さようなら

ダイブするように飛び乗った兵長のベッドは、私の部屋に備え付けてあるものよりもずっとふかふかだ。一般兵から分隊長になった時もこんな事を思っていた気がする。睡眠は大事なのだ。とても。
だから超が付くほどショートスリーパーの兵長にこんなベッドは勿体無いと、これまた羽が詰まった枕を抱いて私は思う。

「兵長ー、私のベッドと兵長のベッド、交換してくださいよー」

「断る」

「だって兵長なんか酷いとソファで寝てるじゃないですか。しかも座ったまま」

「だからどうした」

目の下に今日もたっぷりの隈を浮かべた兵長がぶっきら棒にそう言いながら、私の枕元に腰を下ろす。ベッドが小さく弾んだのに紛れて私は兵長の腰に抱きついた。
見上げれば物凄く嫌そうな顔をした兵長がいたものだから、私は余計に躍起になって頬を兵長の太腿に擦り付ける。
髪を掴まれ引き剥がそうとするのも御構い無しの私にとうとう痺れを切らしたのか、兵長が私の肩ををむんずと掴んで放り投げるという強硬手段に出たため、私は「ぎゃぁ」と女っぽさのかけらもない悲鳴をあげて壁にしこたま後頭部を打ちつけた。もしベッドが壁際に寄せられていなかったら今頃盛大に床の上で転がっていただろう。

「なにすんですか!」

「てめぇが顔の油を俺に擦り付けるからだ」

「あ、あぶ…。失礼すぎる」

女の子になんて酷いことを言うんだろうか。許すまじ。じろりと兵長を睨みつけてもなんの効果もあげられず、私は無言で布団にくるまった。兵長なんか布団なしで風邪ひいちゃえ。ミノムシのようになって暗闇で息巻いたはいいものの、だんだんと息が苦しくなってきて私はこっそり布団から顔を出す。

「おい」

「……」

顔を出したすぐそこに兵長の顔があったから(すごい怒ってた!)私は急いで大きく息を吸ってまた布団の中に潜り込む。細く細く息を吐いていると、布団に詰まった羽をばふりと鳴らしながら兵長が私の上に覆いかぶさった。

「なあname、ベッドを交換してやろうか」

「えっ!本当?!」

兵長の言葉につられて思わず布団をふっとばして起き上がった私は厭な笑みを顔に浮かべた兵長と目が合って、なんかこれはまずいかもしれないと悟った本能がじりりと身体を後退させる。

「だがなname、よく考えてみろ。俺の部屋のベッドがお前の部屋にある硬いベッドに変わって困るのは誰だと思う?」

「…そりゃあ兵長でしょ」

答えた私が首を傾げるのと同時に世界がぐるりと反転した。思い切り押し倒されたけれど、ふかふかのベッドのおかげで痛くもなんともない。

「俺の部屋のベッドが硬くて困るのはname、お前だ」

くく、と喉の奥で笑ながら兵長が顔を寄せてくるから私は恥ずかしくなって横を向く。

「目を逸らすな」

恥ずかしいから目を逸らしたのに「目を逸らすな」とはこれまた無体な命令だ。私の顎を容易く掴んだ兵長は、まるで子犬にするみたいに親指で顎の下を撫でている。

「それでもいいなら交換するが?」

「……」

なにも言えなくなって口を噤めばここぞとばかりに兵長は口の端を上げて距離を詰めてくる。鼻先が、当たってしまいそう、です。
掛け布団に手をかけ慌てて顔を隠そうとしても既に後の祭り。
ぎ、と鳴ったスプリングにびくりと肩を揺らした私は近づいてきた唇に呼吸を奪われた。

(141004)
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