さようなら

団長の身体は硬い。ごつごつしている。さっきからもうずっと私を後ろから抱えて離さない団長の熱を背後に感じながら、私は静かに本を読んでいた。
女の子が森の中で刺繍をしている。緻密で繊細な昆虫を、繊細な色使いで縫い上げてゆく話だった。私が知っている黄緑、緑、深緑の三つだけではない、もっと沢山の緑の色を使い分ける少女の指先は美しい。
目を閉じて情景を思う私の意識を乱すのは団長の指だ。臍のあたりで円を描いたり、腹筋の筋をなぞったり。相手をしてもらえないのが寂しいのかもしれないけれど、読書中の私の部屋に突然やってきて離れないのはそっちの勝手というものではないだろうか。
悪戯っぽい指の動きを無視し続ければ、ずぼりと指先が臍の穴に突っ込まれ、目の前に広がっていた静謐な深い森はたちまち霧散し消え果てた。

「団長!」

「なんだ」

「なんだ、じゃないです」

「つれないな」

「人の読書中に乱入してきてその言い方ってどうなんですか」

ちらりと振り返ってそう言えば、こころなしか腰に回された腕に力がこもった気がした。

「そんなに本が読みたいのならいいさ、続けたまえよ」

「……」

何故だか面白そうな声音で囁かれ、私は続きのページを開き直した。すると先ほどまでは子供の悪戯のような動きをしていた団長の指は、明らかな意思と目的を持って私の肌を這い回り始める。読書を続けられるものなら続けてみろと挑発されている気がして、私は意地でも反応しないように努めて文字を追う。
私が最後には屈してしまうことを知っていてそんな事を言う団長が嫌いだ。…大っ嫌いだ。

「しゅう、ちゅう、できない!」

「気にせず読んでくれて構わないぞ」

「も、やめてくださいって…ば、」

ふざけていた時とは違う身体の感覚に嫌気がさす。誰の所為だ、こんな身体になったのは。

「読書はやめます」

「おお!」

「もう寝ます」

「寝る?もう?」

「はい」

そう答えるや否や私はナイトテーブルに灯る蝋燭を吹き消した。燃えた蝋の香りを名残惜しく思いながら団長に背を向けたまま瞼を閉じる。腰にあたっている何かについては忘れることにする。

「なあ、name」

「甘えた声出しても無駄です」

「name、」

素っ気なく言ってやれば、耳元に寄せられた唇が低音を吐く。焼けたように掠れた声で名前を呼ばれ、腰のあたりが切なくなった。思わず振り向いて首に手を回したくなるけれど、それをしてしまっては団長の思う壺だと言うのも理解している。理解している、けれど。

「我慢比べなら負ける気はしないな」

「が、我慢なんて私は…してない、ですけど」

「そうなのか?」

「っ、」

大きな手が腹を撫でたかと思えば胸に伸びる。

「だんちょ、やめ…」

「ああ、ではやめようか」

おやすみ、name。くつくつと喉の奥で小さく笑う団長の表情なんて、後ろを見なくとも手に取るように想像できる。先ほどまで読んでいた本の内容などもう微塵も覚えていない頭で後頭部に降ってくるキスの雨をぼんやりと受け止める。
あたたかく大きな身体に包まれて、中途半端に燻る火種が細い煙を上げていた。それでも尚誘うように絡められる指をやんわり握り返せば、もうきっと後には戻れない。

(141008)
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