さようなら

ぽう、と小さな蝋燭が一つその部屋にはあるだけだった。
壁際に寄せられた大きなベッドの他に家具らしい家具はなく窓すらもないこの部屋は、それでも何故だろう風が渡る野原のような香りがした。
ずり落ちたキャミソールの紐を直すこともせず、nameはベッドの上に蹲っている。
二年前の壁外遠征で負傷し視力を失って以来、nameは光を嫌い兵舎の地下室へと潜っていた。
太陽の光を浴びない彼女の肌は白色を通り越して、夜空を切り抜く月のような仄青さを孕んでいた。
ひとつの能力を失うと別の能力が突出して欠落を補うのだろうか、nameは鋭敏な聴力を身につけているように思えた。

「エルヴィン」

扉を開けた時点でnameはそこにいる人間がエルヴィンであるということに気が付いていた。
尤も厳重に人払いのされたこの部屋を訪れる人間などエルヴィンしかいないのだけれど。
エルヴィンは無言でnameの元まで向かうとベッドに腰掛け彼女の細い体を抱きしめる。
日に日に痩せ細るnameが消えてしまうのではないかと心配になるも、消えそうで消えない儚げな憂いを纏いながらnameは今日もエルヴィンの腕の中で長い長い息を吐く。
魂の震えのような吐息だった。
以前は肩につくかつかないかだったnameの髪は切られることなく、今では肩甲骨が隠れるまでに伸びていた。
ならした糸のような彼女の髪を一束とってエルヴィンは静かに口付けをする。

「壁外遠征だったのね」

「……」

拭っても拭いきれない、洗っても洗いきれない硝煙と血のにおいに、nameは悲しい笑顔を浮かべた。
伸ばされた彼女の手は空気を掻き分けるけれど何も掴めない。
エルヴィンはnameの手を取り胸に抱く。
神なんて信じない男の、唯一の祈り。
言葉にならない懺悔は誰へのものか。
それでも、彼がたったひとつ手に入れたもの。
もう決して飛ぶことは能わない鳥となったname。
腕という名の檻で囲わずとも、もうどこにも行くことのないname。
自分だけを頼り、自分がいなければ生きてゆくことも出来ないnameを見るたびに胸の内に満ちる黒い感情を、エルヴィンは認めざるを得なかった。
手折ることすら容易い首に、指を這わせてキスをする。
何も映さないnameの瞳に己の歪んだ笑みを見つけ、エルヴィンは口の端を吊り上げた。

(140919)
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