さようなら

兵長、生きる意味を、私に生きる意味をください。
ほとんど叫び声に近い悲鳴を喉の奥から絞り出しながら、nameは俺の胸ぐらを掴み何度も何度も揺さぶった。
土砂降りの雨が容赦なく地面を抉っていた。
冷たい雨粒はまるで矢のように身を切り、俺とnameは降り注ぐ無数の雨によって射抜かれその場から一歩も動けない。
首を垂れたnameの表情は髪に隠され伺えなかった。
胸元のスカーフを握るnameの小さな手の甲は冷たく白く冷え切っていた。
生きる意味を。と、うわ言のように繰り返し口にするname。
死ぬ意味ではなく、生きる意味を。
ごうごうと響く雨音に掻き消されそうになるほど弱々しい彼女の声は、それでもしかし俺の耳には届いていた。
それを俺に欲したところで、一体何をしてやれるというのだろう。

「name、戻るぞ」

「兵長、」

彼女の足元には、滲んで滲んで極限まで薄くなった赤い水たまりができていた。
お願いです。
nameのか細い声は雨音に掻き消された。
奥行きのない瞳で彼女が雨に打たれる様を俺は眺める。
かすかに聞こえてくる嗚咽など、聞こえないふりをして。
冷えてゆく身体。
乳白色に煙る景色に、血の気を失い青白くなったnameの身体が徐々に溶け出していってしまいそうだった。
抱きしめろ、と。
自分の中で声がするの聞いた。
今すぐに彼女に腕を伸ばして、俺がお前の生きる意味になってやると、囁けばいい。
陽だまりのような暖かな場所に身を横たえながら自分が彼女に対してそうしてやる姿を想像する。
しかし、俺にはできない。
このうら寒い雨のように、ただ彼女を濡らし体温を奪い、唇をわななかせる、それだけなのだ。
その事実に唇を噛んだ。
一向におもてを上げないnameの髪は、雨に濡れたせいで何本もの束になりその先端から雨粒を滴らせている。
ずぶ濡れになった衣服が皮膚に張り付き、いやがおうにも失われてゆく体温。
胸の奥深くで静かに燃えている小さな炎ですら消えてしまいそうな気がして、俺は静かにフードを被るといまだ胸倉を掴んでいるnameの肩に手を置いた。

「生きる意味だかなんだかしらねぇが、生きて壁の中まで帰れたら紅茶ぐらいはいれてやる。俺が出来るのは生憎それぐらいだ」

うっすらと口元に笑みを浮かべて、そう口にするのが精一杯だった。
肩に置いた手を滑らせるだけで変えられる何かがある事を、知らなかったわけではない。
しかしそうするにはあまりにも雨が強すぎた。
俺は白く冷たくなってしまったnameの手を握り、帰路へと促す。
彼女がどのような表情を浮かべているのかを知る事が怖いと、そう心の何処かで思っている俺は口をつぐみ、ただnameの手を引くだけだった。
いつかいた、安寧の王国へと向かうかのようにのような足取りで。
例えそれが幻なのだとしても、俺は歩み続けるしか術を知らなかった。

(20140429)
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