さようなら

眠たくて眠たくてとにかく眠たくて、会議の最中に額をしこたまテーブルに打ち付けた私に飛んできたのは兵長の愛の制裁(という名の裏拳)だった。
明らかにプシューと額から煙が上がるタイプのアレだったので、流石に私を不憫に思ったのかエルヴィン団長からのお小言が無しで済んだのは不幸中の幸いだったといえよう。

「いえよう、じゃねえだろうが。ふざけてんのか。いい加減にしないと降格させるぞ」

「あーんもー、仕方ないじゃないですかー。書類全然終わんないし、むしろなんか増えてるし」

「計画を立ててやれ。馬鹿なのかてめぇは、そろそろ学べ」

「ふ、ぁ……いだ、痛い…暴力はんたーい」

「言ってるそばから欠伸なぞをかます馬鹿にはこうでもしないとわからないだろうからな。眠気覚ましにもなって一石二鳥だろうが。上司の気遣いをありがたく思え」

「そんな気遣いいりましぇーん」

「そんなにお前は削がれてぇか」

頬を抓られ間抜けな顔を晒す私をなおも痛めつける兵長の手は止まらない。なぜ私はこんなサディストの下で働かなければならないのか。そろそろ団長に直談判しようと思う。

「なんだその反抗的な目は」

「異動希望だそうかなぁーって」

チラチラと視線を送りながら言う私に浴びせられたのはとびっきりの嘲笑だった。一体どれほどの悪行を働いたらこれ程酷い侮蔑の顔を向けられるのか教えて貰いたいぐらいだ。言わないけど、そんなこと。

「name、ひとついい事を教えてやろう」

ふふん、と上から目線で(身長は私とほとんど変わらないくせに)言う兵長。どうせろくなことじゃないんでしょ、と心の中で呟いたはずなのにどうやらしっかり口に出していたようで、臀部に鈍い衝撃が走る。

「ふつう女の子のお尻蹴ります?」

「てめぇは普通でもねぇ。しかもなんだ?女の子だと?笑わせるな」

「ひどーい、もういいです。ミケさんの隊に入れてもらうよう団長にお願いしてきます」

ミケさんは優しいし、暴力なんて振るわないし、髭だって素敵だし、などとミケさんのいいところ上げ連ねる私を見る兵長の目は真冬の大寒波もたじたじの、大層冷ややかなものだった。

「お前みたいな問題児を入隊させてやる奴なんてな、俺以外にいねぇぞ」

「えー…」

「だからわかったか、ここを出たらお前の行き場なんざどこにもない。精々間抜けヅラ晒して机に向かうことだ」

そう言って私の後頭部を掴んで、デスクに積まれた山のような書類に私の顔面をぐりぐりと押し付ける。油が、鼻の油が書類に…!紙の乾いた匂いに噎せる私の脳内にひとつの疑問がふと過った。

「そこまで言うのになんで兵長は私をここに置いといてくれてるんです?」

ハイハイ質問と片手を上げてそう言った私に、暫らくのあいだ答は返ってこなかった。不思議に思って振り返ろうとすると再び後頭部を掴まれた。そろそろ割れます私の頭蓋骨。嫌な予感とともに私の顔面は先ほどの三割り増しぐらいの勢いで書類に叩きつけられた。

「ごちゃごちゃ煩ぇ、てめぇみたいな馬鹿は俺の目の届く場所でせいぜい馬鹿をやっていろ。馬鹿にはそれがお似合いなんだよ」

「馬鹿馬鹿うるさいですよ兵長、流石の私も傷付きます」

「文句があるならその山を片付けてから言いやがれ」

「えー…」

後ろ髪を引っ張られ、やっと顔をあげられた。犬でもこんな酷い仕打ちされないんですけど。絶対団長にチクる!そう固く誓ったけれど、ぐちゃぐちゃになった髪を最後に兵長が少しだけ直してくれて、馬鹿な私はそれで全てを許してしまうのだった。

(140904)
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