さようなら

「あの、団長は欲しいものとかないんですか?」

「欲しいもの…か」

さらさらと紙の上を滑らせていた手を止めエルヴィンは目を細めると、しばらくして何かを思いついたかのように小さく笑った。彼の様子を伺っていたnameは彼の笑みの意味がわからずに首を傾げる。

「君がほしい、と言ったら?」

「…っあ、の…冗談は、やめてくださ、い」

戯れに顔を一瞬で真っ赤にしたnameを微笑ましく思うエルヴィンであったが、彼としては戯れなどではなく本心を言ったまで。しかしこのようなnameの反応がつい面白くて普段からからかっている所為か、いまいち彼の言葉が真摯に受け止められることがないまま付かず離れずの関係が続いているのだった。
未だ赤面しているnameにエルヴィンは積み上がった書類をリヴァイに持って行くよう指示する。おずおずと(補佐官になって暫くだというのに、nameは時折このようにエルヴィンに対して遠慮がちな態度をとるのだった)エルヴィンのデスクに近づくと手渡された紙の束を受け取った。
「よろしく頼むよ」と言って微笑むエルヴィンは、手渡す時にわざとnameの指に触れる。ぬるい皮膚の感覚に言葉を詰まらせたnameは何かを言いかけて口を開くも結局視線を彷徨わせただけで、一礼をすると勢いよく執務室を後にした。

「いつになったらものに出来るやら」

nameの名残が色濃く残る執務室。長く息を吐いて椅子の背に身体を預けたエルヴィンの表情は柔らかかった。


「兵長は団長のお誕生日に何かプレゼントされるんですか?」

渡した書類を嫌そうな顔で受け取るリヴァイにnameは尋ねる。

「予定はしていない」

「そうなんですか?意外です」

「考えてもみろ。俺が可愛くラッピングされたプレゼントと花束をあいつに渡す様なんか想像できるか?」

「うー…それはちょっと…」

「そうだろうが」

「はい」

筋肉質な男が二人、満面の笑みで並ぶ光景を想像してnameは言葉を濁し、リヴァイはそれ見たことかといった表情で肩を竦めた。

「どうしよう、プレゼント」

「欲しいものがあるか聞いてみたのか」

「はい、聞いたは聞いたんですが…」

「?」

「わ、…私が欲しいとか、訳わからないことを…」

「ほう」

「ほう、じゃないですよ!真面目に答えて欲しかったのに…。団長はそんなのばっかりです…」

顎に手を当てたリヴァイにnameは口を尖らせる。

「ならお前がプレゼントになればいいだろうが」

「ばっ!馬鹿なこと言わないでください!兵長までそんなこと…」

「案外本気なのかもしれないな」

「え?」

「いや、なんでもない」

表情を変えずにリヴァイは言い、書類を積んだデスクに向かう。そんな彼の姿を見てnameは「あ、」と小さく声を漏らす。

「ペンのインクなんかどうでしょう」

「なんというか…お前らしい選択だな」

「なんですかそれ」

「それなら幾らあっても困るもんでもねぇだろうからな。捨てられることもないだろうよ」

「団長はそんな失礼なことしないですから!…きっと…」

自分の言葉に消沈するnameの顔を見てリヴァイは内心不思議に思う。エルヴィンのあれ程ストレートなアピールを受けていて何故こうも卑屈な思考になるのかと。第三者からしてみればただのもどかしい男女、というかもはやいっそ惚気ともとれるnameの悩みに、リヴァイは付き合ってられるかと溜息をついた。が、しかし。

「兵長!」

「なんだ、でけぇ声出すな」

「今度プレゼントを一緒に買いに行ってください」

「断る」

勢い良く頭を下げたnameの申し出を、間髪入れずリヴァイは却下した。これが他の男へのプレゼントならいざ知らず、あのエルヴィンなのだ。もしも自分がnameと奴へのプレゼントを買いに行ったと知れた日には、どれだけの書類を回されるかわかったものではない。エルヴィンが自分に対して私情を仕事に持ち込むことなどないと信じたいが、nameが絡めば話は別だ。以前終わりの見えない書類の山に埋もれて泣きを見たハンジの前例があるだけに(ハンジがnameに何をしたのか聞く気にもならない程の惨状だった)、リヴァイとしても下手に首を突っ込むわけにはいかないのだった。

「そうですよね…図々しいお願いをしてすみませんでした…」

「ああ」

肩を落としたnameを少しかわいそうに思うも、リヴァイは心を鬼にしてそっけなく言う。

「まぁ頑張れ」

「はい」

しょんぼりとした表情でリヴァイに背を向け退室するnameの足取りは重たかった。部屋に残ったリヴァイは暫く積み上がった書類を眺めた後、長い溜息をついてペンを手に取った。
日が暮れ、サインが済んだ書類が三分の二程までになった時だった。リヴァイの部屋の扉をノックする音がおもむろに響き、エルヴィンが姿を現した。

「やあリヴァイ」

「何の用だ」

「世間話でも、と思ったのだが」

「気色悪いことを言うな」

ふん、と鼻を鳴らしたリヴァイに苦笑したエルヴィンはどかりとソファに腰掛ける。意味あり気なエルヴィンの視線に、リヴァイはああなるほどなと思い「nameが気にしていたぞ」と先手を打った。エルヴィンは自嘲気味に口を開いた。

「どうしたら本気にしてもらえると思う」

「日頃の態度を改めることだな」

「はは、かもしれないな」

何処か遠くを見ながらエルヴィンは言う。
近くにいるはずなのにやけに遠く感じるnameは、彼が手に入れたいと思えば思う程その指の間をすり抜けてゆく。正攻法が通用しないのならばあらゆる罠を張り巡らせて、と思わなくもないけれど、彼女に関してはどうしてもその方法を使う気になれないのだった。

「エルヴィン」

「なんだ」

「俺はあいつとお前の件に関しては一切関与しねぇからな」

「それは…有難い」

「……」

暫くの間を置いたエルヴィンの表情に仄暗い何かを見たような気がして、リヴァイは改めて一切の関わりを持たないように注意せねばと思うのだった。

そしてエルヴィンの誕生日当日。nameは朝早くから起きてエルヴィンの執務室を念入りに掃除していた。執務室の掃除は彼女の仕事内容に含まれていないのだが、何かと進んで仕事をやりたがるnameはこの部屋の掃除が日課となっているのだった。
濡れた雑巾でピカピカに磨いたデスクには青色のリボンがかかった小さな箱が置いてある。何度も位置を変え角度を変え、ようやく定められた場所にそれは鎮座していた。
午前8時半、ノックもなくエルヴィンが部屋に入ってくる。資料戸棚のガラスを拭いていたnameは緊張を紛らわせようと一心不乱に手を動かしていた為、彼が部屋に現れたことに全く気が付かない。
エルヴィンは静かに扉を閉めるとデスクに目をやる。そこにはnameからであろうプレゼントがひとつ。しかしエルヴィンはデスクには向かわずに音もなくnameの背後に忍び寄った。視界に影が差し、顔を上げたnameはガラス越しにエルヴィンと目が合った。

「団長!」

いつの間に!おはようございます!あっ、おっ、お誕生日、…。振り返ったnameは至近距離にエルヴィンが立っている為彼と目を合わせることもできず、しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。
きつく握りしめたnameの手から優しく雑巾を取り上げると、エルヴィンは上半身を屈めてnameと目線を近付ける。赤く染まった形のいい耳が髪の毛から覗いていた。

「name、おはよう」

「おはよう、ございます…。あの、団長…近いです、距離が」

両手をエルヴィンの胸に押し当て距離をとろうとするも体格差がありすぎる。びくともしないどころか更に距離を詰めてくるエルヴィンに、nameは恥ずかしさのあまり背を向けた。戸棚に額を付けるようにして小さくなっているnameを心底可愛らしいと思いながら、やはり頭をもたげてくるのはささやかな嗜虐心なのだった。葛藤の末エルヴィンはnameの腰にそっと腕を回す。笑えるぐらいに肩をびくつかせたnameは、首筋を赤く染め頑なにこちらを向こうとしない。

「name」

「…はい」

「机の上の箱は、もしかして私へのプレゼントなのかな」

「……」

こくん、と、nameは頷く。

「name、こっちを向きなさい」

腰に手をかけnameの身体を反転させようとしたエルヴィンの腕を、ひしと掴む小さな手は微かに震えていた。半ば強引に、そうと感じさせない手つきでしたにもかかわらず、自分の方に向き直らせたnameは俯いてしまい顔を上げようとはしなかった。

「…name?」

顎に手をかけそっと顔を上げさせると、驚いたことにnameは目に涙を浮かべて唇を噛んでいるではないか。やり過ぎてしまったか、とエルヴィンが思った時にはnameの眦から一粒、涙が零れ落ちていた。

「か、からかわないでください…おねがいですから…」

「からかってなど、」

「さすがの私も、傷付きます…」

「name」

「こんなこと、だから、もうやめにしてくださ、…」

単に戯れの延長だとどこまでも思い込んでいるnameはエルヴィンの腕から逃れようとする。それも当然であろう。name自身もエルヴィンのことが好きなだけに、このように自分の気持ちを弄ばれるような真似は関係の進展を期待させられるだけであり、彼女にとってはただ辛いだけなのだった。
関係を進展させたいのもnameに行為を持っているのもエルヴィンとて同じなのだが、如何せん日頃の行いが仇となって今この状況を生み出している。
まさか泣かれるとは思ってもいなかったエルヴィンはどうしたものかと内心焦る。ここで手放してしまっては元も子もない。

「name、私の話を聞きなさい」

あくまでも優しく、動揺を悟られないようにエルヴィンは話し出す。

「何故私が君をからかう?どうしてそう思う?」

「それは、」

「私はただ君のことが好きなだけであって、誕生日プレゼントの件だって本当に私は君が欲しいと、そう思ったからああ言ったまでだ」

「……」

「それをからかっているだの何だのとばかり言われては、私だって流石に傷付くのだが、どうだろうか」

そっと髪に触れる。何が何だかわからないのか、それとも思いもよらないエルヴィンの言葉に頭の情報処理が追いついていないのか、nameは顔を真っ赤にして目をぱちぱちとさせている。nameが何かを言おうとして唇を開いたが、エルヴィンの人差し指に制された。

「name、君の事を愛している」

「…え」

何も言えず、暫くぼうっとのぼせたようにエルヴィンを見つめていたnameであったが、おもむろにへなへなとその場にへたり込んでしまった。エルヴィンは驚きながらもnameの腰を支えてやりながら一緒に床へとしゃがみ込む。

「あの、だんちょ、わた、わたし、」

「……」

瞳を揺らしながら懸命に言葉を紡ごうとするnameを見守るエルヴィン。

「私も、す、す、好き…です」

「その言葉が聞けて、嬉しいよ」

にっこりと微笑んでエルヴィンはnameの額にキスをした。頭から湯気が出そうなnameは焼き切れた思考回路で必死に彼の言った言葉を反芻する。団長が、私のことを、好き。それでもまだ信じられないのか、エルヴィンをじっと見つめれば「信じられないのなら、」と口を開いたエルヴィンに唇を塞がれた。
薄い皮膚の感触と熱。ただ触れ合うだけの口付けはこの上なく幸福なキスだった。その先に進んでしまいたい衝動を押し殺してエルヴィンは静かに唇を離した。名残惜しそうに揺れた視線を捉えられ、nameは恥ずかしそうにエルヴィンの胸元に顔をうずめてしまう。薄い背中を抱きながらエルヴィンは「これは、まずいかもしれない」と、柄にもなく少し赤面し、一瞬情けない顔をするのだった。正攻法でいった結果、こちらが罠にかかっているではないか、と。

「団長、あの」

「なんだ?」

「あの、これ…」

執務卓に向かうエルヴィンは膝にnameを乗せていた。居心地悪そうに小さくなるnameの頭に顎を乗せ、エルヴィンは「なんのことかな」と一笑した後に「鍵はかけてあるから大丈夫だよ」と低く耳元で囁いた。息を詰めたnameの腰に腕を回して楽しそうに笑うエルヴィンをどう扱えばいいかわからず、なによりこの体勢の恥ずかしさに今すぐ走り出したい気持ちでいっぱいのnameは押し黙って机の表面の細かな傷を眺めていた。

「使ってしまうのは惜しい気がするね」

「…使わなければ意味がないです」

箱から出されたインク瓶を手の平で遊ばせながら言うエルヴィンにnameが反論する。

「大切にするよ」

「はい」

「君のこともね」

「……」

どうしてこの男は恥ずかし気もなくこんな砂を吐くような台詞が言えるのだろうと思いながらも、nameは小さく首を縦に振る。
解けた青色のリボンが、静かに朝の光の中できらめいた。

(141013)
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