さようなら

白いレース編みのアイマスクをかけられたnameは椅子の上で膝を抱えて窓の外を眺めていた。
二階であるため窓の外からは景色がよく見える。
月は爪の白い部分のように細く、その所為で星たちの輝きが何時もより増しているような気がした。
視界を奪われているためそれは彼女には見えていないはずだというのに、あたかも星の瞬きすらも見えているかのようにnameは小首を傾げ、時折何かを言おうとするかのように唇を動かした。
娼館の二階に住まうこの女は、いたく無愛想だった。
あまり喋るのが得意なわけではないし、喋りにくることが目的ではない自分にとってはnameのように寡黙な女はむしろ好都合だった。
それが良いという客もいればそうでない客もいる。
しかし二階の、しかもこんな端の部屋に追いやられているということは、恐らく後者の方が多いのであろう。
白いワンピースの紐がnameの肩から外される時、俺は後ろめたい気持ちになる。
nameは間違って人間の世界に連れて来られた森の動物のようだった。
全く違う世界の中でどう生きていいかわからず、ただこの部屋で身体を売ることしか知らない。
汚れた身体のはずなのに、無垢に感じるのはきっとその所為なのかもしれない。
淡い夜の光に白く浮かび上がったnameの姿は人ではなく、何かもっと別の高貴な生き物のようだった。
腰掛けていたベッドから立ち上がり、窓辺に向かう。
古びた床板が立てる音は、静寂が支配するこの部屋の中ではあまりに煩すぎる。
音で、気配で俺が背後にいることはわかるだろうに、nameは一向にこちらを振り向かない。
器用に脚を折りたたみ膝を抱え、椅子の背もたれに軽く背を預けている。
押しつぶされた柔らかな乳房や、つるりと丸く小さな膝頭。
それらの完全な美しさと対比して、小ぶりの耳は複雑な曲線を描いていた。
アイマスクがかけられた耳朶の産毛が、ちりちりと白金色に煌めいている。
そっと手を触れると、nameは小さく鼻を鳴らした。
ゆっくり顎に手を滑らせて、両手で首を撫でる。
この細い首は本気で絞めれは容易く折れてしまうだろう。
背後から抱きしめるようにして膝と胸の間に手を差し込み乳房に触れる。
薄い皮膚に閉じ込められた甘い肉は俺の手に吸い付き、揉まれるがまま自在に形を変えてゆく。
手の平に触れている乳首が硬くなるにつれてnameの吐息が熱を帯びてゆくのがわかる。
つ、とnameが上を向き彼女の白い喉が露わになった。
レースに隠されたnameは今どんな表情を浮かべているのだろうか。
目に涙を浮かべて切なそうに眉根を寄せているのか、瞼を下ろして暗闇の外から与えられる刺激を味わっているのか、それとも何の感情の色も湛えない瞳で見えないはずの夜空を見ているのか。
どれであろうと、美しいことに変わりはなかった。
ガタン、という音と共にnameの足が椅子の縁から外れて床におろされる。
俺の手に隠された乳房から続くしなやかな腹部、陰部のしっとりした茂み、すらりとした脚の先で光る小さな貝のような爪。
椅子の背に体重をかけて天井を仰いでいるnameに覆いかぶさり口付けた。

「俺はお前を買おうと思っている」

「……」

「今夜だけじゃねえ。身請け、というやつだ」

娼館の主には既に話はつけてあった。
初めはnameのようの女を買う物好きがいるのかと驚いていた亭主であったが、俺がこいつを贔屓にしていること、そして俺の素性を知っているため足元を見て法外な値段を提示してきた。
しかしそれでnameが手に入るのであれば安いものだった。
憲兵団の上層部ほど高級取りなわけではないけれど、金を使う当てがあるわけでもない。
差し出した布袋を受け取った亭主の下卑た笑みがあまりにも世俗的で、むしろ俺はホッとした。
nameの額に掛かった髪を指で払う。
幾重にも重ねて編まれた薄いレースの向こう側で、nameの瞼が震える気配がした。
こいつを身請けして俺はどうするつもりなのだろう。
万が一俺の身に何かあった場合、何もできず行くあてもないnameはまたこうして身を売り生きていくのかもしれない。
唾液に濡れたnameの唇を指でなぞる。
依然として喋ろうとしないnameの声が聞きたくて、指を彼女の舌に絡ませた。
従順に、拒むことなくnameの舌が俺の指を舐め啜る。
ザラザラした舌の表面は、あまり慣らさずに挿入した彼女の膣を思い起こさせる。
そうして俺は自分の性器が勃起していることに気が付いた。
すっ、と手を挙げたnameは迷いなく俺の首に腕を絡ませる。
血管が青く透けた彼女の首筋に顔を埋めて細く息を吐いて吸うと、しとやかな朝露に濡れた森の香りがした。
木々の合間を縫うような朝靄や、一面に広がる下草の先に付いた朝露の一滴が反射する朝日の光すら、その香りから見ることができた。
それはもしかするとnameの記憶なのかもしれないと俺は思った。

「リヴァイ」

俺の名を呼ぶnameの声は、盲目の子鹿が親を呼ぶ声に似ているような気がした。
堪らずに彼女を覆うレースを外す。
現れた一対の瞳は黒々と濡れ、静かに俺を見上げていた。
椅子から立ち上がったnameは俺と向き合うと、手の平を俺の目の上にかざして唇を塞ぐ。
ゆっくりと瞼を閉じて、離れゆくnameの唇を繋ぎ止める。
薄緑の混じる暗闇の中で、それよりもさらに深い漆黒が二つ、俺を捉えて離さないのだ。

(140831)
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