっと見つめる。コールがひとつ増え、ふたつ増え、そのたびに音に苛立ちが募ってゆくのがわかる。

「もしもし」

こうやって、結局電話に出てしまうから私は寛容なのだろうか。でも、もう知らないと電源を切ってしまうなんてことは私にはできそうもない。なんなら、そんな考えすら浮かびもしない。
自分からかけておいてザンザスはなにも話さない。微かなノイズが横たわっている。なんのために電話をよこしたんだろうと私は面白くなって小さく笑う。「何がおかしい」抑揚のない声が9800キロメートル先から聞こえてくる。

「おかしいに決まってるよ、日本にいるザンザスとイタリアにいる私が話してるんだもん。ねぇ、そっちは暑い?」

少し前までは、すぐ目の前にいて姿が見えるというのに、話すことも触れることもできなかったのに。心の中で付け加え、私は目を伏せる。
あの長い年月を思えば、たとえ海を越えた場所にいようとも、声が聞こえ、電波の向こう側には動くザンザスがいるんだから幸せのあまりおかしくて笑ってしまうのも仕方がない。
頭に敷いているクッションの飾りを指に巻きつけなから訊く。ほんの少しだけ爪の先のマニキュアが欠けていて、昨日の明け方愛し合った記憶の熱が指先にともる。

「最悪だ」

「だったら行かなければいいのに」

くすくすと笑った私は、暑さのせいで二割増し不機嫌になったザンザスの眉間の皺を思う。クッションの皺を人差し指でなぞりながら、ザンザスを恋しく思う。汗ばんだ彼の肌に触れたい。携帯電話を口元から離して、私はそっと吐息をもらす。

「本部からそっちに連絡が入ったら電話をよこせ」

「連絡がなくても、電話していい?」

しばらくの沈黙のあと、「知るか」とぶっきらぼうに返される。本部からの連絡はきっと、九代目が直々にかけてくるんだろうなということは察しがついた。

「ねぇザンザス、会いたいよ。さみしい」

昨日の夜、ひとりで寝るベッドの広さと冷たさに、私はとても心細い思いだった。なんていうことのない夜なのに、時々自分でもどうしようもない寂しさに苛まれる。燃えるような体温に包まれ、炎を宿した瞳に心臓を射抜かれたいと、いまこの瞬間にも思う。
叶わないわがままを口にしたことを恥じるには十分すぎる沈黙だったので、「なんてね」とわざとらしく付け足した。それでもザンザスが口を開くことはなく、私も黙り込んでしまう。
言わない方がよかったかもしれないけれど、口にしてしまったものはどうしようもない。妙にどきどきしている胸に手をあててノイズの向こうに耳をそばだてていると、やがて、ちいさく息を吸う音が聞こえた。それだけでも、嬉しくなってしまう。くちびるが緩んで、でも置いていかれた恨み(小指の爪の先ぐらいの、恨み)もあるのでそれを悟られるのは少し悔しくて、咳ばらいをする。

「せいぜい待ってろ」

ほどけた語尾があまい煙みたいに耳の中にしゅるしゅると入ってくる。こういう口調で話すときにザンザスが浮かべる表情を、私は知っているから。思い浮かべて頬が熱くなる。
「うん」と、素直に頷く私は寛容な女だ。
待っていれば帰ってきてくれる。真っ先に私のところにやってきて、引きずるようにベッドに連れてゆく。そうしてようやくキスをする。キスをしながらネクタイを緩める。骨ばった手は私の顎を掴む。私を見るふたつの赤。私は火のともされた蝋燭になる。
しんと静まり返った部屋。目を閉じて海の向こうの島国に思いを馳せる。私の手の届かない場所でうだるような暑さに始終不機嫌なザンザスのために、冷たく冷やしてあるリモンチェッロを取りにゆく。
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