さようなら

エルヴィン団長の腕がなくなってしまった。
文字通り。
二の腕のあたりからあるべきものは忽然と姿を消し、私はかつてそこに存在していた彼の腕を、残った右腕を頼りに想像する。
こんなことになるのならばもっと彼の右腕を愛しておくべきだった。
今更後悔したところでどうにもならないのだけれど。
巨人に食われてしまったのだろうか、それとも吐き出され生臭い粘液にまみれて大地の上にそっと身を横たえているのだろうか。
生きて帰ってきた団長と切り離されて、静かに朽ちてゆく彼の右腕を思う。
あんなにも逞しくて雄々しかった右腕を。
私たちを導き指揮した右腕を。
私を包んだ右腕を。
それを引き千切り、挙句の果てに打ち捨てるなんて、いったい何ということをしでかしてくれたのだろうか巨人という生き物は。
干物のように干からびているのか、はたまたもうこの気温に遣られて腐敗し始めているのか、青い風渡る草原に置き去りにされた団長の右腕は、はるか空を行く鳥たちを見上げ何を思っているのだろう。
大きな手のひら、節くれだった指、丸っこい爪はいつも短く切りそろえられていた。
そしてなによりも、朝日にちりちりときらめく細い産毛。
一晩中愛し合って泥のように眠ったあくる朝、瞼を開ければそこにあった彼の手が大好きだった。
もう永遠に触れることのないそれ。
持って帰ることが出来たのなら、私はその腕を抱いて毎晩眠りにつくだろう。
腐る前に肉を削いでシチューにでもしてしまえば彼は文字通り私の血となり肉となり、未来永劫共にあることだってできるのだ。
右腕!右腕!右腕!
心の中で叫びながら私は中身のないシャツを握りしめた。

「name…か?」

「おはようございます団長、よく眠れましたか」

「どうだろうか、嫌な夢を見ていたような気もする」

目をこすりながら上半身を起こす団長。
目元の隈はそれでも幾らか薄くなった気もするけれど、こけた頬は相変わらずだった。
水の入ったコップを手渡せば、彼はそれをおとなしく受け取りごくごくと飲みほした。

「着替え、手伝います」

「いや、自分でできる」

あいたグラスを受け取りながらそう言えば、辞退される申し出。
どうしてこの人は何もかもを自分だけでやってしまおうとするのだろう。
左手だけで胸元のボタンを器用に外すエルヴィン団長。
そうやって、何でも器用にこなしてしまうからダメなんですよ。
サイドテーブルにグラスを置くと、私はベッドの上にあがって団長の上に跨った。

「降りないか、自分でできるといっただろう」

「もう少し頼ってくれてもいいじゃないですか」

「自分でできることは自分でやる。そうでもしなければ衰えてゆく一方だ」

「あーもー、わからない人ですね」

「君に言われたくはないな」

降参だ、とでもいうかのように左手をあげた団長は、身体の力を抜いてすべてを私に預ける。
つやつやしたボタンを順に外してゆけば、段々と現れる素肌。
綺麗に引き締まり盛り上がった大胸筋、大小さまざまな傷跡が白く、あるいは赤黒く残っていた。
薄いシャツにうっすらと透ける乳首が可愛らしくて、思わず指を伸ばしてつついてみれば油断していたのだろうか、「っ、」と色っぽいような間の抜けたような吐息が静かな部屋に響いた。
団長可愛いですね、そんな声が出るんですね。
思わず緩む口の端を、いかんいかんと引き締める。

「どいてくれ」

「やだなー団長、ここまでやったんだから最後までやりますよ」

「……」

「そんな目、しないでいただけます?」

これ見よがしに吐かれた大きなため息はオーケイの合図に違いない。
ゆっくりと時間をかけて外し終えたボタン。
カーテンを開くみたいにしてシャツを開く。
ああ、なんて美しい身体なのだろう。
右腕の切断面にはまだ分厚い包帯が痛々しく巻かれている。
私が次に何をするのだろうかと無言で見下ろす団長をよそに、彼の身体を隅々までチェックする。
古傷の痕をなぞり、治りかけていた瘡蓋を剥がし、控えめに浮き出た乳首をつまんだところでむんずと手首を掴まれた。

「name、いい加減にしろ」

「だめです、まだ終わってませんので」

しかめっ面をしている団長を見上げて私は彼の手を引きはがす。
団長の職務は主にデスクワークなわけであって、それでも合間を見つけて鍛錬をしているのであろう、年齢の割にまったく衰えを見せない彼の素晴らしい肉体を私は生唾を飲み込みながら眺める。
ああ、これほどの特等席でこれほどの絶景が眺められるなんて!
苦しい時も辛い時も歯を食いしばってここまで上り詰めた甲斐があった。
6、7年ほど前は恐らくもう少し張りがあったであろう肌も今や細かな皺が刻まれ、臍周りや臀部の辺りが微かに緩み始めている。
けれどそれが返って鍛え上げられた筋肉と対比され、色っぽさを増していた。
六つに割れた腹筋の筋をピンと伸ばした人差し指の腹でなぞり、臍の周りを一周させる。
ちらりと団長の顔を見遣れば、眉間に皺が一本よっていた。
綺麗に張った大胸筋の硬い弾力を一通り楽しみ、もっとも尊い場所、腹斜筋に腕を回し抱きついた。
厚みのある身体はあたたかく、命の匂いがした。
跨いだ団長のあそこがいつの間にか硬くなっているのに気が付いて私は小さく笑う。
そうですよね、たまってますよね。
それでも無関心を装うと真顔でいる団長が可愛くて、私はつい彼の頭をよしよしと撫でた。

「団長、おかえりなさい」

「私はあと何回それを聞けばいいんだ」

「何度でも」

さっき私がおろした左腕が伸びてくる。
そっと、唇を撫でられて気恥ずかしくなる。
あれ、なんだろう逆に照れますよ団長。

「最後にお前をきちんと抱きしめておけばよかったな」

こんなことになるぐらいなら。
そう言って団長はうすく笑うと、残された左腕を持ち上げておどけた仕草をしてみせた。
やめてくださいよ、そんなこと言うの。
普段の団長ならそんなこと言うはずないのに。
悔しいやら悲しいやらで私は団長の両肩に手をかけてがくがくと揺さぶった。

「いいじゃないですか、私がどれだけだって抱きしめてあげますよ!」

「…どうしたname、熱でもあるのか」

「ありません!」

言い放って団長の大きな体を抱きしめた。
なんて広い背中なんだろう。
そうやって抱きしめた私の背中に回された腕がやはり一本だけで。
ああでもいいではないか、こうやって抱きしめるその人がここにいるのだから。
すっかり硬くなってズボンの中で窮屈そうにしている団長のそれを手の平で包みながら思う。

「団長、抱いてもいいですか?」

「癪に触るな、その言い方は」

「いいから黙って抱かれてください」

「はは、好きにするといい」

重ねられた枕に背を預けて仰向けになった団長を見下ろして、私は不敵に微笑んだ。
あるはずだった手のひらに指を絡めて。
感じるはずだった熱を探して。
今もどこかで風に吹かれているであろう彼の腕を思って。

(20140522)
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