2019

(PCサイトより再録、加筆修正)

そう、こうやって夜に見る三成のうなじは本当に綺麗だ。
ついついと飛び交っている螢が宵闇を照らし、満月も相まって辺りは夜にしてはやたら明るく、目を凝らす必要もないほどだった。
きっと半兵衛さまなら、こんな明るい夜の螢は興に欠けると言うに違いない。潤んだ瞳をすっと細めて、薄い肩を竦めて。
山を幾つか超えた向こうにいる半兵衛さまの姿を思って私はひっそりと微笑んだ。
二匹の螢が弧を描きながら交わるように飛んできたかと思えば、三成の側頭にとまって淡い点滅を繰り返す。月光を弾くあでやかな三成の髪。そこに螢の鮮やかな黄緑が加わることで、いっそう幻想的になった光の粒が辺りに降り注いでいるのだった。まるでこの世のものとは思えないほどの幽玄に、私はしばらくの間言葉を失う。鬼ですらたじろぐほどの、妖しく儚い美しさ。
城主となった祝いにと、秀吉さまと半兵衛さまが贈ってくれた藤や桜、木蓮などの季節ごとに花をつける木や、赤や黄に葉の色を変える紅葉以外にはこれといった風流な庭木もなく、単に実用的だからという理由でやたらめったら植えられた竹は春先からぐんぐんと背を伸ばしていまや鬱蒼と生い茂るほどだった。
そして無造作に置かれた、これまたなんの雅やかさもない切り出しただけのつくばいは茂りに茂った竹垣のせいで日当たりも悪く、手入れもろくにしないものだから好き放題に苔がむしていた。天気のいい昼間などはそこへ時折雀がやってきて、わきに植えられた紅葉(これもまた手入れをする人間がいない為好き放題上に横にと枝が伸びている)のやわらかな若葉についた虫などを啄むついでの立ち寄りどころとなっている。
暗闇にぽっかりとあいた穴のような月を見上げながら、三成は珍しく脚を投げ出している。
薄藍の小袖を着流しにして(それは糊がとれて大分肌に馴染んでいた)、肌蹴た衿下からは青白い骨ばったふくらはぎが覗いていた。
寒々しいほどの三成の肌は、いまこうして見えているふくらはぎだけにとどまらない。胸板も、腰の周りも。唯一肉がついていそうな尻だって、悲しいまでに薄くて硬い。色の白さに助長され、彼の身体は救い難いまでに孤独なのだ。
なにかを求め彷徨うようにして、三成の手が床板の上を滑る。傍に投げられた私の指先を捉えれば、まるで子供じみた仕草でぎゅっと握るのだった。冷たい指先に乗った薄い爪は、几帳面に切り揃えられている。
それでも、触れた指は確かに三成の控えめな熱を孕んでいて、そのことに私はひどく安堵した。
三成の銀も、半兵衛さまの白も、どちらも圧倒されるほど美しく、ある種の儚さを惜しげも無く撒き散らして周囲を魅了する。
同じように白い半兵衛さまの肌は、けれども、三成の不健康そうな青白さとはまた別の女性的なほの白さなのだ。例えば、積もったばかりの雪のような。触れることさえ躊躇われるほどの美しい白。

「name」

「ん?」

「秀吉さまと半兵衛さまは息災であろうか」

私が半兵衛さまのことを考えていたのがわかったのだろうかと思って三成を見るけれど、それには気が付かず私の答えを待っている。

「半兵衛さまはともかく、秀吉さまは元気でしょ」

「……そうか」

そうだな。と独りごちるように付け加えて頷く三成。こくん、と頭が上下して、揺れる前髪の先から光が伝う。
初夏は甘やかだ。
日が照っている時はもちろん、こうしてとっぷり夜が更けた今時分でもその名残は消えない。どころか、色濃くなっているような気さえする。目を閉じれば花や、昨日に降った雨水の残り香すら覚えるような、そんな夜。
つないだ三成の手をあそぶ。見た目とは裏腹に実は節のしっかりしている指。つやつやとした爪。手入れなど興味はないとでもいいたげにかさついた肌。
三成の肌は私によく馴染む。馴染むけれどひとつにはなれない。ふたつの孤独が際立つような肌の重なり方をするのだ。それはそれで心地いい。特に、行為の最中は抱かれている、という感じがするから。
対して。と、私は視線を月と自分の間に流れる夜の闇に向けながら思う。
半兵衛さまの肌には沈み込むような何かがある。ほんとうに、それはまるで雪なのだ。朝の、何者にも侵されていないままの新雪。ゆっくりと沈んで、溶けた滴がぷつぷつと肌につくような。
眼差しも、吐息も。あの人の腕の中ではやがて、寒いのか暑いのかの区別すらつかなくなってしまうから。
ああ、こんなにもあの人のことを思い出してしまうのはきっと、三成の小袖がこんな薄藍だからに違いない。
三成の手を感じながら、塀の向こうに見えるであろう長浜の城の方角に首を傾け目を閉じる。
ずっと昔、三成はまだ佐吉と呼ばれていて、私もほんの小さな子供だった。私の特等席だった半兵衛さまの膝の上。秀吉さまに褒められて、はにかんだように口の端を下げて頬を朱に染めた三成。城下一面に咲いた桜。夕日に染まった近江の海。みんなで暮らした、幸せに包まれて賑やかだったあの城。
幾つもの夜を越え、そこから離れて私たちはそれぞれの今を生きている。

「あたたかいな」

そう言って三成は繋いだ手を引き寄せて私を抱きしめた。ぎゅっと、苦しいほどに。瞬間、三成がほしいと自分の奥底がざわめきたつ。
触れるか触れないかの距離を保った鼻先。じっと見つめれば唇を塞ぐのは決まって三成の方だった。ぬるい吐息は口付けを重ねるごとに熱と湿り気を帯びてくる。
押し倒されて背中に感じる床板は、まだそこに昼間のぬくもりをとどめているようだった。床にぶつからないよう差し入れられていた三成の左腕が背中から抜かれる。
真っ直ぐに私を見下ろす瞳が、春の夜よろしくとろりと濡れていた。それでいて、その双眼の放つ揺るぎない視線に射抜かれて身動きができなかった。
素肌に触れれば、押し殺した情熱の温度に皮膚が焼けてしまいそうだった。そして事実、ひとたび触れ合えば私たちは互いの容赦ない熱にひたすら溶け合うしかないのだ。
「三成くんはどうだい」ふと、半兵衛さまの嫋やかな声が脳裏に蘇る。褥に横になり、片肘をついてこちらを見る彼の目は楽しそうに細められていた。うまくやってますよ。たしか、そうこたえたはずだ。
そして、城を任せられてやる気満々、と言いかけた私の唇にそうっと人差し指を乗せて「そうじゃない」とゆるく首を振る。

「そうじゃなくて、きみと三成くんが、だ」

「私と、三成」

私と三成。もういちど確かめるようにして呟いた私を、それで満足だとでもいうように半兵衛さまは抱きしめた。柔らかな髪が肌にくすぐったい。
華奢で、どこか女性的な印象を与える身体つきだというのに、動きはしなやかで力強い半兵衛さま。そんな彼にされるがままでいるうちに、やがて私の心は透明で清らかな香りでいっぱいになってしまうのだった。
身体の内側が水で満たされるような、そんな感覚。とらえどころのない、けれど逃げる場所もない、半兵衛さまの腕の中はそんな場所だった。

「三成、」

名前を呼べば、三成は顎を少し上げ、視線だけで「なんだ」と返す。
さらさらと吹いた風に銀の髪が揺れていた。白い額はまるで子供のようにすべやかで、思わず私は手を伸ばす。けれど指先がたどり着くことはなく、三成の手によって宙に浮いたまま私の腕は掴まれてしまうのだった。
覆い被さられて胸が苦しくなる。三成はいつもそうだ。私を壊すぐらいにきつく抱きしめるから、心の臓に肋骨が食い込んだように痛くなる。壊したいのか守りたいのか。あるいは、他人に対する力の加減がわからないのか。もしかするとその全てなのかもしれない。
みし、と軋んだ骨の音が身体の中で鈍く響いているのを聞きながら、三成の背中に腕を回す。薄い布越しにでもわかる骨ばった身体はありとあらゆる関節の主張が過ぎるところもあるけれど、私はそれを心から愛していた。
襟足の延長にある、首の後ろのぽこんとした膨らみや、場違いなほどに飛び出した膝小僧、そしていつも寒そうにしている踝。その全部が三成にふさわしいと思わせるつくりをしている。不安定で、不完全な。ずっと昔からなにも変わらない。
言葉の続きを口にせずに押し黙っている私を不思議に思ったのか、小首を傾げた三成が指先で頬に触れる。

「部屋に戻るぞ」

視線を逸らしながらそう言って私を抱き起こす。細いくせに、ちゃんと男の人の頑丈さを備えている三成の腕。私を捕らえる三成の腕。私を壊す、三成の腕。
掠めるような口付けをして立ち上がると、背中を向けて歩き出す。
半歩先を行く三成の影を踏みながらぺたぺたと歩く。二人分の足音がひたひたと夜に浮かんでいた。
私はこの人と添い遂げるだろう。そんな確信を胸に抱きながら褥に沈む。幼い頃から共にあったのだ。喜びも辛苦も分かち合ってここまでやってきたのだから、死を共にすることだってなんら不思議はない。私にとって彼と共に死ぬということは、彼と共に生きることと同等、もしくはそれ以上の喜びのように思えるのだ。そして願わくば、彼の手で。
半兵衛さま、と心の中で呼びかける。
どこにいても、私たちを見届けてください。
仰け反った喉に、薄い唇が押し当てられた。
さらさらと音もなく降る光の粒に目を凝らす。それはまるで今しがたの蛍が砕けて散ったような、儚くも美しい光だった。薄く薄く私たちの肌に降り積もるそれを払いのけるようにして三成の手が滑る。

「私は……name、貴様を、」

「……」

肩口に埋められた三成の顔。くぐもった声はひどくぼやけていて、私には聞き取ることができなかった。

「そうだね」

と、微笑んだ私に頭を抱かれ、三成はいつまでも離れようとはしなかった。この身体の中に潜んでいる誰かの気配を必死に探しているようでもあったし、単純に私の体温を全身で感じているだけのようでもあった。
ゆっくりと積もる淡雪のような光にふたり埋もれて、そのうち呼吸すらも忘れてしまうのだろう。
目を細めれば、世界のすべてが輪郭を失った。淡く、儚い世界だった。

(20150502 久野名義にてレッセフェールさまに提出)
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